カロンの発した一言に、ヴェンティセッテは思わず言葉を失った。突然の不意打ち…それも予想外の。一瞬だけ停止した思考を叩き起こすと、彼は必死で上手い言い逃れを探し始めた。何故、平凡な内勤書士の口から、知る者の限られた言葉が零れたのか…再度問おうと開いたカロンの口を慌てて塞ぎ、思わず周囲を見渡す。幸いにも、彼等二人の会話を聞くものは居ない。他の者は夕食の支度に忙しく…その一人と眼が合った。傭兵団《鉄騎》の剣士は、意味深な笑みで目を逸らす。 「もがが、何です?ヴェンティセッテ君…私はただ、ケースDとは何かと」 「しっ!カロンさん、それ以上は!ウォーレンさんですね?全く…あーもう、弱ったな」  ジェラルミン色の髪を掻き毟りながら、ヴェンティセッテはどう対処したものかと頭を抱えてしまった。それにしてもまさか、百人隊長クラスの人間が知っているとは驚きだったが。ウォーレン=アウルスバーグ…掴み所のない要注意人物だと認識を改め。訳も解らずきょとんとするカロンに、溜息とともにヴェンティセッテは語りかけた。 「カロン=バルケッタ二級書庫限定書士、これから話す内容は…」 「な、なんですか急に改まって」 「いいから聞いて下さい…ケースDに関する情報は王立図書院の特秘事項なんですから」 「そ、そうだったんですか!?いったいどんな内容が…」  王立図書院に封印されし、門外不出の特秘事項…ケースD。本来ならカロンのような、一般の書士には存在すら知られてはならない物。西シュレイド王国は王立図書院に命じて、長らく極秘事項として封印して来たのだ。決して歴史の表舞台に曝される事の無い、人智を超えた戦いの歴史を。  ケースDのD、それはドラゴン(古龍)のDであり、ディザスター(災厄)のDを表す。シュレイドの歴史において、決して公開する事の出来ない、古龍との大規模戦闘を記録し後世に残す機密文書。その内容を閲覧できる者は限られ、ヴェンティセッテですらその存在を知るのみに過ぎない。 「兎に角…何だってそんな事聞くんです?下手すりゃクビですよ、カロンさん」 「それは困りますっ!ストラさんに怒られますよ、そんな事になったら…でも」 「…二人とも、暇なら手伝って…ん?何だ?」  突然の呼び掛けに、カロンとヴェンティセッテは思わず硬直。そのままユックリを振り向くと…今夜のメインディッシュを狩って来たクリオが、無表情で首を傾げた。二人の書士は、まるで密談を聞かれたかのように飛び去り、互いに相手の口を塞いでいたのだった。 「そ、そそ、そうですね!何かお手伝いしましょう!いやぁ、お腹空きましたねぇ」 「う、うん…あ、アプケロスの肉かい?じゃあ俺が焼こう。いいから貸して貸して」  わたわたと慌しく、カロンもヴェンティセッテも動き出した。ケースDとは、一般人の預かり知れぬ領域…そして、知られてはならぬ禁断の記録。それ以上の詮索を諦めてしかし、カロンの謎は深まるばかり。引きつった笑顔のヴェンティセッテへ、草食竜の肉を渡すクリオ…彼女の過去とケースDに、果たして如何なる関係があるのか。火を起こし鍋をかけるサンク達へと歩み寄りながら、カロンは再び考え込んだ。もしや友は、素性の知れぬ未知の危険を、伴侶として迎えようとしているのか?疑念が胸中を過ぎる。 「よぉ、大将!どうだい、何か解ったかい?」 「わっ!ウ、ウォーレンさん…驚かさないで下さいよ」  ウィルでいいって、と気さくに笑いながら。手際良くスライスサボテンを鍋へと放りつつ、ウィルがカロンを呼び止める。どうやらその屈託のない笑顔は、二人の書士の狼狽振りを予測していたようで。恐らくはちょっとした悪戯心もあったのだろう。 「とりあえず、職は失いたく無いんですが…気になってしかたがありませんよ」 「はは、悪かったな…ちょっとした冗談さ。ま、女の過去なんて詮索するもんじゃねぇ」  そう言うと、ウィルは貴重な香辛料の袋を取り出し、慎重に鍋へ一つまみ。味見をせがむサンクをなだめながら、火加減を薪で調節して蓋をする。もう既に話題を打ち切っていたが、その背は暗にこれ以上の詮索は無用だと無言で語っていた。