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 トリムがその轟音に身を竦めたのは、ハンター達の詰め所へ向かう途中。まるで谷全体を崩落させるかのような爆破音に、老山龍の天を裂く悲鳴が入り混じる。石切り場へ張られた天幕へと、彼女は少しだけ足を速めた。未だ夜明けは遠く、肌を刺す夜気は冷たい。

「すんませんっ!フリックさん、俺ら…」
「突然、まるで沸いて出たように現れたんだ…ホントさぁ!」
「あの音であの振動だろ?真っ暗で誰も、正確な距離なんざ解らなかった」

 篝火がゆらめくテントの前に、トリムの探す人物は居た。彼は大勢の負傷したハンターに囲まれ、その一人一人を労っている。皆が皆、酷い姿格好…まるで、何の準備も無く火竜の巣へと転がり込んだような。トリム自身、人の事が言える格好では無かったが。それでも、目の前の大人達は数刻前は、自慢の武具を着込んでいたのだ。漲る自信はどこか、見ていて頼もしくさえ思えたのに。見る影も無い状況に、トリムは身震いに凍える。

「でも、谷の入り口は塞いでくれたんだろ?爆破は確認してる…良くやってくれたよ」
「あ、ああ…ティス嬢がよ。あの娘が起爆したんだ」
「ティアスさんは、咄嗟にあの時…用意されたタル爆弾を一人で…」

 悪寒が治まらない…男達の間を縫って、フリックの横まで行って。その袖を恐る恐る引っ張ってみるトリム。彼女に気付いたフリックは、今まで見たことも無いような白い顔を…ただ静かに小さく縦に振った。すすり泣く声がどこかで、空気の重さに耐えられず零れ出す。
 覚悟はしていた。あるいは自分が、とさえ。だが、第一区のハンターズから遂に死者が出た。それも、かなりの実力を誇る者が。今でもまだ、指折り数を数える彼女の声が、耳の奥で木霊しているようで。余りの衝撃にトリムは、流す涙も堪える嗚咽も忘れてしまった。

「重傷者はここに残って。動ける者は第三区へ…でんこ、お前はみんなの手当てを頼む」

 それだけ言うと、フリックは皆の顔を見渡して。現実を受け入れた自分を示すように、大きくゆっくりと頷く。重々しい雰囲気のハンター達は、ある者は移動を開始し、ある者は用意された寝台へ横になった。言葉は無い…トリムも今は、身体を動かすことを選んで。水を汲もうと桶を手にした時、事情を知らぬ声が突然飛び込んで来た。それは恐らく、この場の誰もが会いたくなかった人物。

「フリック、ちと早いが大砲の弾を運ぶよう言ってくれんか?落石も効果は薄そうじゃての」
「…クラスビン博士…解りました、確かにそうですね。なるべく多くの弾を撃ちたいですし」

 最終区で大砲の調整をしていた老人は、途中で第二区を上から覗き込んで来たらしい。自慢の龍撃槍も今は忘れて、自分の出来る事を率先して行ってくれている。本来なら礼を言うべきハンター達はしかし、誰もが眼を合わせられない。愛娘の死を知らされていない、ルミロン=クラスビンとは。

「?…どうした?まごついてる暇はないんじゃ、さっさと動かんか!若い者がだらしない」

 未だ足取り重く、だがシッカリと地を踏みしめて。動けるハンター達は皆、身に鞭打って移動を始める。うんうんと満足気に頷きながら、恐らくその中に愛娘を探しているのだろう。最後の一人までその背を見送って、クラスビン博士は不思議そうに振り返った。目が合ってトリムは、思わず息を呑んで硬直する。その微細い肩をポンと叩いて、フリックが歩み出た。

「よし、後はワシも弾を運ん…ん?どうしたフリック。何をぼーっとしておる」
「博士…これを」

 青年が老人へと差し出したのは、白銀に輝く火竜の兜。泥と煤に塗れていたものを、拾ったハンターが持ち帰った品。形見…そんな言葉が、トリムの脳裏を過ぎる。きっと誰かが綺麗に拭いたのだろう。余りに鮮やかで輝かしい、誰もが羨む銀火竜の鱗。だが、その持ち主はもう居ない。

「俺の責任です、博士。大事な御嬢さんを…申し訳ありません」

 クラスビン博士の視線は、その輝きを見まいと周囲を彷徨った。両の手を盛んに組み替えながら、髭を撫でつつ髪を掻き毟る。鎮痛な面持ちでフリックが、兜を胸へと押しやると。老人はがたがたと震えながら泣き崩れた。固く握ったフリックの拳は、食い込む爪が血を滲ませて。老山龍の咆哮と足音さえ、その振動さえこの場では感じられなくなってしまった。

「フリック!フリックは居るかいっ!ああ、居たさね、良かっ、た…よ…」

 澱んだ空気を切り裂いたのは、息を切らせて駆け込んで来たナル=フェイン。予備の武具や支給品を運んできたらしいが、その取り乱した様は尋常では無い。力無くそれを見詰めるフリックはしかし、次の一言にはたと我に返った。

「クリオが産気付いた!予定より早いんで慌てちまったよ!」
「ふぉっふぉっふぉ…散る命、咲く命。フリック、頑張っとんのぉ〜」

 巨大な剣を担いで、村長も姿を現す。肩から下ろされた火竜の甲殻のカタマリは、ズシンと大地に突き立った。自身の数倍もあるそれを村より運んで、息一つ乱れぬココットの長。その細い目の奥では、力を湛えた瞳がフリックを見据えていた。まるで試練を与えるかのように。

「た、大変だっ!フリックさん、急いで行かなきゃ!」
「そうさね、アンタはどうせ闘えない!ほらっ、ぼさっとするんじゃないよ!」

 ナルが手を取り、強引に引っ張る。だが、フリックは動こうとはしなかった。尚も引っ張る白い手を、慄然と振り払う。もうその姿からは、脱力も絶望も感じられない。不敵な笑みは影を潜めたが、確かに戻ってきた…ココット防衛の責任者であり、老山龍討伐作戦の指揮者。撃退では無く討伐を目論む名軍師は、再び自らの場所へ戻って来た。

「…フリック坊や、いってやりなさい。今は死んだ者より…生まれる子の事を考えるんじゃ」
「ええ、死者より生まれる我が子を…そして今、生きてる者達の事を考えましょう」

 前髪を掻き分け、僅かな時間だけ天を仰いで。フリックはランタンを手に取ると、自らの足で伝令に走ろうとしていた。博士が言う通り、落石程度では老山龍は止まらない。寧ろ谷底の剣士達に邪魔となる。それに、早めに弾の運搬を始める理由は他にもあった。老山龍は思いのほか大きく、その巨体は通過するだけで、谷に掛かる吊橋を落としてしまう。大砲が設置されたのはこちら側、弾を集めた貯蔵庫はあちら側…元々大砲が手に入る予定が無かった為、危険物を遠ざけておいたのが仇となった。

「でんこ、ナルさんと手分けして負傷者を!ひとっ走り行って来る!」
「フリックさん、それならオレが!…どうして?クリオさんに付いててあげてよ」

 振り返らずに足を止め、肩越しにフリックは呟いた。今にも泣きそうなトリムに。

「今いったらブン殴られる。俺にもまだ、為すべき事が残ってっからな…だからさ」

 力強く握った拳に、親指を立てて見せ。そのままフリックは闇夜に飛び出してゆく。為すべき事はまだ、彼にとって山積み…最後の最後に秘策を披露するのは、考案者である自分の責任。彼の胸中を今、懐かしい声が満たす。その声は脆弱で運動不足の青年を、まっしぐらに谷へと走らせた。

「いつでも愛する女に、胸を張っていたい…って先輩がね。やな人だった、けど、なっ!」

 小さな小さな明かりが、揺れながら谷の方へと消えて行く。そういう流儀なら…と呟くナルは、腕まくりをして負傷者を見渡した。村長とクラスビン博士の他は、身動き出来ぬ重傷者ばかり。早速手当てに取り掛かるナルに、トリムもすぐさま続く。為すべき事を終えて尚、まだ出来る事がある…トリムは再び、ココット防衛の為に闘い始めた。

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