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 本日晴天、狩り日和。細々とした雑事に奔走していたオルカ達に、いよいよ本格的な狩りの依頼がギルドから寄せられた。モンスターハンターとは概ね何でも屋、採取から納品等を幅広く行う職業だ。平和な日常など、本拠地である村や街で一日を過ごすことも少なくない。だが、山野を駆けて得物を追ってこそ狩人……そのことは誰もがよくわかっていた。
 だから、再び粗雑で簡素なボーンアックスを手にして、オルカの気持ちは猛り馳せる。
「っと、腕甲が弾くか。そうだ、つい以前の武器の癖で切れ味に頼ってしまう」
 獰猛な雄叫びをあげる青熊獣アオアシラが、その爪と牙を陽光に輝かせて襲い来る。その正面でオルカは、竜骨から削りだした剣斧の反動に痺れを感じていた。
 以前、ユクモ村ではコツコツと素材を集め、氷牙竜素材を使った業物を愛用していた。その癖がまだあるせいか、再び駆け出しの一振りに戻れば酷く手際が悪い。自分でも武器に頼っていた己に気付いて、苦笑と共にオルカは身を地に転がす。たちまちオルカが今までいた場所を、風切り音と共に鋭い爪が擦過した。
 荒ぶる巨大熊は、一撃で終わらず二度三度と爪を繰り出してくる。
「オルカ、お手伝いしますっ!」
 幼くあどけない声が甲高く響いて、視界の隅で抜刀の煌めきが光る。
 背の太刀を引き抜くと、遥斗は気勢を叫んで地を蹴った。その声に振り向くアオアシラが、咆哮を叫んで躍りかかる。当然だが、オルカの目には遥斗がいかにも未熟な素人に見えた。
 勿論それは事実で現実で、本当はモンスターハンターとしての訓練を受けていないのだから仕方がない。
 だが、剣術には心得があるようで、遥斗は正面からアオアシラの脇を一閃で払い抜ける。
「この一撃でっ! ……あ、あれ? 倒れ、ない」
 脇腹から鮮血を迸らせて、ぐらりとアオアシラの巨体が揺れる。だが、僅かによろめいただけで、巨大な人喰い熊はゆっくり遥斗へと振り向いた。納刀して残心していた少年を、巨大な影が包む。
「ふむ、まあそんなとこか。オルカ、フォローを。背中は見なくていいぞ」
 嫌に冷静で落ち着いた、玲瓏とさえ思える声が響く。その声音に押し出されて、オルカは咄嗟に瞬発力を爆発させた。立ち竦む遥斗に身を浴びせて押し倒し、そのまま大地を転がってアオアシラから逃げ惑う。強靭な顎門がガチン! と耳元でなって、獣臭がすぐ側を通り抜けた。冷や汗に背筋が凍える。今のオルカはユクモシリーズを身につけた、いわば裸のような状態だ。以前所有していた、防御力に優れる防具ではないことがアオアシラを強敵たらしめている。
「オ、オルカ……僕は」
「いいさ、気にしないで。怪我は? 大丈夫だね?」
「は、はい。これが、狩りの空気」
「気を抜かないことだよ、遥斗。一太刀浴びせたくらいじゃモンスターは死なないさ、いいね?」
 遥斗の頷きを拾って立ち上がるオルカは、視界の隅に突出する影を見た。漆黒の防具に身を包んで、気配を殺したその痩身が背の大剣へと手を伸ばす。アオアシラの死角へと忍び寄ったその女性は、すっと吸い込んだ息を肺腑に留めるなり跳躍した。
 肉を切り裂き骨を断ち割る鈍い音と共に、ドス黒い鮮血が宙に舞う。
 そして、一拍の間をおいて絶叫が迸った。
「ふむ、意外にしぶといな。だが、この流血ではもう遠くへは逃げられまい」
 モガの村で狩人達を仕切るベテラン、ルーンの一撃がアオアシラの脳天をかち割っていた。その鮮やか過ぎる一撃は、オルカの目にも熟練の手練を感じさせる。死角を突いて全力で一撃、その後に躊躇わず離脱。手堅く巧妙で、かつ合理的だった。その腕前は、身に纏うナルガクルガ素材の武具が無言で語っている。得物である大剣を知り尽くした妙技に感心していると、瀕死のアオアシラが目を見開いだ。
 怒りに燃えるその瞳が、ルーンとオルカと、そして遥斗を順に睨んでいる。
 もう一息というところで、オルカは武器を握り直すや遥斗から離れた。その時――
「ふっ、トドメはいただくっ! そこをどくのだ姉者っ! ……圧縮確認っ、刀身変形!」
 遅れてやってきた夜詩が、紅蓮に輝く防具をガチャガチャ言わせて飛び込んできた。その手には防具と同じアグナコトル素材の剣斧が握られている。その精緻な機械細工は、内部で劇薬を圧縮するビンを起動させるや、剣へと変貌を遂げる。
 巨大な剣を手に、夜詩が熱気をはらんだ風になる。
「あっ、あのっ! ヤッシーさん!」
 オルカも声をあげようとした瞬間、すぐ傍らの遥斗が呼びかけた。ルーンにいたっては、もう武器をしまっている。だが、大剣使いは剣を背負った状態こそが武器の構え、あらゆる状況に対応できる臨戦態勢だ。
 そんな三人の前で、夜詩はズシャリと地面を踏み締め武器を振りかぶる。
「フッ! 一流ハンターの技を見ているのだな、少年! いざ……属性っ! 解放っ!」
 ガキン、と鋭い金属音を歌うや、夜詩の武器から光が迸る。
 だが、それを見たアオアシラの行動は俊敏で、オルカ達が想像した通りだった。
「あ、あの、ヤッシーさん」
「ヤッシーではない、夜詩だ! まあ見ているのだ少年。例え手負いのモンスターといえどだな――」
「その、夜詩さん。……アオアシラが、逃げます」
「……ほう? このオレに恐れをなしたか、なかなかやるゲフッ!」
 無言でルーンは、勝ち誇る弟のボディに拳を叩き込んだ。
 強固な甲冑を着込んだ長身が、くの字に曲がって腹を抑える。
「おい愚弟、なにをしている。いやいい……まず、なにをしていたのか聞こうか」
「まてまて姉者! 話せばわかる! ……うむ、ハチミツを集めていたのだ!」
 悪びれず夜詩は、ポーチから巨大なミツバチの巣を取り出した。
 基本的にモンスターハンターは、集団での狩りではターゲットの討伐ないし捕獲を優先する。勿論、その過程で採取や小物の狩猟を行うこともあるが、時と場合にもよるとオルカは先のユクモ村で学んでいた。
 ルーンは弟が手にするハチミツを見て、ため息と共に再びゲンコツを振り上げる。
「痛いではないか姉者!」
「この馬鹿者っ! 遅れた挙句、私達の前に割り込んでみすみす逃がすなどと……何年ハンターをやっている!」
「すっ、すまぬ姉者っ!」
「いいからさっさと捕獲してこい。遥斗、きみも一緒に行くんだ」
 やれやれとルーンは、ポーチから小さな球体を数個出して、不思議そうに小首を傾げる遥斗に握らせる。まじまじとそれを見つめる遥斗に、オルカも説明をしてやった。
「これは捕獲用麻酔玉さ。罠で絡めとって、こいつをぶつけて眠らせる。後はギルドが全部やってくれるよ」
「そ、そうでしたか。いけない、僕はそんなことも忘れて」
 正確には忘れているのではない、記憶喪失は本当だが彼には元から狩りの知識などないのだ。
 だが、そんな遥斗の矮躯をポンと叩いて、夜詩は気を取り直すと武器をしまった。
「よぉし、それでは少年! オレについてこい! ゆくぞっ」
「はい! ヤッシーさん、勉強させてもらいます!」
「ハッハッハ、ヤッシーではない、夜詩だ! さあ!」
 暑苦しい笑みを残すと、夜詩は遥斗を連れて駆け出した。先程脚を引きずり逃げ去ったアオアシラの、その血が点々と残るこの島の奥へ。孤島と呼ばれる島の狩場は、モガの村のモンスターハンターにとっては庭も同然だった。
 その二人の背を見送り、やれやれとルーンも苦笑を零した。
「オルカ、世話をかけるな。お前には遥斗の面倒をおしつけてしまったが」
「いえ、構わないですよ。それより……これからどうするんです?」
 オルカは率直な疑問をぶつけてみた。
 遥斗がやんごとなき身分で、そのことを記憶喪失ゆえに忘れている。だが、いつまでもごまかしてばかりもいられない。多少は武芸を身に着けてはいるようだが、素人同然の人間に大自然は甘くないからだ。
 だが、ルーンは言葉を探すようにしばらく黙った後、ようやく口を開く。
「……遥斗には悪いが、故郷に返す訳にはいかない」
「モガの村、そしてこの島の自主独立のためですか?」
 ルーンは重々しく頷いた。
 その評定は端麗な美しさに凍りついていたが、僅かに目元が憂いを帯びて細められる。
「モガの森より帰り着いた人間がいるなどと、周辺諸国に付け入る隙を与えるだけだからな」
「だからといって、彼をこのままにしてはおけません。国に家族もいるでしょうに」
「それなのだがな、交易船の船長に少し調べてもらった」
 ルーンはそこでクイと指を手招きにオルカの耳を呼ぶ。言われるままに耳を傾けたオルカは、甘やかな吐息と共に衝撃の事実が耳朶に浸透してくるのを感じた。
「シキ国本国では、砌宮とは別の宮家が遥斗に刺客を放ったそうだ」
「そ、それって……」
「先日お前達が会った男がそうだろう。鉄騎、厄介な連中だよ」
「……俺はこのまま、遥斗を一人前のハンターとして育てますけど。それでいいですね、ルーンさん」
 頷きを拾って尚、オルカには決然とした怒りがあった。しかし、それをどこへ向けていいのかがよくわからない。眼前の女性もまた、苦悩を正直に吐露してくれるから。
「本当なら故郷に返してやりたいが、事情が事情だ。……せめて仲間としてモガの村にと思ったが」
「もし、遥斗の記憶が戻ったら?」
「その時改めて、彼本人に選んで欲しい。国へ帰るか、それとも」
 ちらりと視線を外して、ルーンは振り向いた。そこには、捕獲を終えて意気揚々と引き上げてくる夜詩と遥斗の姿が遠い。彼等は手を振り、遥斗などは子供の笑顔でオルカに駆け寄ってくる。それを見詰めるルーンの眼差しは、どこか温かく穏やかだった。
 オルカはモガの村で暮らすハンターとして、不憫な少年の支えになってやりたいと思い始めていた。

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