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「おや、どうしました?寝不足ですか、ヴェンティセッテ君」

 すっかり固くなった身体で、気持ち良さそうに伸びをしながら。カロンは同僚へ、その翳り疲れた表情を心配して尋ねた。もともと血色の悪い顔が今朝は、蒼白に強張って。二度目に呼び掛けた時、初めて気付いたヴェンティセッテは、弱々しく曖昧な笑みを浮かべ応えた。

「さぁて、今日も元気に朝飯狩りからッス!レッツ、行ってみよッス〜!」
「ちょい待ち!昨日の残りを俺が…まぁ見てな。とびっきりの朝飯、作ってやるぜ?」

 朝日が染める砂漠は、眩く輝く金色の絨毯。また始まる灼熱の一日を前に、今日もサンクは元気そのもので。朝食の準備を始めるウィルも、黙々と出立の準備に追われるクリオも平静そのもの。ただヴェンティセッテだけが、朝焼けを手で遮り溜息。実際彼は、言いようの無い疲労感に苛まれていた。肉体的な疲労など、ものともしない彼だが…胸の奥にズシリと、昨夜聞いた真実が重い。

『騎士団下がります、戦力60%ダウン!殿下、このままでは戦列が…』
『だめだ、あの野郎を止めろ!恐怖で頭ぁヤラれちまってる!奴の眼を見るな!』
『嘘だろぉ!?なぁ、レイチェル!俺等《鉄騎》が…返事しろよっ、レイチェル!』
『おお痛ぇ…揃って総崩れ、か。ん?おい…あーそうかよ、手前ぇ等!援…護、だ』
『団長殿、かたじけない。然らば後は征くのみ…いざ参る』
『ふむ、あれは父さんの造った龍撃槍…では、最後のチャンスに賭けてみましょう』
『辺境の狩人に遅れを取っては、王家の名が廃る!誰ぞ、動ける者は我に続けっ!』
『見ろ、奴が…伝説の黒龍ミラボレアスが。俺達ぁ勝った…のか?』
『殿下!殿下ぁ!おお、此方でしたか…奴めは逃げ出しましたな』
『この有様を見ろ、勝利とはまるで程遠い…クロトワ、何人残った?』
『生存者は重傷者を含めて二割強、ですな。特に《鉄騎》の被害が甚大で…』
『団長…?ねぇ、どしたの?起きてよ、終わったよ?ねぇ…ねぇ!起きてよぉ!』

 まるでその場に居たかのような、嫌に臨場感溢れる情景が思い出されて。国家の最重要機密を知ったという重責。そして何より、同じ狩りに生きる者達の、壮絶な過去に胸が痛んだ。普段から感情の起伏に乏しいとの自覚はあったが、今のヴェンティセッテは普段の平静さを装う事すら困難。

「…何故そんな顔をしている?お前が思い悩む筋でもあるまいに」
「貴女は…いえ、すみません。ただちょっと人として、どう整理したものかな、と」

 朝日を浴びて、光を反射せずに吸い込む漆黒の鎧。伝説の黒龍が去り際に残した、僅かな残滓を掻き集めた防具は、それと引き換えに多くを失い過ぎた者を包む。その姿を直視出来ずに、ヴェンティセッテは俯き呟いた。そんな彼の背をポンと叩いて、クリオは歩き出す。

「…おかしな奴だな。気にするな、と言っている。ウィルを見ろ」

 旧知の同胞と過去を分かち合い、別の未来へと歩む者が居る。クリオがそうであるように、ウィルもまた癒えぬ傷を抱きながら、それでも生きてゆくのだ。普段から陽気に振舞い、今もサンクと朝食を取り合う背中…ヴェンティセッテの眼には、その背がどこまでも広く感じられた。

「おかわり!いやぁ、ウィルさんは男だてらにお料理上手ッスねぇ!」
「嗚呼、ストラさん…貴女のゴハンが恋しいです。トホホ、ちょっと挫けそう…」
「おいおい、底なしの食欲だな御嬢ちゃん…おーい、そっちの御両人!飯だぞー」

 振り向くウィルに応えて、ヴェンティセッテもクリオの後に続く。人の感情とはかくも不思議なもので。理解しようと頭を抱えても、決して答えが得られぬ代わりに…胸を熱くする想いが感じられれば、それが答えと言う者も居る。だからヴェンティセッテは思う…まだ、そして恐らく永遠に解らないとしても。そう思う自分を覚えておこう、と。

「それでも気にしますよ、クリオさん…これ、みんな同じですかね?やっぱ」
「…知らん。それに昨晩も言った筈だろ?私はもう、忘れる理由が出来たんだ」

 それが何なのかを、ヴェンティセッテは後に知ることになる。その理由こそが、彼の同僚に熱砂の大地を踏ませた、目的そのものだという事を。クリオはもう、捨てた名前を拾い上げ、大事に胸の内に仕舞って生きる。忌まわしい過去を忘れさせ、共に未来を歩む者との間に…いつか必ず、その名と再会するだろうから。

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