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 夜風のそよぐ音は気付けば、小鳥の囀る声へと変って。固く閉ざされたカーテンの隙間からは、日の光が薄っすらと差し込んでいた。一睡もせず迎えた朝に、ユキカゼは正座で背筋を伸ばし、身動き一つせず佇む。真正面には、組み上げられて鎮座する火竜素材の甲冑。朝日を背にしたその影は、思案の海へ沈む主を見守るようでもあり、厳しく問い詰め責めるようでもある。

「ふーん、ナルホド。一晩中そうやって考えてた訳ネ…で?答えは出たかしらん?」

 戸口に立つクエスラを振り返らず、目を瞑って俯いたまま。ユキカゼは黙って首を振った。考えても答えなど見つかる筈も無く。まして死者は問い掛けには応じない。ただ黙って寂しく笑うだけ…追憶の友は今も、あの頃の穏やかな微笑み。控え目で物静かで気が利いて、仲が良くて何時も一緒で…そして既にもう居ない人。
 かつて故郷でユキカゼは、かけがえの無い友を失った。一瞬で。永遠に。自らの迂闊さを悔い、怒りに任せた所業を恥ながらも…真っ先に思い出すのは、亡き友のあの横顔。また後でね、と言って遠ざかるあの背中。力の限り精一杯、限界を超えて走ったにも関わらず。助けが間に合わなかった緋色の思い出。

「俺は間に合わなかったから…もう間に合わないのは嫌だから。でも…」

 膝に乗せた手に力が篭り、くたびれたインナーを握り締める。搾り出されたのは、長年ずっと反芻して来た言葉。だが、叫んでも叫んでも、その呟きは虚しく響くだけ。そっとクエスラが触れた肩は、僅かに震えていた。冷え切った身体だが、決して寒さからの振るえではない。

「でも、また間に合わなかった…」

 鍛えられた端整な肉体が、今は驚く程弱々しく見える。身体以上に、その身に宿る精神が弱って見えた。そんな時は人によっては、優しく抱いて慰めるのだろうが。生憎とクエスラは、誰に対してもそんな役回りでは無かった。想い想われる若者にとってはとりわけ。慰めるのが優しさなら、山猫亭の女将は常に厳しい。

「まだ終わりじゃなくてよ?ほら、早く支度なさいなっ!」

 バチーン!静寂を突き破って、鋭い平手の音が客室に響く。背中に真っ赤な手形を刻まれ、ユキカゼは焼けるような痛みに飛び上がった。凍てつき強張る身体に火が付き、叩かれた背が熱い。
 結果的に立ち上がってしまったユキカゼは、呆然と振り返る。そこには普段通りの笑みを浮かべた山猫亭の女将。彼女はユキカゼを引っ掴んで再び背中を向けさせると、テキパキ手馴れた手付きで防具を着せてゆく。されるがままにしかし、火竜が宿る鎧へ袖を通すユキカゼ。

「お、女将さん!?俺は…」
「貴方ね、仲間を失うのが怖いなら…一人で狩場に出なさいな。キノコ位は狩れましてよ」
「キ、キノッ!?一人だったらどれ程イデデデ!女将さん、締め過ぎ締め過ぎ」
「こっちを向か、ないっ!反論出切る程度には元気ですのね…独りは酷く寂しいのよん?」

 振り向くユキカゼの首がコキリと鳴る。女将はきつくレウスフォールドを締め、レウスメイルを被せてゆく。妙な角度で痛んだ首を撫でながら、彼は口にした言葉を悔やんだ。独りで大自然に挑む事が、どれ程の事かも知らずに…そうせざるを得ない人物も居る事も忘れて。売り言葉に買い言葉とは言え、浅はかな自分を呪う。

「ま、一人になる必要なんて無くてよ…貴方、まだ素敵な仲間が居ますもの」

 まだ仲間と呼び合えるだろうか?レウスグリーヴへ脚を通し、軽く踏み鳴らしてみた。不安は募れど、既にもう出発の準備は済みつつある。例え一人でも、ココット村へは行くつもりでは居たが。一人…自分、ただ独り。果たしてその意味が、自分でも正しく理解出来ているだろうか?不安は疑念を呼ぶ…今までも実は、自分は独りではなかったか?と。

「だけどゆっきー、これだけは覚えといて頂戴。仲間を失うのが辛いのは、みんな同じでしてよ?」

 自分がそう思うように、誰からもそう思われていた…夢中で老山龍へと斬りかかる自分を、危険を顧みず助けに来た者がいる。下手な気遣いで、安全なミナガルデへ置いて行こうとした者がいる。ふと、そんな連中の悲しげな表情が思い浮かんだ。それが自分を亡くした時の仲間達だと、ユキカゼは何故か素直に確信。レウスアームに覆われた手は、握れば固い拳を形作る。まだ戦える…何よりも得難い仲間がいるから。

「もう出発しちゃっただろうな、ココットに…今から走れば、まだ間に合うかな」

 一刻も早く出発するべく、レウスヘルムを求めて振り向くユキカゼ。だが、そこにもうクエスラの姿は無かった。無骨な火竜の兜を胸に抱くのは、見知った顔の少女。その膨れた頬が不機嫌を物語る。ベルリネッ…名を呼ばれるより早く、彼女は背伸びしてレウスヘルムをユキカゼへ被せた。顎当の位置を合わせてバイザーを上げれば、何時にもまして顔が近い。泥まみれで駆け回る狩場とは無縁な、清楚っぽくて可憐じみた匂いが鼻腔を擽る。

「下でみんな待ってたぞ…ばかっ」

 小さな手の細い指が、再びバイザーをぎこちなく降ろす。飛竜ばかり見上げてきた、兜の中から覗く世界…今、静かに視界が覆われ奪われた。何か柔らかなモノが触れたような気がして、身を固くするユキカゼ。永遠にも感じる一瞬の後、鎧越しの温もりは離れてゆく。

「仲間じゃなくたって、心配してんだから…ホント、鈍いってゆーか」
「ご、ごめ…うん、ごめん。また心配かけるけど…いってきます」

 さっさと行け、とばかりに背中を叩かれ。慌しく狩人は出て行った。腰に手をあて溜息付いて、ベルリネッタはその背を見送る。惜しむように窓辺で見下ろせば、案の定そこには…キヨノブに荷物を押し付けられ、アズラエルに手伝われているユキカゼの姿。三人はまるで普段通り、生活の糧を求めて狩場へ行くように…決戦の地、ココット村へと旅立っていった。

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