「前髪が出てますよ、ブランカさん…いえ、殿下」  そう言いながら、報告書の束を差し出すトレントゥーノ。眼前の女性は受け取るなり、手早く筆を走らせる。前髪をギアノスフェイクに押し込みながら。筆跡は違うものの、手際の良さだけは本物同様に。瞬く間に承認済の書類が量産され、あらゆる案件が消化されてゆく。 「…はい、これで終了です。まったく、危ない橋を渡らせてくれますね」 「遠めに見れば判らないわ。殿下もそう仰ってたし」  砦の大砲に腰掛けたブランカは今、金火竜の甲冑に身を包んで微笑む。確かに傍目には第一王女と見分けは付かないし、見分けようとマジマジ見詰める命知らずは居ないだろう。眼下を睥睨するその佇まいは、一介のハンターとは思えぬ威風を湛えていた。演技力を誉めるべきか、その度胸に呆れるべきか。  トレントゥーノの心配を他所に、ブランカは一人ココットへ想いを馳せていた。虫の知らせとも言うべきか?トレントゥーノが吉報を齎すより前に、彼女は仲間達の勝利を確信していた。そしてそれはこの砦で、彼女一人という事も無く… 「ホントはね、私もランポスを借りようと思ったのよ。ココットに行きたくて」 「で、逆にお願いされてしまった、と…あっ、ちょっと!もっと殿下らしく」  砦に集ったハンター達は皆、開放されて家路に着いた。返却されたクエストの契約金に、心ばかりの色を付けて貰って。ココット村、防衛為る…その吉報に心躍らせ、参加出来なかった事を無邪気に悔しがりながら。彼等彼女等は開け放たれた城門から、街道へと続く道を帰って行く。頭上の第一王女に気付いた者は、ある者は深々と頭を下げ、ある者は物怖じせずに手を振り接吻を投げてよこす。黄色い声援に応えて手を振り返してみたが、ブランカは隣の書士にたしなめられてしまった。 「殿下はもっと優雅で壮麗、気品に満ち溢れ堂々とですね…」 「…悪かったわね、軽薄で貧相、演技に塗れてて」 「それでも堂々としてるのですから…大したものです」 「誉められてるのかしら?まったく…あら?あれは」  ハンター達に混じって、統一された装備の一団が門を潜った。大柄な書士に引き連れられ、彼等は整列して向き直った。最後に出て来た騎士の少女…かと見紛う少年へ向かって。書士という肩書きが嘘の様に、見るも逞しい長身のスペイド。そして、今や形ばかりとなった殿下に代わって、忙しく雑務を現場で片付けるマーヤ。並んで立つデコボコな二人を、ブランカとトレントゥーノは頭上から見守った。 「貴方達をここで解放します。国へお帰り下さい。ただし…」  瑞々しい少年の声が響く。彼等は東シュレイドから来た暗殺者達。ある者の手引きで、クエストに参加するハンターに混じって砦へ潜入。第一王女の暗殺を目論むも、此度は危く事無きを得た。問題はこれから…この者達の黒幕が身内と知れば、国王陛下はどれほど心を痛めるだろうか。そして王国という政治体制においては、極めて重い罰を免れぬ罪。王女が姉として許しても、弟は王子として許されない。 「ただし、今後もし再び貴方達が西シュレイド王国へ弓引く時は。その時はっ!僕達騎s」 「王立学術院の書士一同が御相手しましょう。今日拾った命を捨てる覚悟で御出でなさい」 「ちょ、ちょっとスペイドさん!今は僕が喋ってたじゃないですか!」 「マーヤ君では著しく迫力に欠けますからね…少し脅す位でいいんです」 「まったく、それに僕は聞いてませんよ?学術院にこんな戦力があるなんて…」 「あくまで図書院は王国最後の剣…騎士の相手は騎士、暗殺者の相手は私達ですよ」  足取り重く、東シュレイドのアサシン達も帰路に着く。東側へ無事戻ったとして、任務に失敗した彼等を待つものは何であろうか?少なくともマーヤには解らなかったが。スペイドは隣国の共和制という概念を、少年へ解説したい衝動を辛うじて留めた。知恵熱で倒れられても困るから。  やれやれ、と肩の荷を降ろして。最後に残ったのは王子の処遇…酷く猛省して許しを請い、第一王女殿下は姉として許しはしたが。こればかりは罪を免れぬと、暗い気持ちのトレントゥーノ。思わず胸の内で圧縮された憂鬱は、溜息となって零れそうになったが。不意に異様な威圧感を感じて息が詰まる。 「…今のは殿下そのものですね」 「奴等はハンターであると身を偽った…殿下がお許しになっても私は許さないわ」  鋭い視線の矢を番え、振り向く何人かを眼で射殺す。味方であれば無限に恩恵を与える第一王女は、敵には唯一つの物しか与えない。ただ冷徹な瞳で見据えて、自らの手で死のみを授けるのだ。故に、戦場でドスギアノスを駆る王女は、隣国から「シュレイドの白い魔女」と恐れられる。今、ブランカが発する冷ややかな雰囲気は、白い魔女そのものだった。 「でもま、王子は別よね…正直どうでもいいんだけど」 「ハンター家業には無縁な話でしょうけど、王室にとっては一大事…何ですか?その手は」 「ゴホン!王城への報告を書かねばならぬ。要点のみ纏める故、後で清書して持ち帰るがよい」 「心得ました、殿下…じゃなくて。サインならまだしも、流石にばれると思いますけど」  トレントゥーノの心配など意に介さず、ブランカは渋々差し出された羊皮紙に筆を走らせる。ハンターとは思えぬ見事な達筆を披露し終えて、ブランカは走り書きをトレントゥーノへ押し付ける。彼女は事件の一部始終を見ていたし、そうそう妙な事を書く理由も…そう諦めたトレントゥーノ。しかし、その文面は彼の予想の斜め上を行くトンデモ文章だった。が、不思議と笑みが込み上げる。 「フフ…これはまた。では殿下、これで清書を起こしてよろしいでしょうか?」 「もう殿下はよして頂戴…着替えてくるわ。私もココットに行きたいもの」  踵を返す姿も優雅に。今や第一王女その人としか思えぬブランカは、悠々と自室へ引き返していった。トレントゥーノは報告書の文面を考えながら、彼女のしたためたメモを読み返す。そこには几帳面そうな字でこうあった。ただ一文…"王子の外交的手腕の賜物故か、東シュレイドよりの援軍アリ"と。後に口裏を合わせたように、騎士団も学術院も、王女も無論そうだと言い張った。そしてこの一件が、この一行にも満たぬ走り書きが…東西に分かれたシュレイドに新たな局面を齎す事となった。が、それはまた別の御話。