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「やれやれまったく、よくこれで眠れるものです」

 何度目かの寝返りで、堅い砂岩質の感触を確かめながら。カロンは耳を塞ぐように毛布を被り直した。いつもならこの時間は、暖かく柔らかいベットで眠るはずが…今は砂嵐を避け、岩場の裂け目に身を潜めて横たわる。昼は灼熱地獄の砂漠も、夜は煉獄の如き寒さで彼を苛んだ。
 思えば今日はとんだ一日だった…吹き荒ぶ風と少女のイビキを聞きながら、カロンは初めて体験する実地調査を振り返った。危く銘入りの砂竜に食われそうになったり、砂嵐に足止めされたり…食事もろくに喉を通らず、眠ろうにも凍えて眠れない。

「…今のうちに寝ておけ。明日も朝は早い」

 抑揚の無い声に、カロンは思い切って身を起こす。赤々と燃える焚き火の前で、その声の主は黙々と作業をこなしていた。炎の揺らめきが照らす端整な横顔は、周囲の暗さも相まって表情が読み取れない。最も、初めて対面した時からずっと、眼前の女性ハンターは無表情だったが。

「彼等みたいにはいきませんよ…何せ現場は初めてなもので」

 恨めしそうに同僚を眺めながら、今すぐの就寝を諦めて立ち上がるカロン。ヴェンティセッテは隅で腕組み座り込んで、規則正しい寝息を立てている。その横で大の字に転がってるサンクは、この底冷えする寒さに堪えた様子も見せず寝言を呟いていた。やれやれと溜息を吐くカロンが焚き火へ歩み寄ると、暖かなマグカップが差し出される。

「これはどうも…ああ、自己紹介がまだでしたね」

 二等書士書庫限定、カロン=バルケッタ…そう名乗って茶を受け取り、焚き火を挟んで腰を下ろす。さして興味を示した様子も無く、相手は短くクリオ=スポルトと名乗った。最も、名乗られるまでもなくカロンには承知の事であったが。
 その名を知らぬ書士など、恐らく図書院に居ないだろう。ココット村出身の凄腕ハンターで、数多の狩りを生き抜いてきた若き射手。そして昨今では、宮廷軍師様の意中の人物として、まことしやかに噂が囁かれているのだから。

「…何か言いたげだな、書士殿?」

 ボウガンの弾薬を整理する、その手を止めず視線も反らさずに。クリオはカロンの視線を感じて言葉を促した。彼女も名乗られた名に心当たりがある。生死を賭けた狩猟の日々の、その合間に…束の間、安らぎを共有できる唯一の人物から、その名を聞いていたから。親しみと敬愛を込めた悪口雑言と共に。

「あ、いえ…その、何と申しますか。話せば長くなりますが、そもそも今回…」
「…フッ、噂通りに御節介だな。人がいいというか、何というか」

 クリオは僅かに微笑を零した。僅かな表情の些細な変化はしかし、瞬時に消え去る。さながら散るために咲く、桜の花のような笑み。すぐさま無表情に戻った彼女は、眼前の男を一瞥。カロンはしきりに言葉を選びながら、会話の糸口を切り出しあぐねていた。

「つまりですね、彼の先輩として私は…そうです!まぁ、平たく言えば…」
「…悪いが書士殿、言いたい事は解るが。言葉では応えてやれん」

 彼は危険を顧みず、或いは危険を危険とも解らずに。恐らく、ただ友を案じてこの砂漠へ身を投じたのだろう。なるほど心配したくもなる…内心、クリオは苦笑を禁じえなかった。将来を約束された宮廷軍師と、明日をも知れぬ日々を生きる一介の狩人では。その巡り合わせは、誰の目にもノーフューチャー…当人同士を除けば。

「…その目で直に見て、自分で判断するのだな」
「あ、ちょっ…」

 整理し終えたポーチを傍らへ寄せると、クリオは背を向け横になった。真意を聞き損ね、その人となりを掴み損ねたカロンを残して。溜息と共に寝床へ戻ってゆくその気配を感じながら、静かに目を閉じ眠りを招く。普段なら、どんな環境でも眠れる自信があったが…睡魔は直ぐには訪れない。代って瞼の裏に浮かぶのは、狩場では努めて忘れるようにしている人物の顔。その優しげな笑みがしばらく、彼女の意識を捕らえて離さなかった。

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