濁流の如く迸る黒い血。粘度の高いそれは、切っ先に触れるそばから高熱で気化した。火竜の翼爪を封じた紅蓮の翼…サンクの操るレッドウィングが唸りを上げる。両断された尾先が宙を舞い、焔龍の絶叫に震える空気。遺伝子に刻まれた太古の恐怖を、呼び起こすかのような咆哮が響いた。  黄道を家路に着く太陽の光。それを遮り翼が羽ばたく。炎の暴君、焔龍リオレウス…その怒りに血走る巨大な眼は、眼下の人間を睨んで飛び去った。止まらぬ尾の出血もそのままに、手負いの火竜が丘を超えて森へ消える。 「ナイスチョップ!制限時間まであと少し、早く追って追って〜」 「おう、逃がさねッス!…ってアララ、いっちゃん?何してるスか?」  返り血を拭いながらも、剣を背負って駆け出すサンク。その背を見送り声を掛けるイザヨイは、いつの間にかそこに佇んでいた。先程切り落とした尾の側へ。それは未だ生命力の片鱗を宿しており、血に塗れながらも小刻みに跳ねる。もはや巨大な肉塊に過ぎぬが、それでも近付く動物は居ない。 「むふふ、いいから追って。尻尾は私がみててあげるから…ね?」 「う、ういス…あれ?そういえばいっちゃんは…とと、まいっか。行ってくるス!」  既に焔龍の羽ばたきは、遥か遠くの森へと消えていた。期限の夕刻まであと僅か…躊躇している暇は無い。弱った焔龍を落とし穴で絡め取り、生け捕りにして納めねばならないのだから。殺すは容易く、その手前を極める事は難しい。まして相手は、殺す事すら容易に叶わぬ銘入の飛竜なのだ。焦りを押さえ込みながらもサンクは走る。イザヨイに見送られながら。 「ウホッ、さんくタン…焔龍ハアッチダナ。マ、つたノ葉トくもノ巣デモ拾ットケ」 「あ、ツゥさんも。何してるスか?いや、トラップツール…さっき調合失敗しちゃったス」  走るサンクを呼び止める声。またしても見知った仲間の登場に、サンクは首を傾げて答えた。呑気に土手へ寝転がり、自慢の戦槌を枕にしながら…ツゥは森の奥を指差す。その先は危険な渓谷地帯。狭い幅を樹木が覆う、自由の利かぬ緑のトンネル。地図上で9の番号が振られた場所で、手負いの焔龍が翼を休める。礼もそこそこにサンクは、この丘で一番の危険地帯に飛び込んだ。 「このニホイ…近い、近いッスね!うーし、今度こそトドメを…」 「困った子ね…殺しちゃ駄目、捕獲なんだから。地面に注意して罠を使うのね」  渓谷から吹き出る風は、豊かに棚引くブランカの髪を撫でる。その風にのる焔龍の嘶きを聞きながら、彼女は入り口でサンクを待ち受けていた。折りたたまれたボウガンが、手伝う気が無い旨を無言で語る。無論、サンクにも助けを請う意思は無い。頷きあって目線を交わすと、そのまま別れて渓谷へ…  僅かに光りの差す谷…緑の天蓋の上では、既に西日が地平に接し始めていた。左右を切り立つ崖に密閉された、自然の風の通り道…その回廊を流れる空気が突如逆流し、気圧の変動と共に熱を帯びる。焔龍の灼けた吐息が放たれたのは、サンクがその姿を視認した直後だった。 「どわーっちゃっちゃちゃぅ!し、しし…死ねるかぁぁぁあっ!」  火球がサンクを包み込み、非力な被弾者は無残に転げまわる。そこへ牙を剥く怒りの顎門…咄嗟に抜かれた大剣が、鈍い音を立てて軋んだ。狭く逃げ場のない谷底では、死闘というにはあまりに一方的。その幅一杯に身を翻して、焔龍リオレウスの巨躯がサンクを襲う。手負いとは思えぬ力に翻弄され、弾かれては吹き飛び、咬まれては砕かれた。 「こーなったら!必殺の超サンク樽爆弾(大)で…あっ!逃げる!こらー、待つッス!」 「むふふ、逃げられたー、追えー!…なんちって。多分巣じゃないかなぁ」  地べたに這い蹲るサンクをあざ笑うかのように、木々を揺らして焔龍が飛び立つ。悔しげに地面を拳で叩くサンクの、その直ぐ横に…屈みこむメル=フェインの顔があった。逃げ場が無い切り立つ崖も、良く見れば小さな横穴が一つ。そのエスケープゾーンで見守っていた少女は、唖然とした表情のサンクへ白い歯を零して微笑んだ。 「…めるめるまで何してるスか?」 「ん、仕事。めるもね、捕獲のクエスト受けてんの。も少しじゃん?後は罠へと追い込むだけ」  力強く頷いて立ち上がるサンク。着慣れた防具がズシリと重く、剣を握る指にも力が入らない…目に見えて疲労を感じるが、それは相手も同じなのだ。村を出てから今まで、良くも成長したものだと関心しながら。サンクは再びよたよたと走り始めた。崖を回りこんで、その上へ…断崖の頂上に隠れる焔龍の巣へ。 「捕獲の基本、先ずは疲れさせる事…むふ、も少しだねぇ」  意味深な笑みを残して、メルもまた立ち上がる。その目には確かに、ハンターとしての鋭い眼光が宿っていた。その瞳が映す獲物は、最後の舞台へ。だがそこは、メルにとっては始まりに過ぎず、きっかけを作る場所。やや時間をおいて追いつかぬように、彼女もまたサンクを追って走り出していた。