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 沸騰した空気はプラズマを纏って爆ぜ狂った。
 オルカは気付けば、流血にまみれて地に伏している自分に気付く。身体が動かず、痛みも感触も感じられない。ただ近づいてくるネコタクの車輪の音と、吠え荒ぶ海竜ラギアクルスの咆哮だけが耳に響いた。
 自分が大打撃を被った、その瞬間を覚えていない。
 圧倒的な力で叩きのめされたことすらわからなかった。
 自然と宙をさまようオルカの視線が、仲間達の無事を求めて見慣れた姿を探す。
「ノエルちゃん、遥斗の奴はネコ達に任せな! へっ、いいじゃねえか……ニ乙からが狩り本番だぜっ!」
 全ての音が遠ざかり、全ての声が聞き取れず反響する中、その雄々しい言葉がオルカの耳を打つ。
 雌雄一対の双剣を手に、ウィルが矢継ぎ早に叫びながらラギアクルスに対峙していた。そのハプルシリーズに身を固めた背中が見えて、オルカは歯を食いしばって身を起こす。未だ己を包むベリオシリーズの防具は帯電して、青白い電燐を周囲へと発散している。次の一撃を貰えば、意識を一気に剥ぎ取られる……だが、オルカは武器を杖に立ち上がった。
「ウィル、俺は、まだ……まだ、大丈夫だ。……なにをもらった? いつやられたか覚えていない」
「おっ、しぶといねえオルカ! おら、次が来るぞ! 走れっ!」
 千鳥足でふらつきながらも、オルカは懸命に回避運動に走る。
 よたよたとオルカが駆け出した瞬間、一瞬前までいた場所に巨大な雷撃が炸裂した。
「くっ、これが雷公ラギアクルスの力……圧倒的じゃないかっ」
 次第に鮮明になる意識の中に、かすかに芽生える恐怖。それは今、オルカの全身を満たしてじわじわと締めあげてくる。歯の根が合わずガチガチと鳴り、総身を震わせる恐慌に発狂しそうになる。
 まさしく、今目の前で荒ぶる雷神の化身こそが、このモガの島を統べる偉大なる竜王だった。
「オルカッ! 気休めだけど……今、動けないと困るだろ? これをっ」
 一歩引いた場所から注意を払うノエルが、手にした小袋を投げつけてくる。危うい手つきで受け取ると同時に、オルカは事態の逼迫した状況を察した。
 ノエルが投げつけてきたのは、生命の粉塵と呼ばれる高価な薬剤だった。
 生命の粉塵は、不死虫と呼ばれる虫のエキスを、竜の爪と牙で煎じた薬品だ。その名の通り、いかな傷をも癒して命を繋ぎ止める妙薬と世間では知られている。しかしその実態は、調合に用いられる貴重な素材に見合うだけの効能を持った、危険な薬品だった。
 迷わずオルカは生命の粉塵を開封、その純白の粉末を喉の奥に流し込む。
 たちまちオルカの全身に蘇りつつあった痛覚が、瞬く間に痛みを忘れてゆく。
 同時にオルカは、ディーブレイクを構えて全力で飛び出した。
「この身体っ、長くは持たない! ウィル、連携を……一気に畳み掛けるっ」
「おう、やっちまおうぜ! 奴の挑戦、真っ向勝負で受け止め退ける!」
 全力で走るオルカは今、息が切れずに加速してゆく。高鳴る鼓動の音は、まるで耳の側で爆発寸前であるかのように大反響。それでも、生命の粉塵がもたらす麻薬作用で、オルカの身体は限界を超えた力で馳せる。
 すぐ前を走るウィルに続いて、オルカはまっすぐにラギアクルスに吸い込まれていった。
 だが、白雷を纏う竜の王は、強靭な尾の一撃でハンター達を吹き飛ばす。
「オルカ、ウィルも! 援護する、立て直して!」
 連続して飛来する矢が、弧を描いて頭上を切り裂く。その絶え間ない連続射撃に、バックスのノエルが距離を詰めてきているのをオルカは察した。本来、ガンナーは一歩引いたポジションから狩場全体を見渡す位置にいる。なのに、ノエルは血相を変えてインファイトの距離まで距離を縮めていた。
 至近距離から放たれる剛弓はしかし、虚しく背電殻にはじかれる。
 オルカはその目ではっきりと見た……ラギアクルスが背中の発電器官を輝かせると、ノエルの矢の軌道が空中でねじ曲がるのを。恐るべきは雷公ラギアクルス。その奇っ怪な現象を、すぐ側で立ち上がる男が説明してくれた。
「野郎、放電の電圧で磁場を形成してやがる。金属武器を弾くぞ、ありゃ」
「磁場? 磁力か、それでノエルの矢を弾いている……ならっ」
 ガンナー、とりわけアーチャーが使う弓はさまざまな素材で強化される。だが、使用される矢はどれも共通規格の同じ品だ。鋼鉄の鏃は容易にラギアクルスの磁界にとらわれ力を失う。だが、鋼の刃を用いるモンスターハンターは、同時に竜の骨に爪と牙、大自然の素材をも武器にする。ましてオルカが手にしているのは、太古の昔に作られたらしい未知の物質だ。
 振り上げられたディーブレイクは、変形機能こそ不十分だが豪斧の刃を煌めかせる。
「ステップで左右に散らせ、オルカ! ケツは俺がもってやる、振り返らず突っ込んじまえ」
「頼みます、ウィル! ……くっ、変形レバーが反応しない。やはりダメなのか、お前は」
 振り上げた斧を握りしめ、変形レバーを強く押しこむ。
 だが、スラッシュモードへと武器が変形することはない。それでもそのまま垂直に切り落として、手に鈍い痺れを受け止める。切れ味の向上しているディーエッジの鋭さも、ラギアクルスの硬い甲皮を前に傷ひとつつけられない。
 歯噛みするオルカが大きくのけぞるが、その隙をウィルがカバーして双剣を高く掲げる。
 ウィルの全身から漲る覇気が、まるで目に見える炎のように揺らめいた。
 限界まで鍛え上げれた屈強なウィルの全身が、一回り巨大に膨張してパンプアップする。
「っしゃあ、下がってなオルカッ! お見舞いっ、するぜええええっ!」
 絶叫と共に地を蹴るウィルが、迎え撃つラギアクルスへと吸い込まれてゆく。繰り出される牙をかいくぐり、振りかぶられた爪を避けながらも肉薄してゆくウィル。その身は幾度と無く重い一撃に揺さぶられながらも、ついに零距離で剣の間合いにそびえる巨躯を捉えた。肉薄と同時にウィルの両手が雲を引いて光の軌跡を描き出す。
 鬼人化と呼ばれる究極の高揚状態で、無我の境地から繰り出される剣が流血を散らした。
 さしものラギアクルスも、身を削られる痛みにわずかに怯む。
「このまま押し込むっ! ノエル、ありったけの矢を! 今、奴の磁場が緩んでる」
「オーライッ、オルカ! 束ねて一気に……引き絞るっ」
 ノエルはその手に複数の矢を握るや、同時につがえて弓をしならせる。
 同時にオルカは地を蹴った。全身の筋肉をバネに、大きく振りかぶったディーブレイクを叩き付ける。弾かれても構わず、そのまま二度三度と打ち付ければ、ラギアクルスの絶叫に身が萎縮した。
 だが、それ自体が荒れ狂う大海原の如く、ラギアクルスはダメージを感じさせぬ猛威で剣士達を引き剥がす。
 吹き飛ばされたオルカのすぐ側に、垂直に落下したウィルがすぐさま跳ね起きる。
「くそっ、ダメージは通る。この手応え、奴ぁ火に弱ええ。けどよ、こりゃ」
「ウィル、ラギアクルスが!」
 その時オルカは、蒼玉の如きラギアクルスの双眸と視線がぶつかった。
 目が逸らせない、逸らせば次の瞬間には飲み込まれる……そういう威圧感に萎縮していると、不意にラギアクルスはその巨体を翻す。全くダメージを感じさせず、ラギアクルスは海岸線に向けて悠々と動き出した。
 逃がすものかと踏ん張ったところで、オルカの脚は主を裏切り膝から崩れ落ちた。
「チッ、ここまでだな。流石は近海の王だぜ、ありゃ。オルカ、無理すんな」
「でもウィル、奴が、ラギアクルスが逃げる」
「追えるかよ。追ってどうする? 俺達の全力全開は、奴に傷ひとつつけられなかったんだぜ?」
 ウィルの表情には、焦りと苛立ちと、それらに相反する清々しいまでの敬意が浮かんでいた。
 同じ気持はあれども、オルカには悔しさの方が大きい。
「二人共、どする? 一応、ペイントしとくけど」
 ノエルがペイントビンへと鏃を突っ込み、その一矢をラギアクルスの背中へと射る。独特の刺激臭を引き連れ、ラギアクルスは地図上では別エリアに分類される方向へと消えていった。
 同時に極限まで張り詰めたテンションが途切れて、オルカはその場に大の字に倒れ込む。
 嘗て凍土でベリオロスを狩猟した時も、砂海でジエン・モーランと死闘を繰り広げた時も、これほどまでに絶望的な敗北を喫したことはなかった。ここはオルカ達モンスターハンターが日々の生活の場としている陸地、孤島の狩場だ。そして、海を縄張りとするラギアクルスにとっては、いわばアウェーの戦いだったのだ。
 だが、オルカ達は圧倒的な力の差を見せつけられた挙句、一矢報いることすら叶わず失望を買ったのだ。
 そう、ラギアクルスは明らかに戦意を喪失していた……戦う価値すらないと、オルカ達を見限り去ったのだ。
「追う? ……訳、ないか。完敗だね……部位破壊すらしてる余裕なかった」
「ああ。俺達はあのラギアクルスを狩るという、千載一遇のチャンスを逃したんだ。けど、すげえもんだ」
 双剣を研ぎ直して背負うと、ウィルはヘルムを脱いで汗に濡れた頭を振る。
 ウィルと違ってオルカにはもう、指一本動かす力も残ってはいなかった。
 そんな時、背後から駆けつけた声が弾む。
「オルカ! ウィルさんもノエルさんも、お待たせしました。またやられてしまって……でも大丈夫です!」
 ネコタクで真っ先にキャンプ送りになった遥斗が、息せき切って戻ってきた。その手は、大量の支給品を抱えている。どうやらギルドの方でも、突然のラギアクルスの上陸に支援物資を手配してくれたらしい。
 だが、駆けつけた遥斗の顔から英気が急激に失われてゆく。
「オルカ? あれ、皆さん……どうしたんですか? ペイントしてありますね、ラギアクルスは向こうに?」
「……遥斗、戻るぞ。ありゃ、今の俺達では無理だ。装備も技量も足りねえ。なにより、気持ちで勝てねえ」
 ウィルの言葉には、全力を出し切った充足感があった。勿論、オルカ同様に悔しいのはひしひしと感じられる。ノエルも気持ちは同じだろう。だが、大自然の脅威をその身で思い知った今、改めて雷公ラギアクルスへと畏怖と畏敬の念を禁じ得ない。だが、それはこのモガの島で生きるためには、超えなければいけない壁でもある。
 敗北に打ちひしがれるハンター達を、突然の揺れが襲う。
 激しい激震にこの日、モガの島は日常と化しつつある恐怖に改めて打ち震えた。

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