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 最初に現れたのは仲間達の顔ぶれ。遠退く意識を総動員して、キヨノブはその幻影に不満を漏らした。が、悪くは無い…不器用だがアズラエルは気が置けないし、時々危なっかしいユキカゼの青臭さにも好感を禁じえない。絶対に口に出したくは無いが、若い世代の彼等をキヨノブは好いていた。

(で…次は?ああ、アンタか…)

 山猫亭の女将は何時も、雪のように白い顔で微笑んで。憂いを帯びた横顔しか思い出せないのは、キヨノブはそんな彼女しか見た事が無いから。弱気も見せず愚痴も言わず、誰にでも分け隔て無く優しさで接する。無論キヨノブにもそうだった。素顔で微笑む相手を、未来永劫永久に失った彼女…その姿は最期まで、キヨノブにとっては山猫亭の女将でしかなかった。

(ちぇ、最期までそれかよ…アンタが見送るのは、俺が何人目なんだろうな)

 メル=フェインやその相方、イザヨイの姿が浮かんでは消える。起伏に富んだ豊かな肢体は想像の産物だが、実物もさほど変わらないだろう。サンクやツゥ、ブランカ等…他の仲間達が後に続く。キヨノブはその全員に、声にならない別れを呟いた…心からの感謝と共に。僅かな時間とはいえ、ハンター生活の何と素晴らしかったことか。満ち足りた充足感に包まれ、汗と泥に塗れた狩猟の日々。それもここまで、もうお別れ。

(で…次はお前、だよなぁ。どう考えても順当だべ?嗚呼、シキに帰りグホァ!」

 追憶の日々と自前のエピローグは、僅か数秒の幻覚。キヨノブは強かに大地へ叩き付けられ、何度も弾んでのた打ち回った。振動に自由を奪われ、風圧に遮られていた先程までとは違う…彼は今、明確な老山龍の攻撃を受けて吹っ飛んだのだ。山の如きその巨躯は、一度攻めに転じれば、それだけで脅威。
 徐々に感覚を取り戻す肉体は、口々に激痛を主へ訴える。肉は捻れて筋が裂け、骨は軋んで臓腑が血を吐く。常人ならば即死だったであろうその痛手は、生死を別つ代償としてキヨノブを苛んだ。数頭の雌火竜素材を繋ぎ合わせた防具が、薄皮一枚で彼を救う…その命の鼓動と呼吸だけを。

「へへ、お前のオニーサマはまだ死ねないらしいぜ?…辛いねぇ、主役は見せ場が多くてよ」

 体が全く動かない。軋む首を巡らせても、視界が思うように確保出来ない…頑強なレイアヘルムはその役目を終え、キヨノブもまた戦闘力を喪失していた。先程より速まったように感じる老山龍の足音が、直ぐ側でどんどん近付いている。まるで耳元で鳴り響くような、大地を踏み鳴らす轟音。
 小さな勇者の活躍が、狩人達のテンションを一気に最高潮へと押し上げた。元が一騎当千の一流ハンター達である…まだ幼い少女が奮起すれば、黙って居られないのが道理。その手に自慢の武具を携え、身を横たえた老山龍へ、彼等彼女等は殺到した。無論キヨノブも。だが、待っていたのは怒りの一撃。突如として攻勢に転じた古龍は、初めてハンター達へ恐るべき力を振るった。その犠牲者がまた一人、キヨノブの傍らに落下してくる。

「…ゆっきー、大丈夫か?おい…おいっ!返事しろってーの」

 言葉は無い。返事の代わりにしかし、自分同様に満身創痍の少年は立ち上がった。足元がふらついているが、今のキヨノブには支えてやる事が出来ない。逆に気遣う素振りを見せるユキカゼに、今はただ精一杯親指を立てるだけ。少年は僅かに安堵の頷きを見せると、再び剣を構えて走り出す。徐々に迫る、今はもう災害という名の言い訳が通じぬ相手へ。

「ちょ、おま…待てって、飛ばし過ぎんなよ…今、オレサマが自慢の…っておい」

 すぐにユキカゼは戻って来た。先程と同じ空路で、先程より酷い受身を披露しながら。自分がいかに恐ろしい一撃を喰らったか、自分が彼同様いかに優れた防具に守られていたか。スローモーションで弾むユキカゼを見れば、妙な説得力を感じる自分が滑稽に思えた。が、そうも言っていられない…より一層派手に着地したユキカゼは、今度は身動き一つせず沈黙を貫いていた。

「お、おい…ゆっきー!返事しろ、ゆっきー!ゆっ…うお!?」

 唐突に立ち上がったユキカゼ。そのまま歪んでしまったレウスヘルムを脱ぎ捨てると、顔面を流れる真っ赤な血を拭う。沸いた音を立てて転がる兜が、キヨノブの直ぐ足元へ転がった。久しぶりに見るユキカゼの素顔は、疲労も色濃く血と汗に塗れて。しかし、まだ絶望に翳ってはいない。

「キヨさん…あいつ、初めて俺等を見た。俺等は今、あいつにとって邪魔なんだ。だからっ!」

 再びユキカゼは走り出した。走るとは名ばかりの足取りで、それでも真っ直ぐに老山龍へ向かって。愛用の蛇剣を引き摺りながら。点々と滴る鮮血を残しながら。その背を視界の片隅に刻んで、絶叫を搾り出すキヨノブ。ユキカゼの大きく揺れる背中は、近付く老山龍が舞い上げる土砂に霞んで消える。

「クソッ!クソッ!この役立たずがっ、動けってんだよ!俺も立派にハンター様だろうが!」

 激昂する主に逆らい、その肉体は全く動こうとしない。既にもう脚の感触は無く、痛みすら感じない。気迫だけではどうにもならない現実が、キヨノブから自由を奪っていた。そうしてただ、我が身を曝しているこの瞬間にも。老山龍は雄々しい足取りで近付いて来る。仲間達の悲鳴と怒号を引き連れて。その聳え立つ四肢はもう、すぐ目の前。

「キヨ様っ!」

 不意に聞きなれた声が響き、ガクンと体が大きく揺れた。襟首を引っ掴まれ、キヨノブはずるずると力強く引き摺られて。訳も解らずされるがままに、キヨノブは力無く運ばれてゆく。彼が倒れていた場所はもう、今は老山龍の足の下。

「…何人残った…何人残ったぁ!」
「今さっき来たばかりです、キヨ様…上から見た感じでは半数でしょうか…」

 半数…ハンターなりたてのキヨノブなど、足元にも及ばぬ熟練ハンター達が。たった一瞬で半数まで。その中にユキカゼの名もあるのだろうか?恐ろしい想像が脳裏を支配し、慌ててキヨノブはそれを振り払う。そしてまた、彼と彼を引き摺るアズラエルもまた、生死を別つ半数の片方に迎えられようとしていた。

「離せアズ、逃げろ!こいつぁいけねえ…逃げ切れるもんじゃねぇ!」
「いやだっ!黙って下さい、舌を噛みますっ!」
「こっちだ!足掻いてキヨさん…諦めだけが俺等ハンターを殺すっ!」

 不意に引き摺る人数が増えて、燃えるように熱い背中が着火したように痛む。新たにユキカゼの力を借りて、三人は僅かな加速で老山龍の進路から脱出した。

「無事な者は第四区へお願いでする!あとネコタクを…怪我人最優先でする!」
「がってん!…あ?何ぃ?釣り橋が?どこの馬鹿だ、この忙しい時にっ!」
「しゃーないだろぉ!さっきから落石が止んでる…ってこたぁもう出発しちまった」
「誰か、二、三人来いっ!時間を稼ぐぞ…おい嬢ちゃん、そのハンマーにもう一仕事頼む!」

 岩陰にキヨノブを引き摺り込み、アズラエルとユキカゼも庇うように身を伏せた。巨大な老山龍がいま、そんな人間達を嘲笑うかのように通り過ぎてゆく。その足取りは確かに、勝利の確信に満ちて。阻止せんと立ちはだかった人間達を、完膚なきまでに叩きのめしての勝鬨。辛酸を舐める思いで、誰もが古龍が通り過ぎるのを黙って見送る他無い。

「…へへ、行っちまったか。俺はここまでだ、なぁゆっきー?アズもよぉ…早く行けや」

 身を捩るだけで生きている自分を実感できる。アイテムポーチへ手を伸ばせば、筆舌し難い激痛が我が身を支配するから。それでも辛うじて腰からそれを外すと、少年達へ押しやって。キヨノブは苦しげに呻いて後を託した。
 ラベンダーを先頭に、何人かのハンターが老山龍を追って駆け抜ける。その後を追うように顎をしゃくって。彼はそのまま周囲を見渡し、金髪の少女を探した。だが、その姿は何処にも見当たらない…代わりに視界へ飛び込んで来たのは、ひしゃげたレイアグリーヴに圧縮された…見るも無残な自分の右足だった。

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