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 一夜明けたモガの村は、絶望的な戦慄に満ちていた。昼過ぎにようやく寝床を這い出てきたオルカは、先ほどノエル達から仔細を聞いて現状を把握したところだ。
 強敵、海竜ラギアクルスを討伐したその夜……モガの村を脅かす真の強敵が姿を現した。
 そのことで今、オルカ達モンスターハンターは全員集められていた。
「本当なんです、昨日はエルが突然……明らかに様子が変でした!」
 遥斗の声にウィルや夜詩は神妙な面持ちで、まだ包帯姿のルーンもざくろに付き添われて話を聞いている。
 当のエルグリーズ本人は、遥斗の隣で不思議そうに首を傾げていた。
「あっ、あのっ! エルは変だったでしょうか……その、昨日の夜は遥斗と」
「エル、落ち着いて聞いてね。その、まるで人が変わったように」
「でもっ! ニャンコ先生が大胆にいけって。だからエル、嬉し恥ずかしでした! ニギニギしました!」
 ウィルが「ほう」と意味深な笑みで顎をさすり、夜詩が「むう」と右手をワキワキさせる。
 そして遥斗本人は、シュボッ! と真っ赤になったまま俯いしまった。だが、エルは喋り続ける。
「エルはやっぱり、はしたなかったでしょうか」
「や、そういう訳じゃ……違うんだ、そうじゃなくてその後」
「その後……記憶にないですっ! エルはてっきり、遥斗と一緒に寝てたと思ったです!」
 あうあうと遥斗が言葉にならない声でうめいて、ノエルに肘で突かれる。村中が凍れる空気に荒んでいる中でも、モンスターハンター達は普段と変わらない。そうして平常通りに不敵でいることで、村人達もまた安心するとオルカは知っていた。
 だが、早速遥斗はいじられはじめる。
「よぉ、遥斗。それで……どうだった? ばっちりキめたか?」
「そうそう、最後までしっかりやった?」
 ウィルとノエルが交互に、遥斗を突っついては頬を緩める。
 だが、返ってきたのは残念な答だった。
「い、いえ、全然……その、いい雰囲気だったのですが。エルが突然」
 やはり不思議そうに首を傾げるエルグリーズをよそに、俯きもそもそと喋る遥斗。その言葉を聞いて、露骨にノエルは落胆し、やれやれとウィルは肩を竦めた。フッ、と鼻で笑ったのは、アニエスから詳細を聞いていたルーンだった。
 ラギアクルス討伐の顛末を語るアニエスを遮り、ニッコリ最高の笑顔でルーンが一歩前へ。
 こんなにも上機嫌な彼女を見たのは、オルカも初めてだ。
「エルにそんな器量を求めても無駄だということだ。言っただろう、ウィル。ノエルも」
 そう言ってルーンは手を出し、さっさと払えとばかりに指でクイと煽る。
 渋々ウィルとノエルは財布を取り出すや、ゼニーを忌々しそうに白い手へと握らせる。どうやら三人の間で賭けが成立していて、胴元であるルーンの一人勝ちらしい。呆れた根性だと思う反面、ルーンの判断に概ね自分も賛同しただろうとオルカは心に結ぶ。元来、純情な遥斗に性急すぎる男女の進展を期待してはいけないのだ。
「ルーン、どうしたんですかそのお金! ウィルもノエルも!」
「顔が近いぞ、エル。まあ、気にするな。あとでタンジアビールをおごってやろう」
「本当ですか! ルーン、やっぱりルーンはいい人です!」
 一連のやり取りを当事者であるエルグリーズに気取らせることなく、ルーンはほくほくの笑顔で財布をぱんぱんに膨らませる。結構な大金がオルカの目の前でやり取りされて、タンジアビールなら樽ごと買ってもお釣りがくる額だ。
 だが、そうしてはしゃいで不安を払拭しようとするベテラン達と違って、ルーキーの遥斗は表情が優れない。
「大丈夫かい、遥斗。深く考えないほうがいい。みんなのおふざけもまぁ、君を応援してのことさ」
「あ、いえ、それはいいんです。いいんですけど……オルカ、やっぱりエルは昨日」
「うん。詳しく話してくれるかな」
 遥斗の口から、昨夜のエルグリーズの異変が語られる。オルカも、ラギアクルス討伐の佳境でエルグリーズの取った奇行を思い出していた。みんなで力を合わせて竜撃砲を放った後、突如としてふらふら夢遊病のように彼女は歩き出したのだ。意味不明な言葉を口ずさむ、その声音は普段の無邪気で愛らしいものではなかった。まるでそう、本物の魔女が囁く呪詛のようなその言葉。
「三獄の星龍……それが奴の名、なのかな」
「わかりません。でも、昨夜も同じ事を」
 その時、夜詩が「おはようございます、村長! みんな、村長だ」と身を正す。それでオルカは遥斗とのひそひそ話を打ち切り、そろって整列してこの村の長を迎える。いつもの椅子にゆっくり腰掛ける村長は、ギルドの受付をしているアイシャを伴っていた。
「おはようございます、村長。早速ですが、昨夜の異変について……村の皆が不安に浮き足立ってます」
 アニエスの声に頷き、村長はゆっくりとハンター達の顔を見回す。
 ややあって村長は重々しい口を開いた。
「……大海龍ナバルデウス。地震の真の元凶は、古龍だったのじゃ」
「ギルドの方に問い合わせた結果、ごくごく少数ながら目撃例がありました」
 村長に続いてアイシャが、手元の書類をめくりながら口早に話す。
 ――大海龍ナバルデウス。
 オルカは初めて聞く名に戦慄を覚えた。ラギアクルスをようやく倒して、一夜明けたら状況は一変していたのだ。遠く夢の中に祭の賑わいを聞いて安らいだのも束の間、さらなる強敵の出現に胸がざわめく。それは恐怖と畏怖、そして畏敬の念……やはり大きいとは言え、ラギアクルスは海竜種……大自然の一部として生きる野生の竜だ。だが、古龍ともなれば話は別だ。古龍とは、生態系から完全に独立した謎の存在。人智の及ばぬ恐るべき力を持って、この星を自由に闊歩周遊する災害、天災なのだ。
「ギルドの方では、モガの島の破棄が決定されました。孤島の狩場も現在は閉鎖中です」
「アイシャ、その、ちょっと待って」
「モガの村にも退避勧告が出ました。既に交易船の船長が避難船を手配してくれてます。住民達も」
「待って。みんなも聞いて欲しいんだ。その、俺は昨日寝てて見てないんだけども」
 オルカが口を挟んだが、アイシャは珍しく語気を荒げて前のめりに声を張り上げた。
 普段の陽気な彼女からは、考えられない悲痛な叫び。
「死んでしまいますっ! 無理です、もう駄目なんです……私はギルドには逆らえません。それに」
 ぐいと瞼を手の甲で拭って、それでもくぐもる湿った声でトーンを落とすアイシャ。
「ナバルデウスの討伐例はありません。情報だって全然……勝負にならないじゃないですか」
 泣き出した彼女を見て、一旦はオルカは言葉を引っ込める。だが、確信がある……自分が言わなくても誰かが言う、誰かが言うだろう言葉に同意する自分がいる。今、ラギアクルスの討伐を経て、絆と団結は以前より強固で確かだ。
 オルカは一人ではないし、誰もが同じ……モガの村のハンターは皆、一つだ。
 アイシャをなだめて優しく背をさすりながら、村長が重い口を開いた。
「村を放棄するしかないのう……大事なのは村人の命、暮らし。ワシはそれを守らねば」
 それだけ言って、オルカ達を慰めるように淋しげに村長は笑った。
 その時、オルカは背後ですすり泣く声や悔しさに地を蹴る音を聞く。振り返れば、いつの間にか村人達がぐるりとオルカ達を取り囲んでいた。誰もが皆、村長の言葉を重々しく受け止めている。村長のセガレは黙っていかつい巨躯をうつむかせているし、狩猟船団の三人兄弟も沈痛な面持ちだ。魚市場の女将に普段の元気はなく、それは誰もが同じだった。
「ルーン、そしてハンター達よ。ありがとう! 今まで本当にありがとう」
「村長……」
「何も言うでない、ワシとて苦渋の決断じゃよ。じゃが、人の命には代えられん。それにの」
 村長は意外な事実を語った。
 皮肉なことに、モガの島の領有権を争う大国が、こぞってその主張を翻したと言うのだ。無理もない、豊かな漁場に肥沃な土地、そして多くのモンスターが一大生態系を織りなす狩場。そのどれもが、安全な南国の孤島という立地条件の上に成り立っているのだ。危険な未知の暗い原生林、モガの森でさえ大国には魅力的に見えるらしい。
 そんな複雑な国際情勢が、僅か一夜で翻った。
 古龍に魅入られ呪われた島には、もはや価値などないのだ。
 ……オルカ達にとってはしかし、それは真逆の答だ。
「そのことで村長、お話があります。ルーン、いいかい?」
「ああ。言ってやれ、オルカ。お前の言葉は私の意思、そして皆の総意だ。そうだろ?」
 ルーンの声に誰もが頷いた。
 その瞳の光に促されて、オルカははっきりと自分達の気持ちを村長に伝える。
「大海竜ナバルデウス……狩ります。俺が、俺達が」
「! ……馬鹿を言うでない、命を粗末にするな」
「元より命を捨てるつもりはありません。ただ、命を賭してでも守りたいものがあるんです。それに」
 ここまではお題目、大義名分というやつだ。
 勿論本音の本心だが、本当に言いたいのはこれからだ。
「それに、誰も狩ったことのない古龍……これを前に奮い立たないハンターはいないですよ」
 ニヤリと笑うオルカの肩に、ぽんとウィルが手を載せ頷く。他の面々も皆、口々にオルカを後押しした。
「ま、こちとらドンドルマ生まれのドンドルマ育ちだからさ。古龍から守るのは得意中の得意なんだよね」
「フッ、やるぞ姉者……今こそ我等ヘルブラザーズの力を示す時!」
「やりましょう、皆さん。あたし達の暮らす村、あたし達と生きる人は……あたし達が守るんです」
 驚きにのけぞる村長の目尻に、光が浮かんで零れそうになる。周囲の村人達にも希望を囁く声が伝搬していった。
「僕達もオルカと共に戦います! 故郷も家族も記憶にない僕には、このモガの村が何物にも代えがたいです!」
 遥斗も堂々と意思を表明、歓声をあげるエルグリーズに抱きつかれてブンブン振り回されていた。
 だが、口々に肯定を言い合う中に、はっきりとオルカが告げる。それは、周囲の者達を驚かせる一言だった。
「ただし、遥斗……君は連れてはゆけない。故郷に、シキ国に帰るんだ」
 夢を追って野望を抱く、ひたすらに前へ前へと上を向くハンターの時間は終わりを告げた。
 オルカははっきりと遥斗に真実を突然告げる……彼がシキ国の皇族、砌宮家の皇子だと。

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