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「あら、もう着替えちゃったの…残念ね、似合ってたのに」
「ふふ、かけるだけの恥をかいた、って顔してましてよ?御疲れ様」

 山猫亭へ戻るなり部屋へ駆け込んだクリオ。彼女が着替えて酒場に戻ってくるなり、ブランカとクエスラは顔を見合わせクスクスと笑った。無愛想な無表情が僅かに、気疲れを帯びていたから。着慣れぬドレスで王城まで出向き、あちこち引っ張り回されたのだから無理も無い。

「…少し肩が凝った。ずっと人形の様に、御行儀良く愛想良くしてたからな」

 深い深い溜息を吐き、クリオはカウンターへ腰掛ける。御披露目と称して、未来の旦那様に連れられ城内を上へ下へ…いかに作法を心得ていようとも、流石に疲れるというもの。宮廷軍師殿の交友関係は多岐に渡り、その隅々まで紹介されて挨拶して回ったのだから。

「…アイツめ、王女殿下をまるで近所の顔馴染みのように…ん?」
「まあ付き合え、今夜位は飲んでもいいだろう?乾杯してもらうぞ」

 気だるそうにメニューを眺めていると、隣のブランカがグラスを差し出す。クエスラが取っておきのボトルを取り出し空けると、クリオは杯を受けざるを得なかった。

「そうそう、おめでたい日ですものっ!今夜は私が奢りますわん〜」
「…そうだな、ありがたく貰おう。今日は酔わねば眠れそうにない」
「そうと決まれば、私の勝利に!乾杯っ!」

 多くのハンター達で活気付く、宵闇の酒場の片隅で。度の強い蒸留酒をなみなみと注いで、杯を交わしたその瞬間。クエスラとブランカは一息に飲み干し、ダン!とカウンターを空のグラスで叩く。呆れたように二人を交互に見ながら、クリオも舐めるように口を付けた。下戸の彼女は、たちまち頬に赤みが差す。

「…待て、何がお前の勝ちなのだ?」
「あら、決まってるじゃない…狩りのスコアよ。貴女は家庭に入るんですもの」

 ニヤリと笑って、ブランカはボトルへ手を伸ばす。ライバルの勝利宣言に呆れつつも、それでこそとクリオも僅かに笑みを零した。自信に満ちた、不遜とも思える物言いも許せるからこそ好敵手…黙ってボトルを奪い取ると、クリオはブランカへ二杯目を注いでやる。彼女の誤った認識を正しながら。

「…悪いが最後に引き離させて貰う。女将、ここ最近で最も活発な銘入は?」

 グラスの中に酒を遊ばせながら、酔いに潤んだクリオの瞳が鋭く光る。それはまだ、狩りに生き狩りに死す狩人の眼差し。目前に迫った幸福な明日さえも、彼女を安穏な今日へと繋ぎ留めておけない…否、約束された幸せがあるからこそ。その前に狩人として、最後にして最大の挑戦を果たさずには居られなかった。
 銘入…それは歴戦の古参狩人さえも恐れる存在。飛竜にして飛竜に非ず、その力は龍の銘に違わない。つい先日も砂漠で、その恐ろしさを肌で感じ、直に見聞きして来たばかりなのに。クリオは銘入の魔性に魅入られてしまった。満身創痍でありながらも、神の如く人を見下ろす閃龍と相対したその日から。

「ハン、面白いわ…女将、私にも教えて頂戴。勝ち逃げされても癪なのよね」

 焔龍…女将がその名を囁いた瞬間、酒場の喧騒が静寂へと変わった。ある者はカードの手を止め、またある者は思わず立ち上がって。誰もが固唾を飲んで、怒れる火竜の王の、その最新の情報に耳を澄ませた。注目の視線を背に浴び、不敵に笑ってブランカが話の先を促す。

「詳しく話してもいいけど…覚悟は良くて?特にクリオ、貴女」

 黙って退いてくれる事を願いつつ、そうはならないと思いながら。やはり思った通りにクリオが頷くと、クエスラはハンターズギルドの最新情報を語り出した。俄かに周囲が慌しくなり、我先にと狩人達が席を立ち始める。既にもう、狩りの火蓋は切って落とされた。

「いいわ、今回は御祝儀代わりに譲ってあげる。でも狩れるかしら?あの焔龍を」
「…是非も無い。もう一人じゃないから…やっと相棒が出来たから」

 今、こうしている瞬間も。クリオの相棒は星明りの下、不器用に不慣れな剣を振るっているだろう。教本片手に、相変わらずの無防具状態で。例え拙くとももう、一人の狩人として自分の道を歩み始めたから。次に会う時、一緒に狩りへと出るその時。間違いなくサンクは、クリオと対等の狩人として…何より相棒として肩を並べるだろう。
 ランプの明かりに翳したグラスに、満ちた琥珀色の液体が揺れる。その小さな波間に、頼れる未来の相棒を思い浮かべて。静かに闘志を滾らせると、クリオは最後の狩りに祈りを捧げて、杯を乾かした。

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