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 オルカは着の身着のままで旅装も慌ただしく、最短でモガの村を飛び出した。普段着にマントを羽織って、現金と最低限の準備だけで船に飛び乗ったのだ。そのままタンジアの港まで出て、シキ国は冴津行きの船に無理を言って乗せてもらう。懐かしい城下町が近づくのを海から見ても、感慨にふける余裕がオルカには全くなかった。
 恩人でもあり仲間でもある、コウジンサイのことを思えば胸が軋った。
 その人はオルカが知る限り、唯一にして絶対の漢だった。常に忠節を尊び忠義に生きた、シキ国の武人……さぶらいだった。その潔くも達観した生き様に反目したこともあるし、自分勝手とさえ思えて手を上げたこともある。だが、いつでもあの老人は偉大な先輩ハンターであり、同じ場所で血と汗を流した仲間だった。だが、思い出に昇華するには早過ぎる。
「およ、オルカっち……え、嘘!? な、なんでオルカっちがいるの!? ひさしぶりー!」
「ごめんルナルさん、挨拶は抜きで。コウジンサイさんは――」
 ユクモ村でガーヴァの引く荷車を飛び降りるなり、コウジンサイの屋敷へ走ったオルカ。彼を出迎えてくれたルナルとの再会も、今は懐かしさよりももどかしさを感じる。
「……ちょっと遅かったよう、オルカっち」
「そ、そんな……俺は信じない。この目で見るまで」
 だが、直視できる自身はない。黙ってしまったルナルを押しのけ、靴を脱ぐのもそこそこに屋敷に上がり込む。視界は滲んでぼやけ、目に溢れた涙が今にも零れそうだった。なんどもふすまを開いて奥へ進むたびに、オルカは呼吸も惜しんでもがき泳ぐように進む。
 最後のふすまが開かれた時、驚愕の光景が目に飛び込んできた。
「これミヅキ、もっと肉を食えい。お主は乳やら尻ばかりぷりぷりと……ん? おお、オルカではないか!」
 包帯だらけの巨漢が鍋をつついていた。その横でミヅキも、不思議そうな顔でオルカを迎えてくれる。
 一瞬、理解不能なその姿にオルカは目を点にしてしまった。
 交易船の船長はこうも言っていた、「惜しい人だゼヨ……クッ!」と。その意味がそのまま、オルカの中で最悪の結果が訪れたのだと悔恨を呼んでいのに。それなのに、既に故人となったかと思われたその張本人が、熱い鍋に舌鼓を打っている。
 だが、呆れて脱力しながらその場にへたりこむオルカは、コウジンサイの姿を改めてよく見た。
 まだ鮮血も顕な包帯の数々は、全身に及んで盛り上がった筋肉を白く包んでいる。
「あ、あの、コウジンサイさん? 俺は、その、大変な目にあったと聞いて、その……」
「うむ、死ぬかと思わったわい」
「死んでは、いない……ですよね、見ればわかります」
「おうよ、足もあるぞ。ほれ!」
 バシバシと己の足を叩いてコウジンサイがカカカと笑った。だが、巨体を揺すって背を逸らした、その豪快な笑みが激痛を呼んだらしい。コウジンサイは見えない電撃に撃たれたように「はうあ!」と涙を目に浮かべて蹲る。
「コウジンサイ様! まだ傷口が塞がってないんです、だから寝てた方がいいと」
「なんのミヅキ、血が足りん……足りんのじゃ。食うて食うて、血を増やさねば!」
 苦悶の表情でしかし、痛みを堪えてコウジンサイはガツガツと椀に山盛りの肉を食いだした。平らげて鍋からよそい、また箸をカツカツと鳴らして頬張り、身体の中へと流し込んでゆく。ミヅキは呆れた様子であっけにとられながらも、クスリと笑ってオルカにも座るように進めてくれた。おずおずと座れば、熱い茶が出される。
「ふふ、急いで駆けつけてくださったんですね……オルカさん、ありがとうございます」
「い、いや、俺はてっきり……その、必死というか焦ったというか」
 だが、込み上げる安堵に全てを忘れてゆく。安心したら酷く疲れて、オルカは茶を一気に飲もうとして「あちっ!」と舌を出した。それでコウジンサイとミヅキとに笑みが浮かんだ。
 愉快そうに笑うコウジンサイは、箸を止めて困ったように悔しさを滲ませた。
「じゃが、この傷では二週間は動けまいて。ワシとしたことがもうろくしたものよなあ」
「コウジンサイ様、お医者様は一ヶ月は絶対安静だと」
「なに、ワシなら二週間じゃ。骨も腱もやられておらん。傷はそのうち塞がるしのう!」
 なかなかに無茶なことを言っているが、オルカは知っている。この屈強な老ハンターが、常識外れの膂力を持っていることを。置いてなおますます盛んなコウジンサイは、なによりも狩りに出られぬことを悔やんでいるかのようだった。
「それで、コウジンサイさん。なにがあったんですか? 俺が聞いた話では」
 ――ユクモ村に物凄い飛竜が出た。
 そのことを思い出して、オルカは真剣な顔つきになる。彼の表情を見て、コウジンサイもミヅキも居住まいを正して額を寄せてきた。まだ湯気のあがる鍋のいい匂いの中、三人は顔を合わせて自然と声をひそめる。嫌に神妙なコウジンサイの顔つき、そしてミヅキの鬼気迫る表情が自然とオルカの声を小さくした。
「実はの、オルカ。……風牙竜というのを聞いたことがあるかのう?」
「いえ、初めて聞く名です。氷牙竜ではなくてですか?」
 頷くコウジンサイの言葉に、オルカは風牙竜の名を呟いて自分に言い聞かせる。
 氷牙竜というのなら聞いたことがある、忘れもしないベリオロスのことだ。まだ新米だったオルカの前に立ちはだかった難敵、超えるべき壁……その圧倒的な脅威は、凍土を統べる王者の貫禄にふさわしい。雪原の氷河を支配する、恐るべき飛竜だ。その異名と響きは似ているがしかし、風牙竜というのは耳に馴染みがない。
 そのことを正直に伝えたら、コウジンサイが教えてくれた。
「いわゆるベリオロスの亜種というやつでの。目撃例は極めて稀じゃ」
「亜種……そんなのがいるんですか」
「うむ。じゃがの、ワシが遭遇したのはとほうもなくデカい。ゴールドクラウンは固いのう」
 ゴールドクラウンとは飛竜の大きさの等級、その最上級を表す単語だ。必定、巨大な飛竜はそのまま竜齢を表し、同時に危険度の高さをも推し量る指標となる。勿論、体躯の大きさに関わらず危険な個体もいるにはいるが、巨大な飛竜ほど強敵であるというのが一般常識だ。例えばそう、以前ユクモ村近辺の渓流に君臨していた鬼神、巨大なジンオウガなどがそうである。
「最初はの、ワシは砂海で例のジエン・モーランの後始末をしておったのよ」
「ああ、あの」
「その時丁度、砂原の方に奴が現れおった……何人ものハンターが犠牲になったのじゃ」
「それでコウジンサイさんが。でも、命に別状がなくてよかったです」
「カカカツ、防具に助けられたわい。ミヅキ、あれをオルカに見せたいのじゃが」
 ミヅキは静かに立ち上がると、向こうの部屋から一組の鎧を持ってきた。篭手や具足もセットで、碧に輝く表面には白毛があしらってある。ジンオウガの素材、それも極上品を使った防具であることは明らかだった。
 だが、正確にはこう評すべきであろう……防具であった、と。
 その鎧は完璧にその機能を失うまで壊され尽くしていた。
「これは……ジンオウガの素材を用いた防具が、こんなに」
「例のルナル達が仕留めた、あの鬼神より作った逸品じゃよ。それがこの有様じゃ」
「風牙竜ベリオロス……恐ろしい飛竜ですね」
 戦慄に表情を凍りつかせるオルカは、ルナルの声で更に心胆を寒からしめる。
「オルカさん。以前、ノジコさんが柳の社の古文書を整理してくれたんですが……」
「ああ、そういえばそんな話をキヨさんがしてた気がするな。……ま、まさか」
 頷くミヅキの唇から、神妙な作った声音が静かに零れ出た。
「天に風神、地に雷神。均衡崩れし時、彼の地に災禍訪れん……なにかピンときませんか?」
「天に風神、地に雷神……雷神? ああ、もしかして」
 オルカには心当たりが合って、それは目の前で今は防具の残骸として広げられている。
 この地に覇をなし猛威を振るった、それはあのジンオウガだ。そびえるような巨躯をもって、渓流を恐怖のまっただ中へ突き落とした。雷神……だとすれば、もう一つ符合するキーワードがある。
「天に風神、風牙竜……これが、均衡を保っていた天地の風神雷神、ということかなあ」
「そう読み取れる気がして、わたしも胸騒ぎが」
「やれやれ、こうした話が多いな最近。サキネさんも物騒な伝承を知ってたし……」
 世界各地に神話や伝承として伝わる、古龍や飛竜の脅威。それは、遥かな昔から人類に対する脅威として翼を持つ者達が君臨してきたことを意味する。そして、今は旧世紀と呼ばれる失われた太古の文明の、その奇跡の御業をも伝えてる気がするのだ。
 その続きに連なるミヅキの不安を、妹の声が代弁した。
「それにオルカっち、災禍訪れんってなんだろね? 柳の社さ、鳥居に描いてあるあれ……古龍だよね」
 振り向けばそこには、ルナルが普段のゆるい笑みを浮かべて立っていた。だが、目元は笑ってはいない。
 そしてオルカも思い出す。ミヅキが巫女を務める柳の社は、鳥居に古龍らしき抽象画が掲げられていた。
「……ルナルさん、さっきは酷いじゃないですか」
「あ、怒った? ごめんごめん、でも遅かったなって。も少し早ければ、鍋を四人前にしたのになって」
 ニヘヘと悪びれた様子もなくルナルは、その背後に複数のハンター達を連れていた。
 それは一人を除いて見慣れた顔で、しかし知らぬ一人もどこかで見たような顔立ちだ。
「オルカっち、お客さん。新しいとこのお仲間さんかな?」
 ルナルに連れられやってきたのは、ノエルとウィルだった。そしてもう一人、見知らぬ少女がレイアシリーズの防具に身を包んでいる。微笑を湛えたその顔立ちは整っており、間違いなく可憐な美少女だ。だが、その表情にどこか見覚えがあるのだ。
「オルカ、アタシ達もさっきの便で追いかけてきた。はいこれ、武器と防具」
「あわてんぼうだな、おい? へへ、なんか狩りの匂いがしたからよ……どえれえ狩りの匂いがな」
 ノエルが渡してくれたのは愛用の防具、ユクモシリーズだ。だが、武器は例の不完全なディーエッジ。竜姫の剣斧はまだ工房で恐らく強化中なのだろう。これを持ってきてくれたノエル達の意図を理解した瞬間には、がしっとウィルに肩を組まれる。
「かわいいけど似てない姉妹だな? ええ? ……お前さんはどっち狙いなんだ?」
「や、そういう目で見たことないですけど。それよりウィルさん、彼女は?」
 オルカが目配せすると、ウィルの視線に促されて少女は居合わせた全員に礼儀正しく頭を下げた。
「モガの村のハンター、ハルカと申します。よろしくお願いいたします」
 その声を聞いた瞬間、仰天に開いたオルカの口をウィルが抑えてくる。
 ハルカと名乗った剣士は、その声は遥斗だった。
「ここはシキ国だからな。わかるだろう? オルカ。悪いが遥斗にゃルーンのお下がりを着てもらった」
「……驚きました。その、妙に似合っているというか、違和感がないというか」
「時々そうだが、宮家やら皇族やらは男子でも幼少期は女装させて育てる風習があるからな」
 遥斗の正体はこのシキ国の三大宮家の人間だ。記憶を失ってはいるが、彼を知る人間がいるかもしれないのがこのシキ国は冴津である。必定、オルカの後を追って届け物をしようとした遥斗を、苦肉の策でルーンは女装させたのだ。なにかと面倒な事情もあるし、モガの村の自治権に関わる大事に発展する可能性もある。できればルーンは、遥斗には村にいて欲しかっただろう。だが、オルカは容易に想像できる……自分に懐くこの少年は、きっと飛び出さずにはいられなかったのだ。
 遥斗も気恥ずかしいらしく、オルカを見ては頬を赤らめ俯いてしまう。
 洒落にならないレベルで違和感がないので、オルカは困惑してしまった。
 だが、手にした武具が教えてくれる……これからが狩りの時間だと。オルカは勿論、恩人の無事さえわかればあとはやることは一つだった。

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