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「ああ、老山龍が…」

 その刻は何時も、無限の歓喜で持って迎えられる筈が。万感の想いに揺れる胸中は、締め付けられんばかりの切なさに満ち溢れて。誰もが疲労の色濃い顔を上げて、巨大な古龍をじっと見詰めた。連なる山脈の如き巨大な老山龍を。駆け付けたトリムも絶句し、思わず手にした斬破刀を落とす。
 ただ一声、大きく首を巡らし吼えて。長い長い断末魔の後に、老山龍はゆっくりと崩れ落ちる。勝利の喜びも安堵感も忘れて、ハンター達は潰える生命の瞬きを見送った。長らく連れ添った狩りの仲間を見送るように。大地を揺るがし空気を震わせ、巨体は遂に歩みを止めた。言い表せぬ複雑な心境に惑い、押し潰されそうな気持ちを抱えたまま。小さな胸に手を当て、少女は思わず目を背ける。

「御前達には見届ける義務がある。目を逸らすな」

 気付けば直ぐ隣に、一人の女性が立っていた。厳しい口調はどこか、見た目の年に不釣合いな威厳を具えて。初めて間近に見る竜人族を前に、トリムは面を上げて目を見開いた。自然と頬を伝う涙を拭い、何故泣いているのかも解らぬままに。大質量が岩盤を抉り、落雷の如き轟音で大地に伏す。舞い上がる砂塵と砂埃は、容赦無く勝者へと吹き付けられた。

「エフェメラ、せめてマントを…」
「構わん…御前達も立ち会え。歴史的瞬間を記録に残さねばならんからな」
「えーと、じゃあ。そこのお嬢さん、これを…って、いらないよね、うん」

 もうもうと立ち上る土煙は、忽ち谷全体を覆い尽くした。人も龍も皆、黒い影となって僅かに浮き上がるのみ。多くの血と汗で成し遂げられたこの偉業が、後の世に歴史として伝わるなら。今は正に、その一頁の最後の一行。視界が開け、老山龍が完全にその動きを止めても尚…誰一人として動き出す事が出来ない。ある者は傷に呻き、ある者は疲労に喘ぎながら。一人一人がそれぞれの想いを噛み締めていた。

「ゲホッゲホッ!ゲホホ…何事スかぁ!おのれラオラオ、バッチコーイッ!」
「モウ少シデぺしゃんこダッタゾ…オーイ、ソッチハ大丈夫ッポ?」
「ふ、ふにぃ…髪がガビガビになっちゃったでするぅ〜」
「ありがとアズさん、助かった…つか、サンクさん?」
「サンク様、後ろを…もう老山龍は倒れたみたいですが」

 腹から這い出た一人のハンターが、再び剣を構えて吼える。横たわる老山龍を背に。仲間達の言葉に振り返り、仰天の声を上げてひっくり返るサンク。彼女と彼女の仲間達を中心に、徐々に討伐達成の喜びが拡散し始めた。雲一つ無い青空へ、龍の血に塗れた無数の武器が舞う。狩人達は剣を手放し兜を投げ捨て、言葉にならぬ歓喜を声の限りに叫んで跳ね回った。

「見事…流石は選りすぐりのハンターズ。そして…」

 エフェメラはダムを見上げ、強い日差しに額へ手を翳す。黄道を駆け上る太陽は既に、燦々と一日の始まりを告げていた。目を細める視線の先に、疲れ果ててフラフラになりながら…抱き合い喜ぶナルとクラスビンの横に、精根尽きて屈みこむ男の姿。

「見事と言っておこう、フリック=セプター。やはり連れ帰らぬ理由は無いか」
「うーん、大臣達は戦争となれば何時も軍師様頼りだしなぁ…で、あれは?」
「恐らく水でしょう。加圧した水流の一撃は、時に鋼をも容易く切断します」

 同じ顔の男二人は、アレコレと見上げる装置の検証と考察に忙しい。粗末なダムは中央に小さな射出口があり、今は雫に濡れて黒く光る。その背後に満ちるは、何万トンという村々の水源。かくて王国一のペテン師は奇略を弄し、水の龍撃槍は光の矢となって古龍を貫いた。
 しかし、彼等彼女等は何者だろうか?不思議そうに見詰めるトリムへ、竜人族の女性は片眉を上げて鼻を鳴らした。それが祝福の微笑みを試みたらしいと知れた時には…既にもう、王立学術院の紋章はマントの上で翻っていた。

「トレントゥーノ、お前は轟天号の回復を待って砦へ走れ」
「仰せのままに」
「やれやれ、あれに乗らずにすんだか…あ、はい。王都へ報告ですね」
「うむ。御老人方には両方とも諦めて欲しいものだな。軍師も…」

 あの力も。そう言って肩越しに一瞥くれると、筆頭書士は村のほうへと踵を返した。呆然と立ち尽くすトリムの語彙から、魔女という単語を拾い手渡して。どうやら双子らしい書士達も、アレコレ喋りながら後に続く。
 魔女の瞳の最後の視線は、確かに一人の人物を捉えていた。興奮の坩堝と化して、今にも宴会が始まりそうなハンター達の輪の中で。その中で、金髪の少女と固く抱き合うイザヨイを。トリムの胸中を僅かな不安が過ぎるが…狩場の馬鹿騒ぎがそれを払拭する。

「おっしゃぁ!剥ぐスよぉ〜」
「ウホ、物欲ココニ極マレリ…ドレ、ンジャ俺モ」
「メルちょ、いっちゃーん!色々剥ぎ取るでするよ〜」

 狩りの喜びと今日の糧に感謝を。狩る者として、狩られた者への敬意を込めて。そして今日は、命を散らした勇敢な仲間達へ祈りを。誰もが普段と変らぬ手付きで、使い慣れた剥ぎ取り用のナイフを握り締める。ハンターは皆、狩った獲物の一部を剥ぎ取り持ち帰る。それを糧として今日を生き、明日もまた狩るからこそハンター…ある者は興奮に身を躍らせながら甲殻を剥ぎ取り、ある者は嗚咽を漏らしながら鱗を剥ぎ取る。

「いっちゃん、剥ぎ取りいこ?ね…いっちゃん?」
「ごめ…もう少しこのまま」
「どしたの?いっちゃ…いたた。むふ、よしよし」
「良かった…皆も村も、メルも無事で」

 今、一つの戦いは終わった。それが同時に、我が身と我が力を巡る争いの始まりであると…今は気付ける余裕もなく。久しく離れていた温もりへと、顔を埋めてイザヨイは泣いた。古い血の覚醒に変色した瞳からは、普段と変らぬ涙が溢れ出る。

「ありゃ、何やってんスかね…剥げばいいスのに。どれちょっと呼んでゲフォ!」
「スマソ、手ガ滑ッタ。さんくタンヨ、空気読ンデイコーヤ」
「いちち、スネにトンカチが…いやでも剥ぐ場所が無くなっ…おーい、いっちギャース!」
「あわ、手が滑ったでする。今はそっとしとくでするよ」

 人目を憚らずとも、宝の山を前に気に止める者は居ない。その光景は周囲から完全に切り取られて、しかし長く苦しい狩りの、ハッピーエンドの最後の一頁として燦然と輝く…筈だった。もしも抱き合う少女達が、互いにただの平凡な人間だったなら。

『使命を…願い…遺産…今、果たす時…』
「ん…何?誰?…まさか」
「どしたん?いっちゃん」
「おーい、めるめる〜!いっちゃーん!でんこー!もりっと剥ぎ取るスよぉ!」
「むいっ!…そか、ハンターだもんね。見届ける義務、かぁ…ん?」

 ピシリ…不穏な音にトリムは振り向き、何事かと周囲を見渡す。ピシリ…二度目ははっきりと、浮かれて喜ぶハンター達の耳にも届く。下からでもはっきりと、ナル=フェインとルミラン=クロスビンの表情が激変するのが見て取れた。広がるどよめきの中心で、イザヨイもまた…何者かの言葉に耳を傾け、消え入るか細い声を自然と辿っていた。

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