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 潮騒の集落、モガの村。漁師達は忙しく働き、女子供まで動員して嵐に備えていた。そんな中でモガの森から突如現れたオルカ達に、彼等彼女等はさぞ驚いただろう。オルカは、誰もが呆気にとられて信じられないといった様子で自分とノエルを見やるのを感じていた。
 勿論、先を走っていた筈の赤毛の女は見る影もない。
 だが幸いにも、先任の村のモンスターハンターが村長へと取り次いでくれた。
「村長、新しいモンスターハンターが来てくれた。それと怪我人が一人。もう運んで手当している」
 二十代半ば程の女だ。オルカを案内してくれたハンターは、凛々しい顔立ちに緊張感を滲ませている。その端正な横顔は、触れれば切れるカミソリのように感じられた。共に狩場を駆けずとも、自ずとその腕前が知れる……そんな隙のない立ち振舞に、オルカは自然と敬意を払っていた。
 そして、オルカを出迎えた老人の前でもその気持ちを新たにする。
「おやルーン、確かギルドの話ではハンターは二人じゃなかったかね?」
「一人は怪我人についてます。どうやらまた、モガの森に入り込んだ人間が出たらしいので」
 村の中央、徐々に強くなる風の中に老人は佇んでいた。その鋭い眼光はオルカを射抜き、何もかもを見透かすように細められる。瞬時に緊張が走って心拍数が上昇したが、なんとかオルカは名乗って事情の説明を試みた。
「今日からお世話になります、オルカと申します。連れは同じハンターのノエルと、怪我人が一人」
 ゆっくりと頷く老人は先ほどルーンと呼ばれていた先輩ハンターを手招きし、その耳元に何かを囁いた。そしてゆっくりと再度、オルカの全身を頭からつま先まで見渡し……不意に表情を崩した。先ほどまでの緊迫感に満ちた険しさがあっという間に消え去り、そこには柔和な好々爺の笑顔があった。
 ルーンは一礼すると、忙しく行き交う村人達の中へと消えていった。
「よぉ来なすった、オルカ。これから宜しく頼む。生憎の嵐だが、通り過ぎ次第、宴をもって迎えよう」
「恐縮です、村長。それで、あの」
「言わんとしていることはわかっている。怪我人はルーンに任せた。安心しなさい」
 先程までの厳しい表情が一変して、オルカは思わず拍子抜けする。新しい土地では概ねモンスターハンターは歓迎されるが、それが全てという訳ではない。だが、この村が腕利きのハンターを必要としていることはギルドを通じて知れていたし、自分が必要とされているなら全力を尽くすだけだ。
 それとやはり、気になることが幾つかあったが、それはどうやら顔に出ていたらしい。
「先程の者はルーン、この村のモンスターハンターだ。なんでも聞いて頼りなさい」
「ありがとうございます」
「腕は確かだが、彼女を含め二人しかハンターはいなかったのだ。人手が足りず困ってたとこよ」
 モンスターハンターが二人……自然と先程の森での光景がオルカの脳裏を過る。
「ルーンさんともう一人。それはもしや、赤い髪に赤い目の」
 ほう、と村長は目を細めた。周囲で新顔に足を止めていた村民達は、ざわざわと騒がしくなる。
「いや、ルーンともう一人は、アニエスという。今はちとワシの頼みで、タンジアの港にいっておるわい」
「タンジアに……ええと、じゃあ」
「ほっほっほ、言いたいことはわかっておる。なるほど、それでモガの森を抜け出たか」
 村長はオルカが思い浮かべる人物を克明に語ってみせた。つま先まで伸びた真っ赤な長髪に、燃えるような紅蓮の瞳。背はひょろりと高くて肉付きがよく、そのことを村長は「ムチプリボイン」という言葉で評してニカリと笑う。そして最後に、それはモガの森の魔女だと締めくくった。
「名はエルグリーズ。この村ではお馴染み、モガの森に棲む魔女だ。時々顔を見せるでな」
「は、はあ」
「おおかた東の船だまりから森に入って迷い、エルグリーズに助けられた……違うかの?」
「仰るとおりです。お恥ずかしい話ですが、まさか空の下で迷うとは思いませんでした」
 素直に自分の失策を認めたオルカに、村長は親しみの篭った笑顔で再度頷く。オルカにしてみれば言葉通り恥ずかしい、一人前のモンスターハンターとしてはありえない失態でもあったが。だが、弁明の余地はない。実力が全ての世界では、己を偽る者は生き残れないから。
「正直で大変よろしい! オルカとやら、気に入ったぞ。あの森のこと、気に病むことはない」
 村長は身を乗り出して手を膝の上に組むと、ゆっくりと語り出す。
 それは、どこの地域にもある古い伝承。あるいはお伽話。遥か太古の昔、今では旧世紀と呼ばれてる神代の時代の話だった。かつて大地を支配していた人間は、今では考えられない奇跡の技をもって栄華を極めていたという。その折、この島には巨大な塔が存在したというのだ。それは、龍脈が注いで集うパワースポット、龍穴がこの島に存在することを示している。
「ワシは若い頃、この島で遺跡を調査していてな。なに、モガの森が帰らずの森なのも、そういう訳だ」
「と、申しますと」
「うむ。この島の中央、あの森の中ではなにもかもが狂っておる。ありえぬ飛竜同士が共存し、方角も気温も歪むのじゃ」
「そして、魔女が住んでいると?」
「エルグリーズ……古の言葉で『灯火の破壊者』という意味じゃが。なに、害意はないんじゃよ」
 それに都合もよい……そう小さく呟き、僅かに村長は表情を翳らせた。だが、それも一瞬のことでニパッと人懐っこい笑顔を咲かせる。
「ちょいと複雑な事情があっての! まあ、後々詳しく語ろう。して、ニャンコ先生には?」
 突然飛び出した緊張感に欠く名前に、オルカは静かに首を横へ振る。
「ふむ。まあ、世捨て人のような……世捨てネコ? のような方じゃからな!」
「その、ニャンコ先生というのは」
「一応、エルグリーズの保護者ということになっておる。モガの森に住んでての、時々村には来るのじゃが――」
 その時、ぐらりと世界が揺れた。思わずオルカは反射的に、目の前の村長を庇って支える。もともとが海辺の磯に木の板を渡して作られたモガの村。それが、まるで急流に舞う木の葉のように大きく撓んであちこちで軋む。長い横揺れに、オルカは村長の身体が身震いに震えているのを察した。周囲の村人も不安げに互いに身を寄せ合って、暗く曇る空に祈っている。
 揺れは五分ほど続いて、まるで嘘のようにピタリと止まった。
「ふう、すまないのうオルカ。お主達ハンターを増員した理由の一つがこれじゃ」
「自分も先程地震にあいました。この揺れは最近のことなのですか?」
「うむ、数カ月前から断続的にの。まあ、それも大まかな見当はついておる……奴じゃ」
「奴、とは」
 この時代、モンスターハンターとは単に野を駆け飛竜を狩るだけの人間ではない。大自然と共に生きる狩人達は、常にあらゆる学問の最先端で暮らしているのだ。薬学や動物学は言うに及ばず、地政学や海洋学、気象に農耕と多種多様だ。世の中にはそれらを総括して一つの学術体系にまとめている西シュレイド王国のような国まである。
 モンスターハンターこそが、今を生きる人類の最前線と言えた。
「奴とは古い付き合いでの……若かりし頃は幾度となくやりあったわい。奴の名は雷公……海竜ラギアクルス」
「海竜……ラギアクルス」
「この村が今ある場所をかつて根城にしていた、巨大な海竜じゃ。雷公と呼び誰もが恐れた」
「それが地震の原因なのでしょうか」
「人間を追いだそうとしておるのよ。古巣を取り返そうと、その巨体を岩盤にぶつけておるのじゃ」
 少なくとも村長はそう見て、ルーンやアニエスといった村のハンター達に調査を依頼しているという。だが、小さいとはいえ百人もの人間が暮らすモガの村だ、モンスターハンターはどこでも引っ張りだこで人手が足りない。村の東側にある孤島と呼ばれる狩場には、世界各地からハンター達が集まる。その案内や相手も必要だったし、村人達の細々とした依頼もある。
 そこまで説明して、村長が一度言葉を切ったその時だった。
「村長、オルカ達の家が準備できた。話はまだまだ長くなるかい?」
 不意に背後で声がして、慌ててオルカは振り向く。
 気配も感じさせず後ろに立たれたのは初めてだ。狩場では若輩ながら、虫の足音ですら聞き逃さない自信があった。だが、いかに周囲でざわめく村民達がいるとはいえ、驚きを隠せない。涼やかな微笑をたたえて、ルーンはオルカをじっと見詰めている。
「オルカ、先ほどの少年なら安心しろ。今手当をさせている。運が良かったな、エルに出会えるとは」
「は、はあ」
「一つ聞こう、オルカ。船員達にモガの森に入るなと言われなかったか? 恐ろしい場所だと喧伝してるのだが」
「それは言われましたが……性分なんです。自分の目で確かめないと。きっとノエルも同じ事をいうと思いますよ」
 正直に告げると、眼前の美貌は不意にニッコリと笑った。瞬間、バシン! と背中を叩かれ、次いで肩を抱かれる。
「見込みがあるな、オルカ! 歓迎するぞ。さあ村長、もうオルカを開放してくれ。村人達も待ちかねてる」
 ルーンが手を述べる先に、人だかりになって村人達が集まっていた。どうやら嵐の前に船を引き上げたり、村の土台を補強する作業は終わったらしい。誰もがみな、目を輝かせてオルカを見詰めていた。
「すげー、モガの森を超えてきたんだってよ。ってことは、ニャンコ先生に会ったかな」
「エルに連れられてだろ? で、でも、それだってスゲエよな。オイラ、森に入ったら追い出されるもん」
「ねえねえ、ハンターさん! でっかいつがいの火竜は見たかい? 他にもいるんだぜ、角竜に水竜に――」
 どっとオルカに村人達は押し寄せてきた。その中から、ギルドの制服を来た少女が人波を掻き分け抜きん出てくる。
「はいはい、押さない押さないっ! もうすぐ嵐、それが通り過ぎたら宴会です! だ、か、らっ!」
 特徴的な制服を着た、一人だけ村人から浮いて垢抜けた少女が声を弾ませた。
「歓迎会の前夜祭ってことで! 村長っ、いいですよね? ね? はい決まり、ハンターさんこっちです!」
 オルカは不意に腕に抱きつかれ、そのままぞろぞろと村民達に囲まれながら村の奥へと招かれた。
「……少し話したいことがある。が、まずは楽しめ。明日からよろしく頼むぞ」
 耳打ちしてルーンは表情を引き締めると、オルカ達を見送り森の方へといってしまった。
 こうしてモガの村でのオルカの新しい狩猟生活が始まろうとしていた。嵐に風は強まり波は高まっていたが、村人達の温かい歓待は、前夜祭とは思えぬ盛り上がりで長旅の疲れを癒してくれた。

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