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 霊峰を取り巻く空気は今、雲が渦巻く乱気流。その中心に浮かぶ巨大な古龍を前に、オルカ達は臆することなく武器を手に取った。三獄の星龍と謳われし伝説の古龍を前に、総身を震わせる恐懼が背筋を這い登る。悪寒に手がかじかむのは、何も叩きつける風雨の礫が体温を奪っているからだけではない。
 だが、居並ぶ誰もが知っている、覚えている。
 ――古龍は、人の手で倒せると。
「おーし、かかるぞ野郎共! 三獄だか天国だか知らねぇが……ブッ潰す!」
 クールでクレバーなウィルが珍しく激して、その手に金切り声を歌う雌雄一対の剣を構える。彼の怒りは今、古き過去との再会で燃え上がっていた。その横で、同じ時間を寄り添い過ごした者が脇を固める。
「ウィル、あいつは強い。ドンドルマに来る定期便の連中とは――」
「俺等の言葉で喋んな、アズよぅ。何度も言うぜ、お前は興奮するとすぐ北海の言葉が出る。イく間際とかな」
「……ウィル様、ご注意を。過去最強クラスの強敵です」
「それでいい。危機であるほどクールであれ、ってな。俺等が……団長がそう教えたろ?」
 オルカには、親友アズラエルとウィルにどのような過去が交わっているかを知らない。知らないが、なんとなく二人の背中に絆が透けて見える。互いに武器を身構え立つ姿が、まるで相棒同士のように見えるから。
 だから、そんな二人の背を押すように、自らも剣斧を展開させる。
 臨戦態勢で睨む荒天の空に、アマツマガツチの巨躯が悠々と宙を泳いでいた。
「オルカ、あのお二人は……」
「大丈夫、アズさんは勿論、ウィルも信頼できるハンターだから。俺達は四人で一つ、一丸となってぶつかればいい」
「……はいっ! 僕も及ばずながら援護します。それで、その……」
 隣で太刀を抜き放つ遥斗が、その美麗な表情をかげらせ僅かに口ごもる。彼は何かを言おうとしては口を噤み、それを繰り返す中でようやく言の葉を紡ぎ出した。
 だがオルカは、その意味へ先回りして微笑んだ。
「僕がエルを――」
「それは駄目だ、遥斗。……そうさせないために俺達は戦うんだ。いいね?」
「でも……」
「遥斗。君がエルにしてやれることは、本当にそれだけかい?」
 オルカは察していた。それは、エルグリーズを誰よりも信じて理解する遥斗の、切実で血を吐くような決意。恋し恋され愛を実らせる前に、遥斗は決断しかけたのだ。その全てを失っても、仲間のために戦おうと。二つに一つと選択する辛さは、オルカにもわかる。そして、それを許してはいけない自分を信じていた。
 だから、表情を失い俯いてしまう少年の背をそっと叩く。
「俺達で君をエルの前に立たせる。絶対にだ。だけど、その時の使い方を間違えないでくれよ?」
「オルカ……」
「最後の手段を選ぶにはまだ早過ぎる。少なくとも俺はそう思うけどね」
 オルカの言葉に、ウィルとアズラエルも頷き振り返る。
「遥斗様。私が選んで決めて、それでもできなかったことです。貴方がそれをするべきではない」
「遥斗、男を見せろよ? そんなん着てても男だって、今のエルに見せてやんな」
 呆気にとられた遥斗は、仲間の言葉に大きく頷く。
 その時、頭上から脳内に響く声が降ってきた。
「黄泉路へ堕ちる覚悟はできたか、定命の者よ。奇跡は二度は起きぬ」
 既にまばゆく輝くような全裸を鎧で覆ったエルグリーズは、睥睨する全てを冷ややかに凍てつく炎で照らしている。紅蓮逆巻く灼髪を翻して、彼女は不動に腕組みアマツマガツチの頭部に立っていた。
 オルカ達は覚悟は決めたが、それは死にゆく諦めではない。
 生きて守り、取り戻す……その決意が四人を全力で決戦へと走らせた。
「ならば俺が、俺達が証明するっ! 俺達の狩りが、その全てが奇跡なんかじゃないことを!」
 武器を手に叫ぶオルカが、暴風雨の中を全力で駆け抜ける。仲間達と共に馳せるその眼前に、逆落しにアマツマガツチの巨体が降りてきた。風を従え雨を纏う荒天の女帝は、甲高い方向で空気を震わせるやオルカ達を襲った。
 四方へと散った誰もが、今まで立っていた大地がめくれて裂ける衝撃に転げまわる。
 一点に凝縮された高レベルの水圧は、水竜ガノトトスの繰り出すそれのレベルを凌駕していた。地が裂けて星さえ割れるその威力は、まさしく三獄の星龍の名にふさわしい。意気軒昂に覇気を漲らせて走るも、オルカ達は散り散りに逃げ惑いながらチャンスを待つ。
「クッ、近づけなきゃ封龍剣も届かねぇ! そっちの調子はどうだ、オルカァ!」
 怒号にも似たウィルの声に、オルカは手元の感触を確かめ変形レバーへと指を滑らせる。
 今、分解整備を終えた相棒をオルカは、手の内に完全に掌握していた。理解不能の不良品だったディーエッジは今、幾度もの強化を経て封龍ビンの特性を露わにし、ソルクラッシャーとして完全に機能している。手応えを感じて変形レバーを押し込めば、内蔵された封龍ビンはアマツマガツチの放つ龍の力に呼応するように、秘められた刀身を解放した。
「クッ、封龍剣! 忌々しい……呪われし龍を狩る者の刃! しかし、今の人間達にその力が――」
「うるせぇ! 俺の頭ン中で、ごちゃごちゃ喋るな! このドブス!」
「なっ……!」
 刹一門の力を解き放つと同時にオルカが前転する先へと、小刻みなステップでウィルが距離を詰める。その這う影のように低く身を屈めての突進が、ついに大地を削って翔ぶアマツマガツチの鼻先へと肉薄した。
 瞬間、超絶一門の力が、交差した刀身と刀身の間に弾けて爆ぜる。
 鬼人化と呼ばれる極限の剣氣に、ウィルの全身の筋肉がパンプアップして躍動した。
「エルはもっとこう、ふにゃぽてしてガキみてえで! そこがむちぷりなエロバディとのギャップでかわいいんだよっ!」
「くっ、荒天の嵐后よ! 封龍士を噛み砕いて眷属の仇を討てっ!」
「手前ぇのようなクサレ女はぁ、その身体から出てけよ……それは、俺等の仲間で、遥斗の女だっ!」
 瞬間、ウィルの身体がオルカの視界から消えた。
 錐揉みに落ちてくるアマツマガツチの顎門が、その場の岩盤ごとウィルに噛み付き飲み込んだ。
 だが、因縁の封龍剣を飲み下して再上昇しようとするアマツマガツチを異変が襲う。その巨体をくねらせ失速させながら、アマツマガツチは身悶えのたうちまわって落下。その先へと走るオルカは、自分を追い越してゆくアズラエルの突進を見送った。
「相変わらず無茶をしますね、ウィル様。……そこですっ!」
 馳せるほどに増速を強めるアズラエルの穂先が、減速することなく真正面からアマツマガツチへと炸裂する。まっすぐに突き立てられたランスが、鱗を散らして表皮を引き裂いた。激痛に暴れるアマツマガツチに吹き飛ばされながらも、アズラエルは武器を手放すや回避に身を投げ出す。入れ替わりに間合いを詰めたオルカは、振り上げた剣を一気に叩きつけた。
「俺達は封龍士とかじゃない……モンスターハンターだっ! ハンターで十分、だぁぁぁあっ!」
 乾坤一擲、大上段から振り下ろされたソルクラッシャーがアマツマガツチに食い込む。アズラエルが穿った傷へと吸い込まれた剣は、その刀身を徐々に発光させて光芒を迸らせる。再び巨大な輝きの奔流となった刹一門は、アマツマガツチの体内で無限に伸びる光の刃となって荒れ狂う。絶叫が迸る中で、その時オルカは見た。
 アマツマガツチの中から、雌雄一対の剣が突き出て、左右に大きくその身を切り開くのを。
「おう、ナイスだアズ。オルカも……さあ、幕を引くぜ」
「貴様っ、生きていたのか! ば、馬鹿な……荒天の嵐后に飲み込まれて、どうやって」
「俺を殺せる女はいねぇ、たとえそれが雌の古龍でもな」
 怒りを臨界へと高めたウィルの表情が、氷のように冴え冴えと澄み切ってゆく。
 そしてその身は静かに脱力して、極限を超えた力を清流の水面のように鎮まらせた。既に大地に身を横たえて痙攣に震えるアマツマガツチが、もたげた首をウィルへと向ける前で……超絶一門が翼のように羽撃いた。
「あっ、あれは……! ウィルの様子が……あれが、双剣を使う剣士の極み」
「ええ。遥斗様、あれがウィル様のような使い手のみの技……鬼人強化」
 ――鬼人強化……鬼を超えた人となりて荒ぶり、その身に招いた鬼を喰らいて顕現する究極の剣。
 双剣使いは己の持つスタミナを犠牲に、鬼人化と呼ばれる力を振るうことができる。その身は限界を迎えるまで疲れを知らず、あらゆる風圧や攻撃をものともせずに目標を駆逐する。振るわれる剣技は無数の乱舞となって、無限の斬撃を花咲かせる。そして、無我の境地とも言える鬼人化の果てに、達人だけが行き着く至高の頂。それが、鬼人強化。本能で戦い鬼となる鬼人化の果てに、人は鬼をも超える強さを発揮するのだ。
 アマツマガツチの巨体の上で今、ウィルの姿は残像を引き連れゆっくりと頭部を目指す。
 立ち竦むエルグリーズの表情が、驚愕に見難く歪んだ。
「たかが人の身で、竜すら使役する術を忘れた退化種の分際でぇぇぇぇっ!」
「……もう手前ぇの声は聞き飽きたぜ。失せな」
 降り注ぐ雨が瞬時に、真っ赤な豪雨となってオルカ達を包む。その激しい土砂降りはしかし、あっという間に晴れ渡った。同時に暗雲が吹き飛んで蒼空が青々と広がり、その向こうへと太陽の光が虹を描き出す。
 戦いの終わりを告げるように、白煙を巻き上げるオルカの刹一門は変形を解き、斧モードへと戻った。
 そして、ウィルにアマツマガツチの首を跳ね飛ばされ、転げ落ちたエルグリーズの前へ華奢な矮躯が立つ。
「エル、帰ろう。モガの村へ。君がエルじゃなくても、僕は君ごとエルを……きっとそうすれば」
 遥斗はそう言って、手に持つ太刀を脇の大地へ突き立てる。そうして肩越しに振り返る姿へと、オルカは大きく頷いてやった。ウィルもアズラエルも、その小さな背中を視線で支えている。
「僕はいつか、君がいつものエルを返してくれる、そう信じることにした。もうこれ以上、君に罪を――」
 その時、オルカは目を見張った。
 突如、見守る遥斗の背から紅蓮に燃え盛る刃が生えてきたのだ。
「煉獄ヲ裁断ス切ッ先……くっ、エラー? まだシークモードの影響が。こうなれば、我の真の姿を蘇らせるまで」
 苦悶に表情を歪めるエルグリーズの手に、燃え盛る業火の太刀があった。それは今、遥斗の胸を正面から刺し貫いている。それでも遥斗は、己の身を焼く炎の剣が、より深く刺さってゆくのも構わずエルグリーズに歩み寄った。
「エ、エル……帰ろう。あの、不思議な、森で……一緒に、暮らそう。僕は、きっと、あそこを……ふる、さと、に」
 エルグリーズへと手を伸べ近付く遥斗はしかし、力尽きて足元に倒れ込む。広がる血の海を踏みしめ、エルグリーズは手にした太刀を消し去るや宙へと舞い上がった。またも不思議な光が彼女を包み、その輪郭が滲んでゆく。
「おのれ人間、呪われし定命の者! この星を蝕む、世界回路の破壊者! ……時は来た、滅びの創造、終わりの始まりぞ!」
 怨嗟と憎悪を叫んで消えるエルグリーズを見送るまもなく、オルカは走った。
 抱き上げる遥斗の身体は、徐々に冷たく死の淵へと転げ落ちてゆくばかりだった。

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