「んもー、怪我人なら大人しくしてれー!」  燦々と輝く太陽。緑を匂わせ萌える木々。そよぐ風が軽やかに渡る、ここはアルコリス地方森林部。嘗て雌雄一対の火竜が治めし、無限に広がる大自然。暴君不在となった今でさえ、その脅威は余りにも人間にとって厳しい。無論、汗だくでのろのろと走る、メル=フェインにとっても。 「むほー!怪我人だからッスよ…栄養わんさか取るんス!まてー」  木々の合間に鳴く鳥達と、草花の陰で鳴る虫達と。雑多な生命の大音響を突き破って、遠くから節操の無い声が聞こえる。親友の悪食を呪いながらも、メルは懸命に歩を進めた。少女を脱ぎ捨て始めた、しなやかなその肉体…女性的な柔らかさを損なう事無く、鍛え上げられた強靭な四肢。その全細胞に漲る力が、メル自身を前へ前へと押し出す。巨大な荷物を胸に抱えながら。 「待てといわれて待つめるじゃないもんね!」 「むむ、コッチから声が!そこスかー!」  内心、シマッタ!と思いながら。メルはキャンプへの道を急いだ。ここまで来て遂に、疲労が徐々に身を蝕みだしている。膝は震えながら笑い、腕は痺れて力が抜ける。形良い鼻の先から、玉となって零れる汗…喉を焼く呼吸と早鐘のような心臓。木陰でさえ身を焼く強烈な熱気の中、メルは無我夢中で走った。  何も依頼を受けての運搬では無い。今日のメルを駆り立てるものは、メル自身の意思と意地。それは偉業を成し遂げた後での、ちょっとしたアフターケア…それも自分に対しての。抱く一際巨大な卵は、言うまでもなくあの焔龍リオレウスと后龍リオレイアの物。 「やっばい、なぁ…ふふ、める、何やっ、てん、だろね…」  誰も報告せずとも、直ぐに夫婦の巣は見つけられてしまう。無論、そこに残された二つの卵も。これだけ立派な品なら、一つでも一等地に豪邸が建つほどの価値があるから。ただ、一番最初に見つけたのがメルだったから。そのことが今、彼女を突き動かしているのだ。自分でも理解しがたい、だがしかしハッキリと感じる想い。 「ふほほ、どこへいこーというのかね…見つけたっ!卵食わせるッスよー!」  もう駄目かと膝を付き、それでも落とさぬよう卵を抱きながら。メルは隠れる場所を求めて視線を彷徨わせる。その霞む世界に佇む、鮮やかな蒼髪の少女。彼女は優しい笑みでメルを迎えながらも、決して手を差し伸べたりはしなかった。何故か遠ざかるサンクの声に変わって、静かに忍び寄る殺意…それは青い狩人の荒い吐息。抜刀音がそれを掻き消すと、ポニーテールが音も無く揺れた。メルは何も考えずにただ、再度立ち上がって駆け出す。朦朧とする意識はそれでも、確固たる意思に支えられて。 「捕まえたッス!さぁ、その卵をよこ…あれ?めるめる?じゃ…ない!?」 「ホント、この上なく困ったコね。ま、若く見られて悪い気しないけど。それ、あげるわ」  遠くで交わされるサンクとブランカの会話も、襲い来るランポスとイザヨイの死闘も。メルの耳にはもう入ってはいなかった。ただ聞こえるのは、肌へと直に浸透するような、喧しいほどの大自然の息吹。鳥の声や虫の音でさえ、反響を体内へ感じる程に。  手の感覚はもう失せた。が、それでも重さはしっかりと感じる。それは命の重さ。こんなバカをしでかしてしまうのも、この重みが全てだから。それがメルには人一倍強く感じるから。幼い時には容易く奪い、今は誰よりも慈しむ…メル=フェインはもう、生命のやりとりで日々を生きるハンターだから。 「おお?これは…卵じゃないス!つーかこれは…見覚えあるよーな…ああ、樽ッスね」 「安心シロ、さんくタンヨ…濃汁ブッカケトイタゾ。ンジャ着火、ト」  遠くで爆発音がして始めて、ふと我に返るメル。気付けばもう、キャンプ前。どうやらもう一個の卵は、仲間達が既に搬出した後らしい。そっと卵を割らぬよう下ろすと、ふらりとメルは倒れこんだ。遅れて追いついたイザヨイの胸へと。 「おつかれ、メル…もう一個は先に、ココット村に向かったよ?」 「べ、べっつにー!める疲れてないもん」  強走薬を用意するんだったな、と。とりとめもない後悔が浮かんでは消え。それでも今は、大いなる満足に抱かれて。たとえ自己満足と言われようとも、たとえ偽善と言われようとも…メルは自分を曲げるつもりは無いから。例えその手から、絶えず命が零れ続けても。届く限り手を伸べ続ける事にしたのだ。別に偉いつもりはない。ただちょっと、仲間に胸張って生きたいだけ。 「めるねー、何も考えてないんよ…でも生きるっしょ?みんな…ねぇ?」 「うん」  奇妙な達成感から、不意の眠りに誘われつつあるメル。重い瞼に遮られる視界の、その狭まる片隅で。卵が小さく揺れたような気がした。皹が走り割れて、続いて乾いた音が響く。新たな生命の産声を聞きながら…メルは温かな暗闇へと落ち込んでいった。