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 彼はただ進む。便宜上、彼と呼ばれる事になる老山龍は。大海を渡り山河を超え…ただ、我が身を細々と永らえさせる、龍脈の息吹を追って。尽きる事無く繰り返される、何千年もの営み。ただ訳も無く、己の身を維持する為に、黙々と老山龍は歩く。龍脈の上では留まることは許されない…直ぐに彼の巨体は龍気を吸い尽くし、その土地を殺してしまうから。だが、龍脈以外を歩く事もまた許されない。例え太古の災厄に追われていても。

「今でするっ!みんなっ、走って!」

 人語は理解している。が、聞くに値しない。何も人間に限らず、ありとあらゆるものは彼に無価値。嘗て自分を生み出した創造主に連なる、この星の知的生命体…人類。その限られた命は余りに短く、彼にとっては瞬きにも満たないから。幾星霜もの年月が彼から、あらゆる認識と興味を奪い去っていた。
 突然、右の後足に異変が生じる。ここ数百年を振り返っても、その感触を思い出すことが出来なくて。彼は思わず歩みを止めた。先程、背中の古傷を掠めたモノとは違う…それは純然たる痛み。何者も傷付ける事適わぬ、古龍の甲殻を走る激痛。それが痛みだと思い出した時、彼の脳裏を旧世紀の記憶が過ぎった。

「と、止まった…?老山龍がっ、止まったぁ!?」
「ぼやぼやすんなぁ、走れぇ!」

 彼のような者達をこの時代では、まとめて古龍と呼称する。今の人類にとっては災害でしかない存在。その正体は、旧世紀に人の手で造られた、あるシステムの末端。塔と呼ばれるシステムを守る、最強にして最後の完全生物。ある者は暴風と嵐を纏い、またある者は熱風と獄炎を纏う。強靭な四肢を備え、人智を超えた知識と超感覚…全てにおいて、地上のあらゆる生命体を凌駕する戦闘力。
 だが、それでも嘗て、人は龍へと挑んで来た。その時の記憶が今、彼の奥深くより呼び覚まされる。同時に今、彼は気付いた。周囲を埋め尽くす人の敵意を。無数の砲火に曝されようとも、大量の爆薬に焼かれようとも…決して意識する事の無かった、取るに足らない存在。それが今、声を上げて彼へと群がっていた。

「もいっちょでする〜!乾坤一擲っ!」

 激痛が再度、彼の全身を震わす。遥か昔に剥ぎ取られた自分の一部が、自らを崩す一撃となって舞い戻った…忌まわしい記憶と共に。龍を倒せるのは龍だけ…古代人達は龍より削り出した武具を携え、果敢に挑んだ。飛竜へ跨り、今はモンスターとして野に放たれたモノ達を率いて。
 悠久の刻を経て、今まさに…あの時のように。龍潰の鉄槌に後脚を砕かれ、老山龍が崩れ落ちる。有史以来初めて…今の人の歴史が始まって以来、初めて。老山龍はその巨体をゆっくりと大地へ横たえた。切り立つ左右の崖を抉り、崩落する岩盤を身に受けながら。腹を地に着け、長い長い首を伸ばして。全体重を支える脚部を襲ったのは、あの時と同じ我が身の分身。振るう者もまた、あの時に勝るとも劣らぬ剛の者。

「これが対古龍用武器の威力…これがギルドナイトの実力っ!」
「勝てるっ、勝てるぞぉ!止めちまえばこっちのもんだっ!」

 彼の大爪や甲殻は龍潰の戦槌となり、彼の鱗や角は滅龍の魔剣へ。それは全て、我が身へと帰ってくる。過去にもこうして、彼は封龍士と呼ばれる一門に屈した。鮮明に蘇る記憶…そして使命。ただ死なぬように龍脈を巡る、彼には生きる使命があった。それが今は脅かされている。使命を託してこの星から消えた、かの者達と同じ種族によって。

「ん…解った。何を企んでるか。うまくいくかな?ううん、やれるよ」
「察しがいいねぇ…賢い女は好きだぜ?んじゃま、ゆっきー」
「うん、準備オッケー!…翔べっ、メル=フェイン!」

 彼の目は開かれた。否、開かれていた目は久方ぶりに、今の自分を取り巻く世界を見た。ただ関心も無く、目に映るものを見ずに生きた数千年…だが、今の彼には認識がある。身の危険も感じれば、それを回避しようとする本能も有る。何より身の内より蘇るのは…煮え滾る灼熱のマグマにも似た闘争心。
 仲間達の手を踏み台に、その腕力で高々と放られて。完全に戦闘状態へと覚醒した彼の前に、姿を現す最初の敵。鼻先に降り立ち、不安定な足場によろめきながら。まだ幼い人間の少女は、背負った太刀を構える。遥か谷の最深部、その果ての地平が紫に染まり…細い絹糸のような空と陸の境界が、乱れる金髪を輝かせた。

「古龍だって倒せるもんね…メルがみんなにそれを示す!その角、いただきっ!」

 これが人類…今の世の人。それは彼が知る、彼の時代の人間とは余りに違う。姿形こそ同じだが、その野蛮さに率直な驚きを隠せない。目の前の少女はしかし、二つの太陽にも似た彼の瞳を、目を逸らさずに睨み付け。迷わず太刀を水平に構えると、身を捩って振り翳した。
 異能の超常力を駆使し、飛竜を従えた嘗ての人類…ありとあらゆる英知と文明を極め、想像を絶する科学力で彼へと挑んできた古代人。だが、眼前の種族はどうだろう?星の海を往く事も知らず、天空も深海も未開の地で。先の戦いに比べ、そのレベルは恐ろしく低い。低いのに…彼は戦慄した。その眼に宿る強い意志に。古龍への恐怖を捻じ伏せる勇気に。

「っしゃぁ!でかした、メルッ!」
「すげ、折れたというか砕けたというか…スパッと斬れた」
「おお…お、おお!見ろ、角が…老山龍の角がっ!」

 激痛を感じる事も忘れ、鼻先で起きた出来事を呆然と彼は眺めていた。今の人類は、彼が知る人類では無い…人はこんなにも、自らを燃焼させるような戦いは見せなかった。知っているのは、どこか虚しさを抱えて闘う寂しい種族。今はでも違う…野蛮で猛々しい人間は、生きる力に満ち溢れて。自らの愚に衰退を重ねた、黄昏の時代を生きた人間とは決定的に違っていた。
 全身の筋肉をねじり、僅かな自分の体重を全て乗せ。メル=フェインは渾身の力を込めて、一角竜の太刀で薙ぎ払う。ココットの長が勝ち取り、ココットで一番の匠が鍛えた業物…その鋭い刃は、何の抵抗も無く古龍の角へ食い込むと、綺麗な切断面を残して振り抜けた。天と地の狭間を別つように。登り始めた朝日の最初の雫を受けて。

「いっちょあがりっ!おーい、ゆっきー!それ、拾っとい…わわっ!?」

 飛竜を従え彼と闘った人類は今、飛竜の角を鍛えた剣で立ち向かってくる。それは過去以上に脅威。恐れるべきは龍より削り出した兵器でも、竜より削り出した武器でもなく…燦然と輝く魂を灯して、立ち向かってくる今の人間達。
 気付けばそこかしこで、彼に群がるハンター達が気勢を上げていた。そして彼は起き上がる…今はもう不幸な事に、敵対者として人類を認識したから。彼はもう、人間達にとって抗うべき災害では無い。明確な防衛本能からくる闘争心を、ハンター達へ向ける敵…夜明けを待ちわびる谷に、改めて両者は敵対する事となった。

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