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 空気を揺るがす絶叫に、ビリビリと鼓膜が震える。耳を手で覆って尚、恐るべき咆哮が総身を震わせ萎縮させる。この瞬間だけは、どんな熟練ハンターでも赤子のように身を縮こませるしかない。
 そう、圧倒的な力を誇る食物連鎖の頂点、偉大なる空の王を前に謁見を果たしたならば。
「いっ、やぁぁぁぁぁぁぁあ! こっ、来ないでくださぁぁぁぁぁぁいっ!」
「落ち着きなって、ざくろ! ああもうっ、しゃーないなあ。オルカ、尾をお願いっ!」
 怒気を荒げて吠えるリオレウスへと、華奢な痩身が突進してゆく。その手に巨大な蛮刀を握り締めて。ざくろは今、わけも分からず闇雲に大剣を振り回しながら、半泣きに混乱して突貫してゆく。その背を追うノエルは、普段の弓ではなくランスを構えていた。
 一流のモンスターハンターは、得意な武器は勿論、狩場や獲物に応じて色々な武器を使い分ける。素早くフォローに回るオルカも、今日は太刀を背負っていた。背後ではルーンが、ヘヴィボウガンの撃鉄を起こしながらしゃがみ撃ちで膝を突く。
「ほら、ざくろ! 尻尾も気をつければ当たらないって。ブレスもあたしが引き受けるから」
「ひいいいいいいいっ、こっ、こここ、こっちに来ないでっ、来ないでくださぁぁぁぁい!」
 ざくろはまるで素人のように大剣を振り回し、ともすれば大剣に振り回されるようにふらふらと千鳥足。落ち着かせようと側に寄るノエルが、その危なっかしい大剣で吹き飛ばされた。稀にあることだが、モンスターハンターには使う武器によってレンジや接敵時間が異なる。一撃必殺、一撃離脱を信条とする大剣は本来、もっと遠くのレンジから重い斬撃を叩き込み、即座に納刀して離脱するものだ。まとわりついて周囲に居座るのは、ランスやガンランスを使う者の仕事だった。
 そういう大剣使いとしての技量を一番持つ、熟練ハンターのルーンがオルカの背後で落ち着いた表情。
「ざくろ、もっと相手をよく見るんだ。大丈夫、ざくろのガブル防具は鎧玉で強化してある。死にはしない」
「ルーン! そんなこと言ってもっ、ひあっ! たっ、助けてくださいーっ!」
 オルカの眼には寧ろ、リオレウスと一緒に猛威に晒されているノエルを助けるべきな気がした。一応ライセンスを持っているとは聞いていたが、ざくろの狩りは余りに酷い。酷いのに不思議と、そのデタラメな攻撃はリオレウスの翼爪を破壊し、角を叩き割って、尻尾までちょん切ってしまった。
「……ま、まあ、結果オーライってとこかなあ」
「オーライじゃないやい。いたた……ま、でもあたしも小さい頃はああだったかもね」
 やれやれとリオレウスの背後を取るオルカの横に、身体をくの字に曲げながらノエルが落ちてきた。彼女は先程からリオレウスの矢面に立ってざくろを守っているのだが、そのざくろ本人から吹き飛ばされカチ上げられているのだ。
 それでもノエルはニヘヘと笑うと、飛び起きて槍を構える。
 モガの島の東に広がる、孤島と呼ばれる豊かな狩場……その中央、高台にあるリオレウスの巣は今、大混乱だった。
「それにしても、ルーンも無茶だよね。もっと簡単な獲物から練習させればいいのに」
「まあ、それはそうなんだけどね」
 苦笑するオルカは、常に一定の距離を取りつつ正確な照準で貫通弾を放つ、ガンナー姿のルーンへ眼をやる。
 彼女は一人マイペース、淡々といつもの冷静さで狙い撃っているように見えるが。その立ち位置は必ずざくろの周囲を見渡せるように小刻みな移動を繰り返しており、わかり難いが心配しているようだ。それでもスパルタ教育なのは事実で、ざくろは何度も切れた尾で叩かれては転倒し、傷だらけの顎で噛み付かれては逃げ惑っていた。
 普段は料理や洗濯、住まいの掃除をしてくれるざくろ。そんな彼女が狩場に出される理由をオルカは思い出していた。ざくろに常に寄り添い共に歩まんとする、一人の熟練ハンターの声と共に。
『オルカ、お前は自分が必ず長生きする、どんな狩場からも生きて帰ると言い切れるか?』
 彼女はオルカに以前、真剣な眼差しを注いで疑問を突きつけてきた。
 正直、そんなことを自分に保証することはできないし、仲間や村の民に確約はできない。オルカは狩場では常に注意を払ってリスクを減殺するし、それはノエル達仲間も同じだが。だが、どんなに気を使ってもリスクがゼロになることはない。それがモンスターハンターという仕事で、狩人という生き方だ。
 だからこそ、ルーンは自分が万が一戻らぬ身になった時のことを憂いていた。
『もし私の身になにかあったら……ざくろは一人で生きていかねばならない』
 モガの村におけるモンスターハンター達の共同生活はしごく円満で豊かだ。男手はオルカを始め、夜詩やウィルがいてくれるから万全だし、元々村にいたルーンやアニエス達は孤島の地形に詳しい。まだまだ遥斗は危なっかしいが、それをフォローするノエルの存在も頼もしかった。それに、最近はモガの森からエルグリーズが手伝いに来てくれる。
 そういった日常のサイクルで上手く噛み合った歯車が、ある日突然瓦解してしまうことがあるとルーンは言うのだ。
『私はざくろのために蓄えを残す。が、金銭や物ではなく、彼女が生きていける術をこそ残したいのだ』
 そうはっきりと言った女ハンターは、今も厳しい眼差しでざくろを見守っている。もうすぐ捕獲可能な程にリオレウスは弱っているが、巨体に任せた攻撃から逃げ惑うざくろもまた、疲労困憊の様子。オルカは既に罠を用意していたが、ルーンの瞳が無言で語っていた。まだ狩りを終わらせるべきではないと。
 彼女なりに大事な人のために、狩りの教えいうものを残したいらしい。
「っと、ざくろ! またリオレウスが怒り出した! 気をつけて」
「ふええっ、助けてくださいぃぃぃぃ〜! ルーン!」
「ざくろ、しっかり剣を構えろ。教えた通りにやってみるんだ」
 半べそのざくろは、言われるままに大剣を背負い直すや身を投げ出した。それにノエルが倣って、二人が立っていた場所に灼熱のブレスが炸裂する。ノエルに手を引かれて立ち上がるざくろは、よたよたとスタミナ切れも顕に逃げ惑った。
 オルカはいつでも捕獲できる体制でシビレ罠を手に、黙ってルーンのやりたいようにやらせて待つ。
「そう、その調子。脚を使って。相手の隙に踏み込んで、力一杯に……振り下ろす!」
「ひぃん、こ、こう? ねえルーン、わ、わたし……えええーいっ」
 首を巡らせ噛み付こうとしたリオレウスの、その鋭い牙を裂けた一瞬の間隙にざくろが踏み込んだ。手練のルーンなら決定打を放つと同時に二の太刀を振りかぶり、十二分に力を溜めて放てるだけの隙があった。だが、稚拙ながらも懸命にざくろはリオレウスの頭部に抜刀斬りを浴びせる。彼女にはそれが精一杯……だが、大事な基礎中の基礎を、ルーンが言うままに彼女はやって見せた。
 リオレウスが怯むのと同時に、側転で離脱したざくろへノエルが肩を貸す。
 満足気に頷き、ルーンがヘヴィボウガンを畳むや立ち上がった。
「今の呼吸だ、ざくろ。いいね、いつかは一人でも狩りをする日がくるかもしれない。だから――」
「ぜぇぜぇ、はぁはぁ、はひぃー! わっ、わたし、には、無理……ルーン、一人にしちゃ嫌です」
「……もしもの話さ。さて、悪かったな、オルカもノエルも。捕獲して切り上げよう」
 ルーンの言葉と同時に、オルカは大地に伏してシビレ罠を設置する。雷光虫が持つ特殊な体液を用いた、簡易的な罠だ。ノエルがざくろの健闘を讃えてつつ、巧みにリオレウスを引きつけている、狩りは終局へと向かう。ルーンが捕獲用麻酔玉を手に取り、ダッシュでリオレウスの鼻先を駆け抜けた。
 弱った空の王者は、目の前を挑発するように走るルーンへと瞳を向けた。紅玉の如き巨大な双眸がギロリと、全速力でオルカの方へ走るルーンを追う。視線の次には、大地を揺らして巨躯が突進を浴びせてきた。
 罠を設置し終えて顔をあげたオルカは、目の前に迫るリオレウスを見て咄嗟の判断を下す。
「太刀じゃガードは無理……背後は崖。っ! ええい、ままよっ」
 いまだユクモ一式のオルカにとって、全体重でのしかかってくる火竜の一撃は危険だ。そのことがオルカ自身にはよくわかる。そして、捕獲を前にここでオルカがベースキャンプ送りというのは、絶対に避けなければいけなかった。
 なぜなら、既にもう二回程、ざくろがネコタクを利用したあとだったから。
 迷わずオルカは宙へと身を躍らせ、崖の下へと己を投げ出す。
「オルカッ! あわわ、どうしよう。ルーン、オルカが!」
「落ち着け、ノエル。ざくろを見ろ、先程までの取り乱し様が嘘のように……この落ち着きこそ、私が学んでほしか――」
「ざくろならもう、気絶してるって! それよりオルカが」
「……まあ、最初は誰でもこんなものだろう。捕獲するぞ」
 血相を変えるノエルの表情が、オルカには手に取るようにわかる。対照的に平然と冷静なルーンのすまし顔も。疲労感も心地よく、気絶して眠っているざくろの寝顔すら想像だに難くなかった。そうこうしている間に、リオレウスの弱々しい声が響いて狩猟完了を告げるラッパが鳴る。ギルドのネコ達は今頃、捕獲されたリオレウスを引き取るべく台車を回しているだろう。
 だが、そうしている間もオルカは真っ逆さまに落ち続けていた。
「やれやれ、まあ下が海だからいいけどね。さぁて、着水といきますか」
 ぐんぐん迫る蒼一色の世界へと、身を縮めてオルカは備えた。
 いかに下が海面とはいえ、高所からの落下、激突は時として命に関わる。それでも、死に物狂いで攻撃してくるリオレウスよりはマシな筈だ。その海の向こうにはモガの民を苦しめる強敵、地震の元凶であるラギアクルスが生息しているが……鉢合わせというのも考え難い。ラギアクルスはモガの村に集ったモンスターハンター全員での捜索をあざ笑うかのように、ここ最近は全く姿を見せなかった。
 着水、一瞬にしてオルカを包む音と空気が奪われた。
 モガの島近海は今日も静かに凪いで、切り立つ岩盤に寄せる波がオルカを包む。最小限のダメージで海中に身を開きながら、オルカは目を凝らして上下や自分の位置を確認する。孤島は以前ユクモ村にいた時も何度か訪れていたし、ここ最近はノエルと共に地元の狩場として熟知していた。
 自然とこの近場には登れるツタの葉があることを思い出し、それを探すオルカ。
「狩りは無事に終わったか……ん? なんだ? 今、海の底になにかが光った。あれか!」
 その時、視界の隅で鈍い輝きが日光を反射した。それはゆらめく海面の上から、陽光を拾ってゆらゆらと揺れている。一度息継ぎに顔を出したオルカは、新鮮な空気をたっぷり肺に吸い込み再度潜る。
 海の底、岩と岩とに挟まれた亀裂の暗闇に、なにか光る物体が沈んでいるのが見えた。
「……なんだろう。ニャンコ先生の言ってた古塔の研究に役立つかな? これ一つなら持って泳げるかも」
 それは永き刻を経て風化した金属の塊。錆だらけの本体の上に珊瑚が密集し、その原型を留めてはいない。だが、明らかに人の手によるもの、人工物だ。そういえば最近、モガの村で狩猟船が復活した時の話をオルカは思い出していた。海は稀に、思いがけない宝を陸へと運んでくる、と。一攫千金には興味はなかったが、ただ海へと逃げて飛び込み、そのまま手ぶらで戻るのも味気ない。
「そういえば俺、尻尾剥ぎ取れなかったしなあ。ま、これで帳尻合わせてみますか」
 オルカは両手で巨大な岩のような物体を抱え、器用に脚だけで水面へと浮上した。
 遥か太古の昔に作られたと思しきそれは、不思議な光をたたえて久方ぶりの空気に触れた。

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