《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》

 痺れた手にもう、愛刀を握る感覚は無く。ただ重さだけがズシリと、疲労して強張る腕へと圧し掛かる。気力体力共に限界を超え、それでもゼノビアは大剣を振り続けた。知能の高いイーオス達は、眼前のハンターが瀕死と知るや…捨て置き先へ進もうと嘶く。その行く手を遮る為に、彼女はさらに消耗を強いられる事となった。もはや精根尽き果て、意識も朦朧としながら。それでも彼女は、イーオス討伐記録を塗り替え続ける。

「ここから、先は、いかせ、ませ…あっ!」

 天地に分かれた真紅の顎に、ゼノビアはガードを固めて身構えた。幅広の刃に牙が突き立ち、震える両足が大地を抉る。押し負ける…そう感じた瞬間。実を結ばぬ思考を差し置き、本能が肉体を支配した。教本を無視し、セオリーに背を向けて。ゼノビアはガード中にも関わらず、刃を立てて全力でイーオスへと押し込む。イーオスの頭上半分が吹き飛び、降り注ぐ鮮血の雨。
 続いて襲う爪を屈んで避けると、全身のバネで跳ね起きると同時に剣を振り上げる。また一頭の毒走竜が地に還った。が、既に刀身はボロボロ…三頭目の鱗に弾かれ、それでも重さで頭蓋を砕いたが。四頭目はバスターブレイドに噛み付くと、ただの棒切れとなったそれをハンターからもぎ取った。丸腰になって地へ伏すゼノビアへと、イーオス達が殺到する。

「ごめん、もう駄目…私、頑張ったかなぁー?先輩、誉めてくれますよねぇ…?」

 天を仰いで大の字に転がり、見上げるは無数の毒牙。その内の一頭が胴を踏みつけながら、耳まで裂けた口を大きく広げる。錯乱したイーオス達はしかし、食欲だけは旺盛な様子。それは老山龍への原初の怯えより、連中にとっては優先すべき本能。大粒の涙にぼやける視界で、しかし眼を見開いて。末期の瞬間までハンターとして、獲物を見据えるゼノビア。彼女が最後に見たのは…涎を滴らせるイーオスの頭が、突如膨らみ破裂した瞬間。

「おー、当った当った…危機一髪、かな」
「せめてもう少し『狙ったんだぜ』って顔をして貰えませんか?」

 硝煙を燻らす銃口を挟んで、同じ顔と同じ声。一斉に向き直る視線を受けて、再び銃声が響き渡った。頭部を正確に襲う、高レベルの徹甲榴弾。まるで空気を送りすぎた風船のように、イーオス達の頭部が膨らんで破裂してゆく。だが、飛び散る肉片はゼノビアに降り掛からなかった。ただの一片たりとも。ドス黒い血肉は全て、西シュレイド王国の紋章を刻んだマントを赤く染めるだけ。小さな影がゼノビアを庇い立っていた。

「あ、っと…まずいな、後で大目玉だ」
「それはそれで…いえ、まずいですね」

 小柄な影がマントを脱ぎ捨て、身の丈程もある大剣を構える。怯む事無く襲い来るイーオスへ向かって。ゼノビアはその時、毒にやられて幻覚を見ているのだと…そう自分に言い聞かせていた。竜人族の少女が、不相応な落着きで剣を薙ぐ。それは音も無くイーオスへと吸い込まれ、その身をするりと透過した。擦れ違ったイーオスはそのまま走り去り、自ら地を蹴る反動で…まるでペンが線引くように、上下に両断されて転がる。切断面は鮮血すら流れるのを忘れる鮮やかさ。

「数が多いな…群が戻って来たか。トレントゥーノ、手当てを」

 ゼノビアを中心に、声の主を庇うように。二人の青年が左右を固め、朝日に吼える毒鳥竜達をけん制する。老いたイーオスは警戒心に唸り、若いイーオスは無残にその命を散らした。

「真っ先に飛び出すなんて…後ろで見ててください、エフェメラ」
「言うな。血が騒ぐ…この感触は何だ?老山龍ではないな…近付いて、来るっ!」

 振るう刃は咬剃の切れ味。飛び掛るイーオスを切り裂いて、エフェメラと呼ばれた少女の剣が舞う。フォローに回る青年達は、何時にも増してその背を守る必要を感じていた。冷静沈着な普段からは想像も付かぬ、忠誠を捧げた自分達の主。
 血が燃えるように熱い。争いを好まず、出来る限り避けて来たが。人間社会でそう生きる事で、多少の奇異の眼に曝されながら登り詰めて来たが。その身に竜を宿すとされる亜人種…竜人族。その伝承は言い伝えに過ぎぬが、今は信じる気になれる。身の内より湧き上がる衝動に突き動かされ、エフェメラは翼有る飛竜の如く、イーオスの群へと分け入って往く。

「らしくありませんね…闘いに我を忘れるなん、む?あれは…」
「ドスイーオス!ちぃ、榴弾がもう…エフィッ!」

 その巨躯に息を呑む…ちょっとした怪鳥ほどもあろうか。一際赤い鱗が、朝日を反射して波打ち輝く。エフェメラの血潮は今、沸点に達しようとしていた。護衛を振り切り、立ち塞がるイーオスを切り伏せ突進する。同じ二つの顔が同時に、血の気を失い青ざめた。毒の残滓にいまだ苛まれる、ゼノビアよりも真っ青に。
 近付く…近付いて来る。ドスイーオスではない、それは我が身を燃え滾らせる何か。大きく身を捩って、数頭纏めて薙ぎ払いながら。息が上がり鼓動が警鐘に高鳴っても、体内に暴れる血の暴走が止まらない。あっという間に体力が付き、それでも従者達を置いて前へ前へ…このまま自分の身体を突き破り、血液だけがドスイーオスへと襲い掛かる。そんな錯覚すら覚えて。

「熱い…これは、この感触…そうか、これは…」
「掴まえた、エフィッ!気を確かに!」
「こっちの女性は私が。退きましょう、ヴェンティセ…」

 不意に朝日が遮られ、巨大な影が頭上を過ぎった。軽々と男達を飛び越えたのは、白い鱗が輝く走竜。大きい…その体はドスイーオス程では無いが。身に纏う気品と気迫は、その身体を何倍にも大きく見せていた。そのドスギアノスは、騎手の蒼髪を靡かせ牙を剥く。

「あれは…轟天?間違いありません、轟天号です」
「え、第一王女殿下の?いやでも…何でまた。誰か乗ってる…誰だ!?」

 天下にその名を轟かせるは、走竜騎士団随一の俊足。轟天号はドスイーオスの首筋に喰らい付くと、軽々とその巨体を宙へ放り投げる。同時に背から飛び降りた人物は、展開したヘヴィボウガンを空へ向けた。狙いも付けず眼を伏せ俯き、しかし砲口はしっかりと目標を捕らえて。轟音一閃、砲声と共にドスイーオスが四散する。

「…書士隊の皆さん、この子をお願いします。ありがとね、轟天」

 立ち上がる少女を見送るように、轟天号は一声吼えた。そして吼え終わらぬ内に、泡を吹いて地に倒れる。一日千里を駆けると言われる、第一王女の愛騎。その名に恥じぬ俊足は、砦からココットまでの道程を、僅か一夜で走破した。苦しげに痙攣する四肢で、今は役目を果たし終えて横たわる。

「ちょ、ちょっ…待って。どうして轟天に?キミは一体…」
「緊急事態ではありますが…手短に御説明願えますか?」
「…いい、行かせろ。急げ、もう老山龍は、ココットの…目前ぞ!」

 小さく頷く蒼髪の少女と、エフェメラの視線が交錯する。その瞳は、恐ろしい程に澄み切って。碧玉の如き輝きを瞬かせ、短くイザヨイとだけ名乗ると…彼女は踵を返し、谷へと続く道を走り出した。小さくなってゆくその背を見送れば、不思議と呼吸が落ち着き動悸が静まる。
 数多の書士の頂点へ立ち、取り分け腕の立つ者を従える学術院の頭目。西シュレイド国王より直々に「王国最後の剣」として、絶対の信頼を得るエフェメラ。王都の権力闘争さえも涼しい顔で切り抜ける彼女が、本能的に身を畏まらせて悟った。竜を統べ、龍をも鎮めると言われる異能の力を。その血が、その本能が。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》