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 観光客や地元民でごったがえすタンジアの港に、人々の熱気と興奮を吸い込む一角がある。モンスターハンターが狩場で捕獲してきたモンスターを使った、闘技場だ。栄光と挫折、生と死が凝縮されたコロッセオは今、集まった観客達の割れんばかりの歓声で満たされている。誰もが手に賭札を持ち、これから行われるショーに熱狂していた。
 そんな中で遥斗は、はしゃぐ気持ちを持てずにいる。
 エルグリーズに手を引かれているのに。
「遥斗っ、こっちです! ええと、ハの45、46? かな……う〜、んと……」
 入り口でもらった半券を片手に、もう片方で遥斗の手をぎゅっと握ってエルグリーズが唸る。器用に彼女は、チケットを持つ手と豊満な胸の間に、タンジアビールと大漁のおつまみを抱えていた。
 だが、どうやらエルグリーズは文字を読むのは得意ではないらしい。
「……この奥かな。もう少しいかないと、エル」
「ですよね! 行きましょう、遥斗!」
「あ、待って……引っ張らないで」
 今日という日は実は、ノエルが全てセッティングしてくれたのだ。それで今、少しばかり仕立てのいい服を着て(交易船のゼヨ船長から入手した)エルグリーズと二人きり。そのエルグリーズも、普段モガの森を闊歩する半裸姿ではない。あれこれノエルが世話を焼き手を焼いてくれたお陰で、目の前にはとびきりの美少女が優美で豊満な曲線美をワンピースで覆っている。
 遥斗を引っ張り歩くエルグリーズを、観客席の誰もが振り向き振り返った。
「ここだよ、エル。ハの45と46……え、こ、ここって」
 指定された座席について、遥斗は硬直してしまった。
 だが、構わずエルグリーズは大きなお尻をふかふかのソファへと勢い良く落とす。
「? どうしたんですか、遥斗。早く座ってくださいっ!」
「あ、ああ、うん。じゃ、じゃあ……お邪魔、します」
 ここはカップル専用のペア席がある区画だ。左右前後のソファでは、目の前の激戦を尻目に男女がイチャつき密着して、睦言をささやき合ったり唇を重ねたりしている。余りに刺激が強くて、座った遥斗はノエルを恨んだり崇めたりしながら俯き膝の上に拳を握った。
 だが、エルグリーズは気にした素振りも見せずに、遠慮なく身を寄せてくる。
「遥斗っ、ビールです! タンジアチップスもありますよ。ほらっ」
「い、いただきます」
 冷たいビールの喉ごしも、揚げたてのタンジアチップスの香ばしさも今は思考の埒外だ。柔らかな弾力が側面から圧してきて、やや狭いソファの中で二人の距離をゼロにしてゆく。どぎまぎと落ち着かない遥斗は、隣のエルグリーズが直視できずにず下を向くしかない。
「……なにを考えてるんだろう、ノエルさんは。……それと、オルカも」
 こんな時間を持てたのは実は、オルカが話をつけてくれたからだ。ここ最近はモガの村と狩場を往復する毎日が続いて、遥斗の暮らしぶりは殺伐としたものだった。それを見かねたのか、先日オルカはタンジアの港で息抜きをするように言ってきたのだ。
 その真意は推し量れないし、このチャンスを活かす自信もない。
 けど、命の恩人にして憧れの人は今、自分の隣にいるのだ。夢中でもぎゅもぎゅとタンジアチップスを口いっぱいに頬張り、狭い闘技場の中で暴れるモンスターをじっと見詰めている。その横顔はやはり、遥斗には綺麗に見えた。恋は盲目の類で、色気もへったくれもないエルグリーズの笑顔は童女のようにあどけなかったが、遥斗には眩しくて直視できない。
 会場の空気を揺るがす巨大なドラが打ち鳴らされたのは、そんな時だった。
「あっ、遥斗。次の催し物が始まるみたいですっ」
「ええと、次がメインだから……獄狼竜? なんだろう、聞いたことのないモンスターだ」
 今まで場つなぎの為に新米ハンターを追い回していたロアルドロスが、係員の手で檻の中へと追い立てられる。あの紫色の毛並みは亜種と呼ばれる珍しい個体だ。貧相な武器防具しか渡されていないハンター達を蹴散らしたロアルドロス亜種は、満足気に一声なくとゲートの中へと消えていった。
 そして周囲の観客達が、メインイベントを待ちわびて静かになってゆく。
 先程の耳に痛い大歓声とは裏腹に、声を潜めた囁きが緊張感を高めていった。
 そして再びドラが鳴らされ、ゲートの暗がりから絶叫と共に今日の主役が躍り出た。正午を過ぎて帰路につく太陽の、その燦々と輝く陽光を吸い込む漆黒の巨体。それは今、遥斗の中で違う色の同じモンスターを想起させた。
「あれは……ジンオウガ!? でも、あの体毛と甲殻……ど、どうなってるんだ!」
「あれ、遥斗は初めて見るですか? エル知ってます! あれは、ジンオウガ亜種……獄狼竜」
「獄狼竜……」
 オウム返しに呟く遥斗は、気付けば身を乗り出して闘技場の中央へと視線を投じていた。
 その名のごとく、地獄の亡者を喰む孤狼の如き威容……モノクロームのジンオウガが天へと吠えると、ビリビリと空気が怯えて震えながら観客達に静寂と沈黙を押し付けてゆく。完全に空気がモンスターに飲まれたところで、今日の最後の挑戦者達が姿を現した。
 今度は思わず、遥斗は立ち上がってしまった。
「あれは、オルカッ! ノエルさんも!」
 そこには見慣れた狩りの仲間達の、普段は見られない姿があった。
 オルカもノエルも、ユクモ村で得たベリオロス亜種の防具を身にまとってはいない。ニ、三箇所だけ与えられた防具はどれも古びて解れた粗末なものだ。持つ武器も、ジンオウガを狩るにはどう見ても不釣り合いな程に斬れ味も攻撃力も不足している。現れた四人のハンターは、誰もが皆闘技場の挑戦者らしく、裸にも等しい状態だった。
 モンスターハンターが腕を競う闘技場では、特定の大会を除いて自前の武具を使うことが許されない。運営委員会から手渡されるのは、使い古された武器と防具、そして僅かばかりの支給品。ここでは腕を競うことが前提で、観客は皆が皆、苦戦するモンスターハンターを見に来ているのだ。普段ならば十全の下準備を重ねて挑む筈の強敵に、ここでは与えられた許容範囲内での狩りが求められる。そして、用意された環境は不自由を前提にした不完全なもの。当然死者は後を絶たないが、それでも挑む者もまた後を絶たない。
 狩りの腕をこそ己の最強の武器とするモンスターハンターには少なくない。結果として充実した武具に恵まれるが、あくまでもそれは余録だとうそぶく者までいる。
「エルッ、獄狼竜は……あのジンオウガ亜種は!」
「えっと、すっごーい強いです! ピカピカッってのをズビュビューン! って飛ばしてくるんです」
 よくわからないが、エルグリーズはジョッキとキングサイズのタンジアチップスの包を手に、腕を広げて説明してくれる。
 一目見ただけでも、遥斗のような未熟なハンターにも知れる……あの獄狼竜に秘められた恐るべき力を。
 だが、同時にようやく理解する……オルカが見せたかったのはこれだ、オルカ自身が命で示すなにかだ。
「……遥斗、座ってください。そして、二人でしっかり見定めましょう」
「エル……」
「エルも知りませんでした。ただ、遥斗と美味しい物食べてこいって……でも、今はわかります!」
「……うん」
 遥斗が腰を下ろすと同時に、最後のドラが鳴らされる。同時にオルカ達四人は一斉に散開してジンオウガの周囲へ散らばった。オルカとノエル、あとの二人はたしかオルカの古い友人だ。大剣を背負って走る竜人族の女性と、ランスを手に距離を詰める美丈夫……二人は歴戦の古強者だと聞かされている。何より弓で援護を始めたノエルもいてくれる。でも――
 気付けば遥斗は込み上げる震えに、固く握った拳の中で、食い込む爪の痛さを忘れていた。
「オルカ、ノエルさん……皆さんも。気をつけて、そのモンスターは……危険な、気が、します」
 遥斗の予感は的中した。激昂に叫ぶジンオウガの身体が、周囲の空気を揺らめかせて燐光を放つ。その暗く怪しい光を身に招いて、獄狼竜の身体が漆黒の炎を天へと屹立させた。同時にオルカ達も、支給用の秘薬を飲むや全力で四方から襲いかかる。身にまとう防具はあまりに心もとなく、触れるだけでもダメージは免れない。
 だが、オルカは誰よりも先に獄狼竜に肉薄すると、躊躇なく恐れずにスラッシュアクスを振り上げた。
 その蛮勇とも言える勇敢な行為に、闘技場は足踏み叫ぶ観客達に揺れ轟く。
 劣勢は見るも明らかで、ベテランの四人が次々と吹き飛ばされてゆく。
「ああっ、オルカ! ノエルさんも、後ろに……あれは、超電雷光虫? くっ、追ってくる!」
「あれは触龍虫……獄狼竜を住処として龍の因子に群がる羽虫。……はれ? え、ええと、エルは今――」
 突然、エルグリーズの声音が静かで神々しく尖った。普段の元気でみずみずしく弾んだ声色が、突然全く別人になったかのように冴え冴えと遥斗の耳に侵入してきたのだ。それで振り返ると、そこには首を傾げるエルグリーズの姿。
 だが、エルグリーズは遥斗を見ると、膝の上の拳に手を重ねてきた。
「遥斗、大丈夫ですか? 震えてます……こんなに」
「僕は、見てるしか……でも、オルカが見せたかったのはこれなんだ。だから、目を逸らしては」
 それは死闘と呼ぶのも生温い光景で、僅かな隙が生死を分かつ。まさしくここは、獄狼竜が広げる地の底にも似た辺獄。それを食い入るように見入る、否……魅入られたように観客達は誰もが立ち上がって拳を振り上げていた。
 そして、仲間達のアシストを得て、オルカがスラッシュアクスを変形させると同時に地を蹴る。
 じわじわと削られながらも怒りの咆哮を響かせ、まっすぐ獄狼竜もオルカへと突進していった。
 ――そして、鳴り止まない反響に空気が沸騰する。
「オルカ……よかった。でも凄い、あんな武器防具で……やっぱりオルカ達は凄い。僕は」
「遥斗?」
「オルカが言いたいことがわかったんです。僕は未熟で、未熟である自分を恐れていたのかも」
「でもでもっ! 遥斗は、凄いオルカの仲間で、でもオルカにはなれないしならないです! ええと」
 あうあうと身振り手振りを交えつつ、エルグリーズは俯く遥斗の前でおろおろと要領を得ない。
 背後で声が響いたのは、そんな時だった。
「わかった気になるなよ、遥斗。でも……伝わったろ? オルカ達が言葉ではなく、血と汗で語ったものが」
 振り向くとそこには、いつのまにかウィルがいた。彼はバリボリと髪を掻きむしると、溜息混じりに呟く。
「お前達を迎えにきたんだ。ちょっと厄介なことになったぜ……風雲急を告げる、ってやつだ」
 ――ルーンがやられた。
 その言葉に思わず立ち上がった遥斗は、すぐ隣で信じられない様子でジョッキを落とす音を聞く。
「……嘘。嘘です! ルーンが……だって、ルーンは強くて、凄く強くて、ものすんごく……嘘」
 見上げる遥斗は、初めて白い顔をことさら白くして戦慄にわななくエルグリーズを見る。
 その時自然と、震えるその手を握ってやることができたが、彼女は握り返してはこなかった。

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