『クソッ!あの野郎、逃げやがった…クソッ垂れがぁ!』 『ばっか、オメェ…マタタビ持たないからそうなんだよ』 『護符、取り戻したんだろ?いいじゃねぇか、放っときゃ死ぬさ』  突然のスコール。天の瓶底が割れたような雷雨に、男は口汚く吼えた。この場に書くのも躊躇われるような言葉を吐き散らし、仲間達に諌められながら遠ざかってゆく。尻の穴に爆薬ブチ込んで、まで聞き取れたが。その先に続く言葉と、その文面全体が体現する悲劇は、どうやら過ぎ去ったらしい。 『し、死ぬニャ…まだ厨房に入った事もないのに…死ねるニャ』  重い雨粒に全身打たれながら、人の気配が完全に失せるのを感じて。岩陰に息を潜めていたラムジーは、女将が待つ山猫亭への帰路を踏み出し…そして倒れた。薄れゆく意識を支配するのは、上下左右の感覚すら吹き飛ぶほどの豪雨。煙る視界に映る手は、びっしょりとドス黒い血で濡れていた。 「ふごー!ラ、ラムジーさん死んじゃったッスか!?」 「…いや、目の前で生きてんだろ。つーか話の腰折るなって」  芋菓子を頬張りながら、サンクが身を乗り出してラムジーに迫る。いよいよ話は核心へ…というその時。先程から完全に話に飲み込まれていたサンクは、その語り手を掴み持ち上げ揺さぶった。同席して酒を呑んでいたキヨノブは、やれやれと呆れて制止する。ここは雨の密林では無く、酒と歌で満ちた山猫亭の酒場。星は天高く、月はより天高く…合席者同士で犇めき合う時間帯。 「大丈夫ニャ、ほら…足も尻尾も有るんニャから」 「おおおお!良かったス〜、んで?んで?どやって助かったスか?」  徐々に消えゆく生命の灯火…無情にも雨は、ラムジーの体温を容赦なく奪い去ってゆく。そもそも自分の手癖の悪さが、このような事態を招いたのだが。それでもメラルーに生まれたからには、興味の引くものは手に取ってみなければ気が済まない。そして何故かハンター達は、彼等彼女等の気を引く物ばかりを持ち込む。森や丘、密林や砂漠…あらゆる場所に集落を持つ、メラルー達のテリトリーへと。 「…助けて貰ったニャ。通りすがりのハンターに」 「誰?誰ッスか?そん人ぁ」  骨付き肉を鷲掴んで、もりもり食い千切りながら。ほろ酔いサンクが先を促す。だが、ラムジーはそんな彼女を黙って見詰める。不思議そうに首を傾げて、サンクは青い髪を揺らした。黒猫の眼差し一つで全てを悟ったが、キヨノブは黙って杯を重ねる。焔龍殺しのハンター様は超鈍感。 「覚えてニャい?よーく思い出すニャ」 「え?あ、お…む?んー…あぁ!思い出したッス!」  もう駄目かと思われたその時、尻尾を掴んで引っ張り上げる手。ただあるままを映す虚ろな瞳に、火竜の鎧を纏ったハンターの姿。彼女は兜を脱ぐと、ずぶ濡れの黒猫に耳を当てる。誰であろうその人こそ、ありし日のサンク本人であった。 「思い出したかニャ!」 「思い出したッス!」  互いに指差し大きく頷いて。 「あの日、瀕死の我輩を」 「あの日、小汚い死に損ないを」  同じ過去と、互いの記憶。 「サンクは優しく抱き締めてくれたニャ」 「そうそう、これ幸いと肩に担いでキャンプに運んで」  食い違う歯車は、それでも回ることを止めない。 「そ、そ、そそ…そして、その肌の温もりで…」 「うんうん、携帯用の肉焼き器を用意して…」  ただ聞いてるキヨノブにそれは、どうにも滑稽で。 「サンクは命の恩人ニャ!ずっとお礼、言おうと思ってたニャ」 「ラムジーをあの日食おうとしたッス!いや、どーかしてたス〜」  ゲラゲラ笑ってサンクはジョッキをあおり、ラムジーの小さな背を叩く。遂に念願の告白を果たして、ラムジーも上機嫌に笑みを零した。真実は一つ、事実は不変…ともあれサンクは、結果的にラムジーを救ったらしい。食欲に勝る理性をどうやら、彼女は持ちえていたようだ。無論ラムジーの記憶にも、一部間違ってはいない箇所は有る。  双方誤解がありながらも、それに全く気付かずに。呆れる同席者を尻目に、手を取り合って喜び合うサンクとラムジー。その姿は全く持って奇異そのもので、何事かと話しかける仲間達に、その説明を強いられるキヨノブ。 「何?何したん?ねね、キヨ…何あったん?」 「おうメルちゃん…まーアレだ、実はな…」 「ウホッ?ナ、ナンダッテー!…ツマリ何?」 「それよツゥさん、つまりだな。要約すると…」 「あらそうですの?ちょっと拡大解釈しすぎじゃなくて?」 「いやいや女将、俺が聞いてた話ではもう既に…」  この夜ミナガルデに、新たなロマンスが生まれたとか生まれないとか。だが残念ながら、そもそもサンクには色恋沙汰が理解出来ない…周囲のハンター達が冷やかし遊ぶも手応え無く、そのツケは全てキヨノブに回ってくるのだが。後日キヨノブは嘘吐きのレッテルを貼られ、袋叩きにあって酒場の隅に転がるのだった。