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 ユクモ村には今日も祭の喧騒と歓声が満ちる。ミヅキとルナルがあとから合流して手伝ってくれたので、アマツマガツチの巨躯は解体され村へと運び込まれていた。その白亜に輝く鱗や皮は、つややかに濡れて柳のようにしなやかで。まるで生きる宝石のような輝きに村人達は興奮を隠せない。
 だが、オルカ達はそんな狩果へは今、喜びも楽しみも見い出せずに集まっていた。
 オルカ達三人の男が見守る中、苦しげに呻く遥斗は包帯を血で濡らして眠っていた。
「危ないとこだったわい。僅かに心の臓をずれ、内臓も無事じゃったからのう。しかも、出血も少ない」
「……これでもですか。コウジンサイさん」
「うむ、傷口が灼かれておるからの」
 脂汗に端正な顔を歪めて、遥斗はうわ言でエルグリーズの名を呼ぶ。
 自分を刺し貫いて灼いた者の名さえ、彼の夢の中では追うべき恋の背中なのだ。
「あれはもう、エルじゃねえ。モガの森の魔女エルグリーズじゃねえってのによ」
 切なげに呟くウィルが、パシン! と己の拳を掌へと叩き付ける。その横では沈痛な面持ちでアズラエルも視線を床に落としていた。二人が共有する悲痛な気持ちは今、オルカの胸中をも満たしている。
「三獄の星龍……ワシの方でも少し調べてみたがの」
「何かわかりましたか? 少しでもいいんです、手がかりになれば」
「久方ぶりに登城して書庫を覗いたが……この冴津のみではない、どこの国にも伝承が残っておるようじゃ」
 コウジンサイは巨漢に似合わぬ繊細な手つきで桶の水から手ぬぐいを絞り、それを遥斗の額にのせてやる。そうして腕組み唸ると、城で調べてきた全てを重々しい口取りで語りだした。
 ――三獄の星龍、それは破滅をもたらす者達。
 世に古龍は満ちて飛び交い、それらは今も龍脈を伝って龍穴に集う。例えばそう、ドンドルマのように。だが、今の人類が失ってしまった、忘却の彼方にその翼の歴史があった。かつて空は幾万幾億の古龍で黒く埋め尽くされ、人は竜と共にその暴虐へと立ち向かったという。人竜大戦の真実は神話の世界へと霞んで消え、その痕跡だけがこの世界の各所に散りばめられた。
 今では民話やお伽話にその名を残す、各地に伝わる龍の伝承……古龍には大きく三種が存在する。
 一つ、分類不能な超常生物故に、ミナガルデの王立学術院が古龍種として片付けた幻獣や超弩級甲殻類。
 一つ、種として多数が確認されているが、その生態が謎のクシャルダオラ等、一般的な古龍。
 そしてもう一つ……古龍観測所が最も警戒する、ケースDの元凶たる神話級の古龍。それは全て、唯一の個体のみでこの世界のあちこちに出没しては、街を消し飛ばして山脈を天へと巻き上げ、この星そのものを削って吹き飛ばす。これら全ては、かつて古塔を築いた文明の産物とされているが、今ではその事実を知る術は失われて久しかった。
 そして、三獄の星龍の伝承は、それらの神話の中でもとびきり危険な三龍の物語。
 深淵の海皇、荒天の嵐后……そして最後の一匹の名をコウジンサイは呟いた。
「煉嶽の焔帝……かつて遥かな昔、タンジアの地域一帯を焦土と化した天災」
「煉嶽の、焔帝……!」
 オルカはその名を呟き思い出す。
 豹変してしまったエルグリーズは自ら名乗った。己が煉嶽の焔帝に仕える巫女、使徒だと。
 遠く祭の歌と音楽が耳の奥に遠ざかり、嫌に冷たい静寂が部屋を支配する。
「で? 爺さん、その焔帝とやらが星龍の首魁って訳かい?」
 こういう時に遠慮がないのがウィルで、そのふてぶてしい態度にコウジンサイも「ほう」と目を細めた。同じ武人と武人、どうやら相通ずるところがあるらしい。一方で無言のアズラエルもまた、普段通りの冷静さを失わない。
「千代丸が……ワシが面倒を見ていた子が今、タンジアにいての。文を持たせてやるゆえ」
「なるほど、決戦の地はタンジアってか? だが、あそこは平和そのものだぜ? 観光地で……ん、そうか!」
 ウィルはずるりと手で顔を舐めて、真剣な表情に目元を険しく作る。
 そして、恐らく同じことを思いついたであろうと思って、オルカも戦慄に震えた。
「あの大灯台だ……オルカ、タンジアの港で聞いたことがないか?」
「ええ……かつて巨大な古龍との激戦があって、その後に古龍を封じて見守るべく大灯台ができたとか」
「ドンピシャだぜ! つまり、あの海に奴は眠ってやがる。厄海とはよくいったもんだぜ」
「俺も不思議に思ってました。静かに凪いだ湾内が、どうして災厄の海と呼ばれているのか」
 タンジアの港に面した、透明なマリンブルーが白亜の砂をゆらめかせる海……厄海。その禍々しい名とは裏腹に、穏やかな気候で大人気の観光地だ。モンスターハンターが集うギルド公認の集会所があることも手伝って、いつも人で賑わっている。マリンスポーツも盛んだし、新婚の夫婦がハネムーンに訪れる定番としても有名だ。モガの村からは定期便が出ていて、いわば玄関口のような場所でもある。
 だから、皆が忘れている……誰も彼もが知らないのだ。
 かつてそこで、絶望に抗う苛烈な死闘が行われたことを。
 そして、人類に敗北した恐るべき古龍が、今も眠っていることを。
「おっしゃ、キマリだぜ。オルカ、アズ、タンジアの港に向かうぞ。……もうこれ以上はやらせねえ」
「ウィル、しかし」
「しかしもカカシもねえ! ……俺だって辛い。だがよ、俺等だけが辛いなら、まだ救いがあらあ」
 そう言うウィルは普段の不敵な笑みを浮かべたが、どこか自嘲に笑っているようにも見えた。ウィルとて人の子、何より女性を愛する恋多き男だ。彼もまたエルグリーズと日頃から親しく、時より妹のようにかわいがっていた。遥斗を弟のように厳しくも優しく見守るように。以外に面倒見がいいこの男がだから、無理に笑っているとオルカにはすぐわかる。
「辛い気持ちは分けあいましょう、ウィル様。……そうすることを教えてくれたのは、貴方ですから」
「へっ、言うじゃねえかアズ。そうしてもらえっか?」
「ええ。でないと、お二人が、ウィル様とオルカ様が押しつぶされてしまいますから」
 そんなに自分は深刻な顔をしていただろうか? だが、それを否定するにはどうにもシリアスに過ぎて、これはいけないとオルカは肩の力を抜いた。今、目の前に徐々に最後の敵が姿を表しつつある。三獄の星龍も残すところあと一匹、それもエルグリーズが自ら巫女と称して崇めるご神体だけだ。
 それを倒して全て終わるとも思えないし、倒せるとも考えられない。
 だが、避けて通れぬ戦いであることだけは、オルカはハッキリと胸に刻んだ。
「立て続けに星龍を倒され、エルグリーズも……その中に宿る邪悪も、追い詰められている筈だ」
「私もそう思います、オルカ様。そして残された星龍は一匹」
「迷う余地はねえ、もてる全力をぶつけてブッ倒す! だろ?」
 オルカは仲間達と頷き合って、コウジンサイの満足気な笑みに応える。
 既に激突は必至で、その戦いへとエルグリーズに潜む魔がいざなう。今、魔女の名は醜悪な闇となってオルカ達を最後の決戦へと誘っているのだ。だが、避けて通れないと知れば逃げはしない。
 オルカは自分が海の底より目覚めさせた封龍剣にすら、一種の運命を感じていた。
 だが、その胸中を満たすのはあくまで狩人の矜持、ただ一人のモンスターハンターとしての気構えだ。
「行こう、みんな。これ以上、悲しみを広げてはいけない。俺達の生業、ハンターの商売を始めよう」
「ああ。恐らく軍隊じゃ無理だな……どこの国もこんな話じゃ動いてくれねえ。そして動く時はもう手遅れさ」
「私も及ばずながら……ん、オルカ様。ウィル様も。……遥斗様が」
 アズラエルの声と同時に視線を感じて、オルカは布団の上へと視線を落とす。
 潤んだ瞳で自分を見上げながら、遥斗が浅い呼吸に胸を上下させていた。彼は何かを喋ろうとしては空気を僅かに震わせるので、嫌に熱いその手を握ってやる。弱々しい握力は、オルカの手の中で僅かに握り返してきた。
「遥斗、無理はいけない。休んで……俺達は行く、行かなければならない」
 小さく遥斗が頷いた。
 コウジンサイが代えの包帯を取りに奥の間へと去ったのを見送り、オルカは手に手を重ねて勇気づけるように優しく語りかける。オルカを見上げる布団の中の遥斗は、苦しげに呻きながらもどうにか言葉の断片を伝えてきた。
「オルカ、エルを……お、お願い、します……」
「わかってる。最善は尽くすけど、保証はできない。そんな俺を――」
 ウィルが「俺達、だろ?」と顔を出して、アズラエルも大きく頷く。
「俺達を、許してくれとは言わない。ただ」
 静かに遥斗は首を横に振り、汗ばむ顔で僅かに微笑んだ。
「そうは、なりません……エルは、まだエルで……あの中で、生きてますから」
「遥斗……」
「ギリギリで、僕を、殺しませんでした。エルの中の本当のエルが、僕を生かしてくれた。ただ」
 胸に手を当て、遥斗は苦痛に表情を歪めながら言葉を振り絞る。
「出血を灼いてせき止めてくれた時……僕は剣を通してエルの意思を感じました。元凶の名と共に」
「元凶の名、それは? もしや、今のエルを支配している」
「はい……煉嶽の焔帝、その名、は……クゥ!」
 ビクン! と身を震わせて遥斗が血を吐いた。その真紅と共に、緋色の言の葉がオルカの胸に刻まれる。
 ――煉嶽の焔帝、その名はグラン・ミラオス。
 ウィルとアズラエルが顔を見合わせる中、気付けば緊張にオルカは手に汗を握っていた。グラン・ミラオス……初めて聞く名に、思わずごくりと喉が鳴る。
 すぐに戻ってきたコウジンサイが処置を始めると、もう遥斗に言葉を伝える力は残されていなかった。
 立ち上がるオルカは、仲間達を見渡し、自分に言い聞かせるように言い放つ。
「行こう、タンジアの港へ。煉嶽の焔帝、グラン・ミラオスが目覚める前に」
 無言で頷く仲間達を連れ、決戦の地へとオルカはこうして旅立った。

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