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 嵐の風と雨も聞こえぬほどに、喧騒に満ちた村の集会場。その中心でオルカはノエルと共に、前夜祭とは思えぬ歌と踊りで歓迎された。モガの村に住む海の民達は皆、気さくでほがらかな好人物ばかり。夜が更けても宴は続き、知らぬ間にオルカは眠りに落ちていた。
 そんなオルカがギルドの看板娘(自称)に起こされたが先程。まだ薄暗い内から、嵐が過ぎ去った海へと村人達は船を出していた。聞けば、ルーンが自宅にオルカを呼んでいるという。その心当たりがあって、まだぼんやりと酒気の残る頭を振るオルカだった。
「朝早くすまないな、オルカ。よく来てくれた」
 出迎えてくれたルーンはまだインナー姿で、しかし気にした様子もなくオルカを奥へ通してくれる。
 ルーンの屋敷は簡素な作りで、オルカ達が与えられた住居とほぼ同じ作りだ。当然その中央にはベッドがあり、今も一人の少年が静かに寝息をたてて薄い胸を上下させている。ルーンの寝床に身を横たえているのは、先日モガの森でオルカとノエルが助けだした少年だ。丁度その枕元で、看病していた女性が立ち上がる。
「紹介しよう、私の連れのざくろだ。この村でハンターの面倒を見てくれている」
「おはようございます、オルカさん。炊事洗濯やなんかはわたしの仕事なので、気兼ねなく仰ってください」
 ニコリと柔和な笑みを浮かべて、ざくろはぺこりと頭を下げた。触れれば切れるカミソリのような印象を与えるルーンとは違って、どこか炭火のような温かさが感じられる。そのおっとりとした口調や声音が、自然とオルカにそういった印象を与えていた。
 だが、そんなざくろの家庭的な空気を中和し、ともすれば塗り潰すような感情が停滞している。その方向を向けば、一足先に来ていたノエルが部屋の隅で腕組み壁に寄りかかっていた。その表情は険しく、眉間にもシワが寄っている。
「ええと、なにか問題でも……どしたの、ノエル?」
「私が説明しよう。もはやお前達もモガの村のハンターだ。この島の複雑な事情を知る権利がある」
 茶を出す用意に席を外すざくろを見送って、ルーンは滔々と語り出す。彼女が最初に説明し始めたことは、オルカにもだいたいはわかっていた。モガの島には東に豊かな狩場が広がっており、各国のモンスターハンターが孤島と呼んで集まる。そこから西へと向かうと、帰らずの樹海とさえ言われるモガの森があり、それを抜ければモガの村だ。森を通る者はおらず海路でのみモガの村は各地と結ばれているが、岩礁地帯ゆえに嵐の時などは陸の孤島になるらしい。
 そこまで説明して、ルーンは一振りの太刀を取り出した。
「この太刀を見ろ、オルカ」
「これは? 見た所、狩りに使うような太刀じゃないですよね」
 ハンターが使用する太刀は通常、刃渡りが一メートルを超える長大なものだ。刃も厚く、さまざまな鉱石の合金やモンスターの素材で作られる。対して手にする一振りは、形こそ片刃の太刀だが短く細く、なにより螺鈿の装飾が精緻に散りばめられていた。それ自体が宝物であるかのような存在感で、漆塗りの鞘も含めてオルカの年収の何倍もの価値があるだろう。
 しげしげとその太刀を手に、オルカは記憶を総動員してルーンの言葉の先を拾った。
「ああ、この少年が帯びていた剣ですね。太刀を持ってるってことは、シキ国の人間でしょうか」
「なかなかの洞察力、そして記憶力だ。だが、それでは及第点止まりだな。……柄をよく見ろ」
 先程から何も言わず黙して俯くノエルが気になったが、言われるままにオルカは太刀の柄へ目を落とす。
 そこには、どこかで見たことがあるような紋章が刻まれていた。
「これは……まてよ、この紋章はどこかで。そう、ユクモ村で……ええと、なんだったかな」
 まだ昨日の酒が残っているのか、はたまたあまりに日常とはかけ離れた知識だったのか。オルカの頭はまだまだ早朝のこの時間では野暮ったく、望む記憶がなかなか引き出されない。だが、漆塗りで黒光りする鞘にも同様に刻まれた、朱色に艶めく炎の鳥……そう、確か鳳凰とかいう伝説の幻獣を象った紋章。その抽象的に記号化された形をじっと見詰めて、オルカは頭を悩ませた。
「これはシキ国朝廷の皇家やその近親者を表す紋章だ」
「ああ、それで……そういえばユクモ村で見たっけ。……シキ国の朝廷の、じゃあ……皇子?」
 静かに頷くルーンに、オルカの頭は鮮明さを取り戻す。もはや酒精は完全に追い払われた。
 オルカがしばらく滞在してモ、ンスターハンターとして駆け出しの時期を過ごしたシキ国。その複雑な政治体系は、国の中に国があるというものだった。オルカが拠点としたユクモ村は例えば、海に面した冴津という国にある。他にも栄津や照津といった十以上の国があり、どこも地方の有力な豪族や武士達が収めているという。だが、対外的にはシキ国は朝廷と帝が治める封建国家だった。
 勿論、その朝廷が現在は形骸化してお飾りになっているというところまでオルカには知識として備わっている。
「そうだ。こんな場所にいるからには末席だろうが、この少年は間違いなく皇族だろう」
「へえ、そうか。ハンターじゃないとは思ってたけど、そうか。……でも、どうして?」
 オルカの問はもっともな話で、ルーンが言葉を続ける。
「実はかなり以前から、このモガの島をめぐって各国が領土争いをしているのだ」
「それは……初耳です」
「だろう。公的にはこの島は、不可侵の緩衝地帯になっているからな」
「でもなぜ。あ、そうか……東の狩場ですね」
 オルカの閃きではしかし、ルーンの頷きを得られなかった。
「この島に太古の遺跡があった、らしい。という話は聞いているな? どこの国もそれを欲していてな」
「なるほど。しかし表立ってそんな話を聞いたことはありません。俺がユクモ村にいた頃だって」
「どこの国にも面子があるからさ、オルカ。言えるか? 調査に派遣した人間が戻ってこないなんて」
 オルカにはそれで得心がいった。そもそも、この少年を助けた場所を考えれば必然だった。
 モガの森だ。
 なんぴとたりとも入れば出れぬ魔性の森……おそらく過去、あらゆる国が人員を派遣したのだろう。だが、誰も戻っては来なかった……次第に軍や研究機関、諜報機関の最精鋭を動員するようになっても。どこの国も体面があるから、モガの島獲得のために動いたことを隠しているのだ。大国列強がそろって小さな島一つに多くの人命を落としたとあっては、いい笑いものである。
「そう、高度に政治的な問題でな。モガの森は我々にはそういう利点がある訳だ。だが――」
「だからって、あたし達が必死で助けたこの子を始末しようなんて!」
 ずっと沈黙していたノエルが、弾みを着けて壁から離れた。そのまま長身のルーンに詰め寄ると、目元を険しくして睨み上げる。冷ややかに見下ろすルーンは平静そのものだったが、整った鼻梁から静かに小さな溜息を零す。
「はぁい、みなさんお茶がはいりましたよ。さあ、一息いれましょうね。朝早くからご苦労様ですもの」
 張り詰めた空気は、熱い茶を運んできたざくろのほんわかとした声で中和されてゆく。ルーンもノエルも緊張感をほどいて、順々に配られる湯のみを受け取った。勿論オルカも、湯気を立てる茶へ口をつけて、香気と風味を味わう。
「ごめんなさい、ノエルさん。うちの人、不器用なんです。ほら、ルーン? ちゃんと言わないと」
「わかったわかった、まったく敵わんな。まあ……私とてどうしたものかと頭を痛めているのだ」
 ざくろに促されて、やれやれとルーンは頭をバリボリとかきむしる。切りそろえた黒髪がさらりと揺れて、静かに吹き込む潮風に女性特有の芳香が微かに入り混じった。
「ノエル、そしてオルカ。お前達の努力を無駄にするようなことはしない。だが――」
「あら? まあ、まあまあまあ……ルーン、みなさんも。この子、目が覚めたみたいです」
 一同が頭を悩ませる中、弾んだ声でざくろが枕元に駆け寄る。
 見れば、少年はぼんやりと目を開けて天井を見詰めていた。自分でも意識が戻ったことに気付かぬ様子で、ゆっくりと周囲を見渡し、そしてハッと目を見開いた。瞬間、布団をはねのけ上体を起こし、おそらく傷が痛むのだろうか悲鳴をあげて呻いた。
「まだ動いてはいけませんわ。さ、横になって……スープかなにかをお持ちしましょうね」
 パタパタと出てゆくざくろを見送り、ルーンとノエルが同時にベッドへ身を乗り出す。オルカも安堵と共に一抹の不安を覚えて、二人の背中越しに少年を見やった。顔色はまだすぐれず、全身包帯まみれ。だが、助け出した先日よりは幾分元気にも見える。
 色素の薄い髪は肩にかかる長さで、日に焼けたあどけなさを残す顔も少女然とした印象を受けた。
「ここは……僕は、どうして、痛っ!」
「痛いのは生きている証拠だ。このオルカとノエルに感謝するんだな。少年、名は?」
「名前……は、遥斗です」
「三代宮家が一つ、砌宮の第七皇子か……いやなに、意識が戻ってよかった」
 どうやらそれなりに詳しいらしく、小声で素性を呟いた後にルーンがわずかに表情を緩めた。遥斗と名乗った少年を安心させようとしたらしく、しかし意外な言葉にその不器用な微笑も凍ってしまう。
「ここは、どこです? 僕はどうしてこんな所に」
「……ここはモガの村だが。お前はモガの森に入ったのではないのか?」
「モガの、森? それは……うっ、頭が。おかしい、どうして……なにも思い出せない」
 頭を抱える遥斗の肩を、そっと寄り添いノエルが抱いた。おそらくリオレイアに襲われたショックで一時的な記憶喪失に陥っているのだろう。震える遥斗を温めるようにノエルが優しく言葉をかける。その光景に背を向け、ルーンはオルカと額を寄せて声をひそめた。
「力の弱い宮家は時々、血族を送り出してくる。手柄を影響力にするために。だがどうしたものか……よし」
 ポンと手を打ち、ルーンは妙案得たりとばかりに表情を明るく作る。
「無事でよかった、遥斗。お前はモンスターハンターになる試験の途中、事故にあったのだ」
「……そうなんですか?」
「そうだ。だが安心しろ、お前の教官であり先輩であるオルカが、試験は合格だと言っている」
 寝耳に水で、驚きオルカはルーンに詰め寄る。棒読みもいいとこだったが、悪びれもなく嘘をすらすら述べるルーンは、いいから話を合わせろとオルカに目線を送ってくる。嘘をつけば後が面倒なのは明白だが、ここは事情を熟知した村の先人に従うしかない。
「遥斗、ゆっくりでいい。なにか思い出せることは他にないか?」
「……他は、なにも……父母も故郷も……あ。でも……炎? 紅い髪の女性を覚えています。白い肌に真っ赤な髪。あれは誰でしょうか」
 意外なことにオルカも鼻白んだが、ノエルの懇願するような視線でそれ以上の追求はしないことになった。こうして遥斗は、負傷したモンスターハンター見習いとしてモガの村に居候することになったのだった。

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