「ま、無事で何よりです。怪我らしい怪我も無い様子で」  受け取ったレポートから、チラリとカロンに眼を移して。その真っ赤に腫れた頬に苦笑すると、トレントゥーノは再びレポートに眼を落とした。砂漠での異変を克明に綴ったそれは、カロンにとって命懸けの大冒険の末に纏められた貴重な記録。書士隊としての現地調査に関してはド素人の彼が、無傷で生還出来たのは奇跡に近い。最も、帰宅後は奥方にキツイ一撃で出迎えられたようだが。 「酷いんですよ全く…平手じゃなく、グーで殴るんですよ?」 「それだけ心配されたのでしょう。で、目的の方は達せられましたか?」  既にカロンが同行した真の訳を、トレントゥーノは双子の兄より聞いていた。その事を問われると、カロンは改めて命の恩人を思い出す。死を覚悟した瞬間の、総身が震え慄く記憶と共に。今こうして、王城の王立学術院に生きながら戻れた事に、心の底から感謝と感激を覚えながら。  殺気に漲る手負いの閃龍を前に、カロンは身動き一つ出来ず立ち竦んだ。熱砂の玉座を力で勝ち取った、砂漠を統べる暴君…閃龍ディアブロス。その巨大な瞳に睨まれ、目を逸らす事すらかなわない。あの時、絶対的な強者と哀れな弱者の、交錯する視線を遮る背中が無ければ…もしかしたらカロンは、この場に二度と戻っては来れなかっただろう。 「正直、良くは解らないのですが…彼女が居なければ死んでいたでしょうね」  両者の間に身を挺して割って入り、カロンを背に庇って立ちはだかったのは…クリオ=スポルトその人だった。彼女はカロンに代って真っ向から対峙し、見下ろす閃龍は低く唸る。永遠にも思える緊張の時間は、甲高い咆哮と共に終わりを告げて。一声鳴くなり閃龍は、身を翻して地中へと去った。 「悪い人じゃないですよ、無愛想ですが。何度も助けられましたし、その、まぁ…」 「でしたら良いじゃありませんか。後は当人同士の問題という事で…それより」  レポートに最後まで眼を通し、御節介ついでとは思えぬ出来栄えに感嘆しながらも。トレントゥーノは深い溜息と共に疑問を口にした。無事の帰還を報告した後で、彼の兄が呟いたその疑念とは… 「あの鋭龍が果たして、その銘を継ぐ最後のモノブロスとなるでしょうか」  その巨大な遺骸は、決戦の地より離れた砂漠で発見された。後続の書士隊が辿り着いた時には、もう半ば砂に埋もれており、ハンターズギルドや《鉄騎》の別動隊も調査を終えた後だったが。地中からの一突きで、ここまで鋭龍の巨躯を投げ飛ばした閃龍…その話を聞いたトレントゥーノは、改めて大自然に畏怖と畏敬の念を禁じえない。同時に、これで砂漠の覇権を巡る闘いが終わったとも思えなかった。 「鋭龍の銘を持つモノブロスは、過去に何度も…だからもしかしたら」  初めてその銘を受けた鋭龍は、ココットの英雄によって討ち取られた。その次に現れた純白の鋭龍もまた、とあるギルドナイトが討伐したという…そして今回、三度鋭龍の銘は打ち倒された。閃龍との激闘の末に。しかし、三度蘇り覇を誇った銘であればこそ。再びその勇姿が蘇る可能性を、誰も否定はしないだろう。 「今この瞬間も、いつかその銘を継ぐべきモノブロスが…おや?あれは」 「ああ、居た居た!先輩、カロン先輩っ!ここだったんですか」  腫れの引かぬ頬を撫でながら、先に気付いたトレントゥーノに促されて。聞き覚えのある声にカロンは振り返った。今なら素直に心から祝福出来るであろう、その相手を。今日も今日とて、暇を持余す事で国家の平和に貢献している宮廷軍師殿。彼は息を弾ませ駆け寄ってくる。 「いいんですか?城の大臣連中を放っておいて…また小言を言われますよ?」 「御説教も給料分、それより紹介したい人が…あ、こら!何恥ずかしがってんだよ」  そう言うとフリックは、すっ飛び戻って廊下の角から人影を引きずり出した。その時カロンは、見違えた姿で場違いを気にする、命の恩人と再会するハメになる。喜々として婚約の報告をするフリックに手を引かれ、気恥ずかしそうに俯くドレス姿の女性は…ハンターズギルドでも随一の腕前を誇る、敏腕の射手とはとても思えなかった。