「解ッタ、アレダ…『この卵なら目玉焼きが百個出来るッス!』トカ考エテルナ」 「あら、多分報酬の事を考えてるんじゃないかしら…報酬で食べる物の事、とか」  晴れ渡る午後の日差しに、光り輝く労働の汗。森は静かに葉をそよがせ、丘は雲の影を写して佇む…穏やかな夏の午後、絶好の卵運搬日和。黙々と小走りに先を行くサンクを見て、ツゥとブランカは口々に囁きあった。 「さんくタンヨ、ソンナニ急ガナクテモ大丈夫ダ。焦ッテ転ブト卵ガ割レルゾ」 「静かね…それにしても上手くいったわ」  あらかじめ邪魔なランポス達は片付けておいたし、大人しい草食獣は刺激しなければ問題無い。後は卵を納品するだけ…火竜との戦闘を避けたとは言え、あまりにも順調。スタミナに気を配りながら、急ぐサンクとはぐれぬように。二人のベテランハンターも慣れた手付きで卵を運ぶ。  卵…それは竜が育む種の礎。両手で抱えて余る程の大きさに、成人男子一人分程の重量…それは正しく、大自然に君臨する竜に相応しい風格。その希少さから珍重され、上流階級の者達は挙って竜の卵を求めた。それが生命の源である事など忘れて。人の傲慢さ…それもまた、ハンター達の日々の糧である。 「…る…れるッス!い、急ぐス…二人とも急ぐッスよ!」 「困った子ね…急いては事を仕損じる、って言うんだけど」 「トモアレ、少シハ警戒シタ方ガ良イナ」  その大きさ、その重さ…屈強な男達ですら、運ぶだけで難儀なシロモノ。無論、鍛え抜かれたハンター達でさえ、ベテランと言わずルーキーと言わず…卵を運ぶ時だけは無防備。今その無防備な三人が、見渡しの良い野原を行く。何の遮蔽物も無い場所での行動は、普段から一番危険とされていたが… 「静か過ぎるわね…」 「…ウホ、何カ良カラヌ悪寒」 「わわ、げげ、げっ、限界ッス〜!い、急ぐスぅ〜」  三人の他には何故か、生き物の気配が全く無い。無風無音となった中を、サンクだけが疑問も抱かず必死で走る。冷たい汗を流しながら、半べそで歯を食いしばって。鳥一羽、虫一匹感じぬ大地…その静寂を破る翼が空を裂き、三人に巨大な影を落とした。続いて響く咆哮が空気を震わせる。 「…ぶらんかヨ、振リ向イテモイイカ?」 「…オススメ出来ないわね。随分とお怒りのようだし」  強者の理が全てである大自然…降臨する暴君へ傅くように、あらゆる生命が息を潜めて暫し待つ。その怒れる脅威が通り過ぎるのを。それが摂理であり、従う事だけが生きる術。それを知らず解らないのも、知って抗うのも人間だけである。今正に、陸の女王リオレイアの羽ばたきが、三人のすぐ背後に舞い降りようとしていた。サンクだけが一人、それどころでは無い様子でひた走る。 「ツゥさん、もう一往復して下さる?私が足止めを…」 「無理ポ…ココハ逃ゲルガ勝チ。蛮勇ハ勇気ニ非ズ、ッテナ」 「あら、聞いた事ない格言ね…誰の御言葉かしら?」 「ウチン村ノ村長…一人デ挑ムノハおすすめデキナイナ」 「じゃ、二人でもう一往復で…どうかしら?」 「…イーンジャネーノ?」  二人は腹を括った。背後で吼えるは荒ぶる雌火竜…人が生身で挑むには、余りに強大な存在。だが、卵を抱えて逃げ切れるとも思えない。卵を盗み出した事自体が、既に逆鱗に触れる行為なのだから。  足を止めて頷き合うと、ブランカとツゥは覚悟を決めて卵を手放す。筈だった。筈だったが、振り向かずとも既に感じられるほどに、二人を覆う強烈な殺気。灼けた吐息に混ざる腐臭と、滴る酸のように熱い唾液…間違いなくすぐ背後へ、怒りに血を滾らせる母竜の姿が迫っていた。 「走るッス!何も考えずに走るッスよ!じゃないと…じゃないとっ!」  食い止める?二人で?熟練者の勝算すら、非情な現実の前では虚しい。卵を捨てると同時に散開、弾丸をボウガンに込めて炸薬を装填、ハンマーを構えて左側へと回り込む…それはもう机上の空論。気付けば二人はサンクを追って、無我夢中で走っていた。ズシリと重い卵の感触だけが、それを抱えて必死で逃げる意味を実感させる。大気を沸騰させて放たれるブレスに、森の外へと追い立てられるように…三人はなりふり構わずキャンプへと逃げ込んだ。 「…ま、まぁ、今日の所は勘弁してあげる。納品第一よ、プロなら」 「ウヘー、死ヌカトオモタ。デモ無事納品、ト…オロ?さんくタンは?いんシタオ?」 「あら、そういえば…でも見直したわ。あの状況下で冷静に逃走を判断出来…ん?」  命からがら逃げ込んだキャンプで。諦め飛び去るリオレイアを見送り、ブランカが呟く。幾千の獣を狩り、数多の竜を退けてきた彼女でさえ…卵を抱えては戦えない。ともあれ、無事依頼をこなして安堵の溜息を付き、新米ハンターの評価を少し改める。ほんの少しだけ。 「トッ、トト…ト、トイレー!いっ、いい、急いで街に帰るッスよ!も、漏れるぅ〜」 「裸デ歩イテッカラ腹冷ヤシタンダナ。ホラ、つたノ葉ヤルカラソノ辺デ…」  眩暈と失望に見舞われながら、ブランカは納品物を収めた箱の蓋を閉めて。深い深い溜息を付くと、前屈みで駆けて行くサンクをツゥと追った。平穏を取り戻した森に、再び戻り来る生命の息吹。鳥や虫、木々までが生き生きと活気を取り戻す。それが竜の怒りより開放されたからか、はたまた人間達が去ったからか…それだけは誰にも解らなかったが。