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 荒れ狂う濁流は水の鉄槌となって。か弱い少女達へ容赦無く叩き付けられ、有象無象の区別無く揺さ振り引き裂いた。掴んだメルの手はあっという間に、激流にもまれて離れてゆく。悲鳴と同時に肺から空気が押し出され、入れ違いに雪崩れ込んでくる大量の水…イザヨイはもがき苦しみながらも懸命に手足を動かしたが。メルの姿が消えた視界は、徐々にぼやけて狭くなり、遂には閉ざされ闇が訪れた。

『定命の者よ…いと弱き人間よ。その中にあって選ばれし、超常の血を継ぎし者よ』
「…もういい、ほっといて。みんなが無事なら…少しでもこの力が役に立ったなら…」

 後はもう、どうでもいい。王国の策謀を掻い潜り、一夜にして砦からココットへと駆け抜ける過程で。驚くべき早さで覚醒を果たしたイザヨイ。彼女は疲弊し追い詰められて、決戦の地に一人立つ少女を救い…多くの仲間達を奮い立たせた。かくして古龍は打ち倒され、同時に村の命運も尽き…彼女自身も、何より尊い半身を失った。

『定命の者よ…ふむ、じゃあ少しアプローチを変えよう。ええと…いっちゃん、でいい?」

 閉じた瞼の裏側が、僅かに熱くほんのり明るい。薄っすらと目を開けば、何も無い虚空が広がる。だが、その中心に見慣れた人影が佇んでいた。ぼんやりと浮かび上がる金髪の少女は、屈託の無い表情でイザヨイへ笑みを返す。呼び方だよ、呼び方…そう言われて戸惑いながら、訳も解らずイザヨイは頷いた。

「うん、じゃあ、いっちゃん。さっきはゴメン。ビックリしたっしょ…あ、今もか」
「あ、あの…」
「メル=フェインとゆー人間のカタチを借りてるんよ。僕は…キミ等が老山龍と呼ぶモノ」
「じゃ、じゃあやっぱり…さっきから語りかけて来てたのは」

 コクン、と頷く仕草も間違いなくメル=フェイン。呆気に取られるイザヨイに構わず、その姿を借りた老山龍は喋りだす。声や口調、語彙にいたるまでメル=フェインそのままに。

「ずっと探してたんよ…今の時代で、僕が使命を果たせる相手を」
「ま、待って…使命?貴方はいったい…!?」

 再び眩い光が溢れて、イザヨイは先程同様に情報の渦へと放り込まれた。だが、今度はその手を引く者が居る。メルの姿を借りた老山龍は、イザヨイを誘導するように歩み進んだ。

「いきなし全部ドーンと見せられても困るよね。とりあえず…かいつまんで、っと」

 フラッシュバックするイザヨイの視界が、急激にトーンダウンして落ち着く。気付けば広がる星の海…だが、見上げる夜空とは全く違う。イザヨイはそこが宇宙だと知覚することが出来なかった。知り得ぬながらしかし、漠然と現状を噛み砕いて飲み込む。恐らく使命とは、自分に何かを見せること…ふと、以前の老山龍の思念が呟いた一言を思い出した。それは遺産という言葉。

「あれがキミ達の住んでる星ね、ただし…ずーっと昔の」

 足元に赤茶びた星が有った。濁った大気の底に、異形の進化を遂げた生物が蠢く歪な惑星。クローズアップされる地表の様子はどれも、現在の生態系を微塵も感じさせない。信じられないといった表情で目を瞬かせ、イザヨイは眼下の光景とメルを…メルの姿をした老山龍を見比べる。

「あー、えと、自分の住んでるトコが丸い星だってのは…」
「そんな学説もある、程度には…でもこうして見せられちゃうと…」
「むふ、まぁそゆもんか。あ、ほらこれ…ここからが始まりだよ」
「あれは…何?船?…まるで棺みたい」

 死の星へと何かが降下し、それは地中深く埋め込まれた。恐らく数百年が数秒に縮められているのだろう…瞬く間に、その星は澄んだ大気と青い海を湛え、見慣れた動物達が随所で生を営み始めた。まるで先程埋葬された何かが作用したかのように。続いて現れたのは、遥か無限の虚空より飛来した、自分達と同じ姿を載せた船。

「私達は…その御先祖様は、外から来た?」
「まぁまぁ、も少し見て。ここからが長いんよ」

 豊かな大地へと変貌を遂げた星へ、人々は歓喜と共に降りてゆく。そして地に満ち、繁栄を謳歌して…花咲き結ばれた実の如く。腐って地に落ちるように、衰退して消えていった。再び永き刻を経て、新たな人類がこの星へと根を下ろし…同じ事の繰り返しが何度も続く。
 円熟したどの文明でも、差別と貧困が争いを呼び、環境の悪化と共に種を追い詰めてゆく。どの人類も結末は同じ…それでもこの星は、幾度か壊滅的に荒れながらも、意思ある何かに支えられるように清浄さを保っていた。

「…酷い。どうして?みんな、あんなに凄い技術や科学、魔法みたいなのもあったのに…」
「今に解るんよ、キミ等も…ま、それはさておき。見て見て、真打登場」

 何度目だろう…この地へ流れ着いた人類は。航海の果てに辿り着き、橋頭堡を築いて後続を招聘する人々。またも大量の移民達を乗せ、巨大な方舟が姿を現した。繰り返される愚かな営み…その始まりに過ぎぬワンシーン。しかし、頬に手を当て見入るイザヨイの瞳は、この後予期せぬ異変を網膜へ焼き付けられた。

「…彼等がキミ達の直系の御先祖様。そして、この出来事の前後は実は僕も良く知らないんだ」

 知らされていないから…そういってメルの顔で苦笑する老山龍。旧世紀の人間達も自分も、皆が皆この方舟の人々より連なる種らしい。そして、この星で最も栄えた人類でもある、と老山龍は語った。目の前では、惑星表面の蒼い爆発が映し出され、ノイズ交じりの記録は薄れて消えた。
 旧世紀の人々は皆、この時の出来事を必死で歴史から掘り出そうとした。血眼になって文献を漁り、あらゆる痕跡を求めて彷徨った。銀河の大海を自由に行き来し、あらゆる生物を自在に弄んでも…旧世紀の人々は、過去と現在の壁は越えられなかったのだ。ただ、何かが起こってこの星は再び、自然の姿となって人類を迎えた。逞しくも厳しく強大な、時に脆く危い大自然として。

「この星を維持していた何かが失われて、それでもこの星は豊かだった」
「維持していた何か…最初にこの星に埋められたアレのこと?じゃああの爆発は…」

 既に混乱気味だったが、何とか自分の中で整理しながら。イザヨイは老山龍に話の続きを促した。

「で…お約束だけど。彼等も繁栄の後に衰退へと推移した。前例通りにね」
「でも、子孫の私達は生きてるよ?旧世紀って言っても、千年位前って言われてるけど…」
「うん、この星は人類絶滅と同時に、荒れ果てた環境が再生してたんよ…今までは」
「欠落した歴史の中で、その再生を司る何かが消失した…ではどうして?」

 宙を漂うメルの姿は、伸ばした手の先で指を鳴らす。パチン、と場に不釣合いな音が響くと、再び映像が広がった。そこに映るのは、今でも黄昏の時代として言い伝えられる、世界各地に痕跡を残す旧世紀…今でこそ旧世紀と呼ばれるが、その超文明が全盛を極めて折り返しに差し掛かった時期。

「仮に神としよう…神がこの地にシステムを構築した。この星を維持するシステムを」

 声のトーンが落ちた。口調はもはや、聞き慣れたメルの軽快さが無い。その空色の瞳は虚ろに、どこか懐かし気に広がる光景へ視線を注ぐ。そこは恐らく、老山龍が生まれた時代だから。そして彼曰く…ここにこそ、果たすべき使命と伝えるべき遺産があると言う。イザヨイは乾いた唇もそのままに息を飲んだ。

「旧世紀から見ての旧世紀、それは失われた…で、人がシステムを構築した。それが『塔』さ」

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