《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》

 細くしなやかな指が今、慣れた手付きで作業をこなす。小さめのカラ骨を篭から選んでは、竜の爪を詰めてゆく…その作業を彼女は全て、片手のみで行っていた。普段から生活に困る事は無いが、こうも器用だとつい見とれてしまう。出産を終えたらもしや、片腕一本で現役ハンターに復帰してしまうのではと心配する程に。

「…珍しいか?フリック。これは拡散弾、大型の飛竜に用いる高火力の弾薬だ」

 手元を見たまま、クリオは視線の主に語りかけた。酔い覚ましのマテ茶をすする男は、もうすっかり正気を取り戻して。少し仮眠でもすればいいのだが、彼は今更寝付ける程に野太い神経でもなかった。やるべき事は全てやり、今は散らかった書斎の椅子に身を沈めるだけ。フリック=セプターは決戦を前に、ソファでせっせと弾薬を調合する妻を見詰めていた。

「…私が特に器用な訳じゃない。ガンナーなら皆、これは片手で調合するものだ」

 基本的にこの弾は、調合しながら撃ち、撃ちながら調合するものだから。撃てるボウガンは限られるが、拡散弾が強力と言われる所以がここに有る。一発の攻撃力もさる事ながら、素材を携行すれば連射が可能なのだ。山の如き巨躯を誇る老山龍が相手となれば、ガンナーは真っ先にこの弾を撃つだろう。

「じゃ、撃つとき調合すればいいんじゃないか?めいっぱい素材を持たせてさ」
「…無論、素材は持てるだけ持つ。その上で、弾帯にも詰めておくんだ」

 弾薬としての携行数、僅か三発…この貴重な拡散弾を「僅か三発」と見るか、「さらに三発」と見るか。熟練ハンターなら愚問と一笑に伏すだろう。拡散弾は調合して撃つのではない、撃ちながら調合するのだ。この村の防衛の為、些細な事にも心を砕いてきたフリックは…僅かに熱を帯びる妻の言葉に、強い説得力を感じる。

「ま、程々にして寝てくれよ。健康に気を使うのは妊婦の仕事だぞ?」
「…あと少しで人数分、これを終えたら寝る。フリック…不安か?」

 図星を突かれてしかし、顔色一つ変えずに茶碗を手繰り寄せる。この所忙しく、夫婦の時間を持てたことなど無かったが。長い準備期間と短い決戦の狭間で、フリックは久々に仮面を脱ぐ。脱ぐというより、少しずらして素顔を覗かせる。冷静沈着で奇想奇抜、天才肌の名軍師という仮面の下から。

「不安さ…もう俺には出来る事が無いからな。もうすぐ若い連中を送り出さなきゃならんし」
「…大丈夫だ、メルもでんこも、ミナガルデの連中も。みんなお前を信頼してる」

 堆く積まれた本の隙間から、何時ものソファにクリオが見える。穏やかだが真剣な眼差しで、一つ一つ素材を精査して弾薬を調合…普段と変らぬ表情だが、フリックには不思議と上機嫌に見えた。ココット存亡の危機を前に、身動きの取れぬ身重の立場で。それでも落ち着き払って、僅かばかりの動揺も見せないクリオ。今になって気付くのは、フリックが村中を奔走していた今日まで、ちゃんと家事一切をこなしていた事。この家の日常は今までも今も、全く損なわれていない。それと気付いた事がもう一つ。

「腹、ずいぶん大きくなったな…」
「…時々内側から蹴るんだ。早く出せ、って言ってるみたいに」

 ふと止めた手を、クリオは慈しむように腹部に当てる。もう何時生まれても不思議では無かったが、ここ最近は静かなもので。きっと多忙の父親を困らせぬようイイ子にしてるのだと、彼女は内心思ったりもしていた。
 何もこんな時に、とは思わない。我が子に対しても、迫る古龍に対しても。それはこの世界で脈々と紡がれてきた、永遠に紡がれるべき営みなのだから。人は子を産み育て、老山龍は龍脈を巡り旅をする。

「…私に不安は無い。怖くも無い。フリックが最善を尽くせば、結果は自ずと明白だからな」
「へいへい、いたみ入ります奥様…ま、この村で強い子を産んでくれよな」
「…何だそれは。遺言なら聞かんぞ」
「プロポーズよもう一度、って感じだったんだけど」

 僅かに頬を赤らめ、最愛の人が微かに笑った。フリックも微笑めば不思議と、疲れも不安も遠退いてゆく。この村に来て一年にも満たぬ彼だが、今は確かにココットを故郷と想える。胸を張って誇れるし、血と汗に塗れてでも守り通せる。ここに家族が居るから。フリック=セプターは今、ココット村の住民である自分を強く自覚していた。

「…心配ならいらない。安産のお守りもあるしな」
「あ、それ…さっき村長が配ってたやつじゃないか。利くのかねぇ」
「…ようは気持ちの問題だ。お前が出てる時にティアスが来てな」
「おいおい、いいのかよ…アイツ、最初に老山龍とブチ当るんだぜ?」

 フリックが最後の挨拶回りをこなしてる間に、愛弟子の姉がクリオの元を訪れた。身重の彼女を気遣いながらも、愚妹が愚妹がと使い慣れない言葉で固く礼を述べて。もうすぐ出産と知るや、先程村長が砕いた角の欠片を、安産のお守りにと握らせたのだ。手と手が触れ、一角竜の赤い欠片を受け取る刹那。クリオは瞬時に直感した。サンクの姉は、サンクや現役時代の自分を遥かに凌駕する実力の持ち主。こんなハンターが名も知れず埋もれて、しかも身近に居たとは驚きだった。

「…最初に、か。ではティアスは第一区に行ったのだな?」
「ああ、第一区は防衛戦開始のタイミングを計る大事な地区だからな」

 老山龍がなぞる龍脈は、ココット村の下を真っ直ぐに王都へ通じている。フリックは後から気付いたのだが、龍脈上では過去に多くの銘入の飛竜が生まれている。村長が倒したモノブロスも、後にギルドが鋭龍の名を与えた銘入。そう、名だたる飛竜の全てが、龍脈という一本の線で繋がるのだ。そしてその上に今、人の生活圏が点在している。ココット村も正にそう。
 ココット村へと走る龍脈は、その前に巨大な渓谷を貫いている。それを地の利と取ったフリックは、細長い谷を幾つもの地区に区切った。途中にバリケードを築き、地区ごとにハンターを配置する。ただ通過するのみの老山龍に対して、道にそって何段階にも分けて迎え撃つ算段だ。無論、どこかの地区でハンターが老山龍を倒せればいいのだが…それは無理だと踏んでいる。望むのは、少しでも老山龍を弱らせる事。

「…弱らせても止まらんぞ、奴は。この谷を抜ければココットは目と鼻の先だ」
「ああ、だが奴にはこの谷で止まって貰う。老山龍に恨みは無いが…ここで奴の散歩も終わりさ」

 フリックは無意味で根拠の無い自信が、再び自らの身に戻ってくるのを感じた。軍師たるもの、常に「我ニ策アリ」という顔をしなければいけない。そう先輩に言われたのは何時の日だったか。今はでも、根拠が無いわけでもない…少なくとも、自信を持つべき譲れぬ理由が、フリックの目の前で微笑んでいるから。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》