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 次々と炎上して沈没する、ハンターたちの狩猟船。ひしゃげて潰れる船体を乗り越え、煉獄の化身が迫り来る。
 転舵する船上で、オルカはその巨躯を見上げて奥歯を噛んだ。
「オルカ様、側面に回り込みます。しっかり、掴まってて、くだ、さいっ!」
 ガラガラと舵輪を奏でてアズラエルが叫ぶ。同時に傾く船体はグングンとグラン・ミラオスへ近付いた。
 その時、オルカは振り向く煉黒龍の額に人影を見た。
 禍々しい鎧に身を包み、紅蓮の緋髪で天を衝く……まさしく文明の破壊者、エルグリーズ。
「胸糞悪ぃな、ええ? おい……俺らを見下して笑ってやがる!」
 すぐ隣でウィルが舌打ちを零す。
 ありったけの邪気と悪意を練り上げた、邪悪そのものと化したエルグリーズ。その艶めかしい笑みは背筋が凍るほどに恐ろしく、同時に瞬きも忘れるほどに美しい。だが、その醜悪美に魅入られてはいけないとオルカは頭を降る。
 その時、こちらへと向き直るグラン・ミラオスの背後に流星が走った。
 それは、遥か後方より射られた一本の矢。その先に今、何かがぶら下がっているのをオルカは見逃さない。
「あれは……そうか、完成したのか! ウィル! アズさんも」
「ええ。この場は私たちにお任せを」
「行って来い、オルカ! 俺らでこのデカブツを引き付ける!」
 仲間たちの声を背に、オルカは甲板を蹴って海へ身を投げ出した。
 それは、グラン・ミラオスの巨大な右腕が宙を薙ぐのと同時。間一髪で着水したオルカは、海に包まれた直後に轟音を聞く。恐らく、すれ違った一撃が狩猟船を砕く音だ。だが、振り返っている暇はない……ウィルもアズラエルも無事だと信じ、全力で海水を蹴って掻き分ける。
 すぐさま呼吸は細く途切れて、全身の血管が酸素を求めて膨張し始めた。
 霞む視界の中央に、海底へ落ちてゆく輝きを見据えてオルカは泳ぐ。
「防具一揃いで狩りが変わるとは言わない……でもっ、ノエルたちの想いを無駄にはしないっ!」
 グラン・ミラオスが暴れる水面の影響で、海流が荒れに荒れてオルカを翻弄する。その流れに逆らいながらも、伸ばした手が金属と甲皮の感触を掴んだ瞬間、オルカはそのまま海底へと降り立った。舞い上がる砂煙の中、両手で掲げたヘリオスXヘルムを見上げて、オルカは一気にそれを装着する。
 そして世界は暗転、突然意識の混濁が襲ってオルカは気を失った。
 自分の意識が途絶えたことすら気づかぬままに、オルカの肉体はふわりと脱力して浮かびだす。その周囲に、ヘリオスクラッシャーから滲み出た光が無数に漂った。それは例えるなら、闇夜に舞う蛍光にも似て。しかし、尾を引き乱舞する姿は、一種の禍々しさでオルカの身を海面へと導く。
 そんな自分を俯瞰するように、気付けばオルカは遠くから己を見つめていた。
 ヘリオスX一式の力が、幻の封龍剣である【刹一門】の力を覚醒させたとは気付かない。武具の素材に宿る属性の力は、時折一部の防具によって引き出されることがある。その現象を起こすスキルを、人は覚醒と呼んで切望した。秘められた属性を解放させた武器の一撃は、市販品や量販品のそれを遥かに凌ぐ。
 そして、【刹一門】が解放させたのは、もともと封龍剣が持つ強力な龍属性の力と……その刀身に宿る英霊の魂。
 遠吠えのように遥かな雄叫びを、オルカは耳元に聞く違和感に凍えた。
『我等、刹一門! 封龍士の誉にして勲!』
『封龍士は龍を封じて滅する戦士。故に使徒として人の世を守り導かん』
『故に今、我等が残しし封龍剣の正当なる後継者として、うぬを認める!』
 数多の英霊が声となって襲い、オルカの意識に交じり合って脳内に響く。自分ならざる意識の介入に、オルカの精神は悲鳴をあげて軋み撓んだ。全身の細胞が沸騰したように熱く、真逆に凍れる意思の中で肉体は感覚を失ってゆく。
「く、ぅ、ああああっ! だ、誰だ……俺の頭の中に、入ってくるな!」
 身動き一つしない自分の身体を見下ろし、オルカは身を捩って苦悶に叫ぶ。
 だが、怨嗟と憎悪を渦巻かせる声は、オルカの脳裏を満たして暴れまわった。
『封龍士の一門が一つ、我等は刹! 刹那の彼方へ龍を葬る神撃なり』
『魂と意思の血脈を今こそ、うぬの肉体へと継承せん……覚醒セヨ!』
『覚醒セヨ、封龍士として龍を斬れ! 我らが一千年の怨敵を……今こそ滅する時』
 暗い情念がオルカの中を満たした。
 だが、その奔流に飲み込まれることなく、オルカは自分の意志を強く強く叫び返す。
 それは、大海原の荒波に落ちた一滴の雫に等しい。それでも小さな波紋は確実に広がり波間へと伝搬していった。
「こ、断るっ! 大昔のことなんか知ったことじゃない……あんたらはーっ!」
 その時、不意にオルカを理解の連鎖が襲った。
 どういう訳か、知識にもないことがわかり、経験にないことが身についていた。それは、遥か遠い旧世紀の記憶と記録。
 周囲を取り巻き己を満たす怨念が、太古の昔に滅びた英霊たちだと知ったのだ。同時に、かつてこの星を飲み込んだ巨大な災禍……人と龍との巨大な争い。今の世に伝わる人龍大戦の真実が脳に刻み込まれる。
 それは、この惑星の全てを賭けた生存競争。星の命を喰らって生きる、全ての生命が挑んだ戦いだった。全てを知った……ただ星空を見上げて世を占い、両の脚で立つ大地が丸いことすら知らぬオルカが、である。急激な知識を取り込み肥大化した知性は、その中に潜む真実を目にして絶叫を張り上げる。知覚が痛みという痛みを神経へと電流のように走らせ続けた。
 血涙に咽び泣く中で、それでもオルカは英霊たちの意思に逆らい続ける。
『どうした、なぜ逆らう……我らが叡智の結晶を継承せよ!』
『今一度、龍を狩るモノとして刹一門の名を轟かせるのだ!』
「断ると言った! これは、俺の、俺たちの狩りだ……得るも守るも全て、俺たち以外になにもさせない!」
 瞬間、己の肉体へとオルカは引き戻された。
 頭上に炎の明かりが迫って、海面までもうすぐという深度に浮上する。
 声は一つに修練され、ヘリオスXヘルムの中に響く空気の震えとなってオルカのリアルな鼓膜に浸透してきた。
『なぜ我らを拒む……かの星龍を倒したくはないのか? 倒さねば再び滅びが始まるぞ』
「そうはさせない……でも、俺はあんたらには頼らない! 忘却の彼方に眠る力なんて、俺はいらない!」
『ならばどう足掻いて煉黒龍を倒す? あれは世界回路が生み出しし三獄の星龍、その最強の一翼。祖龍を除く全てに勝るぞ』
「そう、祖なる純白より生まれし、黒の眷属。紅に染まりし翼を首魁とした、黒龍の軍勢……そして、三獄の星龍」
 オルカの理解は全能を極めていた。だが、その全てを否定しつつも、刻まれた記憶と記録が教えてくれる。遥か太古の昔、この星を貪り枯らそうとする人間へ、一部の者達が審判を下そうとした。それが、世界各地に残る古塔の勢力。奇跡の御業で龍を生み出し、人類殲滅を目指す狂気はやがて、この星全ての命に向けられたのだ。
 そして、祖なる龍より究極の軍団が生み出され、空は暗黒に飲み込まれた。
 その力を凝縮した究極の黒龍こそ、煉黒龍……グラン・ミラオス。そして、グラン・ミラオスを中心に集められた空と海の支配者たち……歴史はその猛威を、三獄の星龍と恐れ敬った。
『我らと、刹一門と同じ過ち、敗北を迎えるな……若人よ、うぬの時代にこそ勝利を』
「あんたらに言われるまでもないっ! ……俺が頼って支えあうのは、旧世界の奇跡なんかじゃない」
『ならば問おう、若人よ! なにがうぬを突き動かす?』
「問われずとも俺は謳う、それが全てと掲げて戦う。それは――」
 今を生きる人の尊厳を、オルカは言葉にならぬ声で叫んだ。
 瞬間、海面へと打ち上げられた身体に自由が戻ってくる。同時に声は遠ざかり、代わって腰にぶら下がるヘリオスクラッシャーの内部で封龍ビンが圧縮完了の金属音を奏でた。
『面白い! ……では征くがいい。愚かしくも気高い若人、今を生きる狩人よ。今こそ――』
「今こそっ! 俺の全てでみんなと守る! この力すらもう、太古の亡者の手を離れた俺の、俺たちの武器だ!」
 開かれた視界に、沈む狩猟船の燃える業火が飛び込んでくる。燃え盛る船体は傾き、舳先で射撃に屈むアズラエルの横顔が、その端正な表情に浮かぶ焦りすら見えた。既にウィルは海へと飛び込み、グラン・ミラオスへと取りついている。両の手で振るわれる超絶一門の煌きは今、自分の中で昇天した刹一門の英霊を見送るように瞬いていた。
 そして、オルカが抜刀と同時に変形させた刀身は天を衝く。
 すでにもう、グラン・ミラオスは上陸一歩手前まで迫っていた。
「遅えぞ、オルカァ! へっ、似合ってるじゃねえか……よぉし、押し返すぜ!」
「オルカ様……そのお姿は、さながら異国異教の冥狗神。ただならぬ覇気を感じます」
 両の手で天へと振り上げたヘリオスクラッシャーから、苛烈な光芒が空を裂く。遥か蒼穹の彼方まで無限に伸びる剣を、そのままオルカは真っ直ぐグラン・ミラオスへと叩き付けた。
 海が左右に割れて、海水は蒸発しながら上昇気流を生んで空へと昇る。
 だが、露出した海底に煉黒龍は吠え荒ぶ巨躯を立ち上がらせた。
 そして響く、モガの森の魔女と同じ声……彼女とは真逆の、邪悪で下卑た言葉。
「愚か! 汝らは今、我の逆鱗に触れた……見よ! 星龍が真の姿、我を得て無敵となる瞬間を! 刮目せよ!」
 胸の核へと降りてきたエルグリーズが、絶叫と共にグラン・ミラオスの胸部に吸い込まれる。
 次の瞬間、元へと戻る波と波とを掻き分け、グラン・ミラオスが黒い焔をたぎらせる。エルグリーズの肉体を完全に吸収して、その口から黒煙を吐き出す邪龍が空気を震わせた。
「汝ラニ裁定ヲ下ス……全テノ命ヨ、滅ビルガイイ! コノ星ノ明日ノタメニ!」
 地獄の業火に燃えるグラン・ミラオスに、敢然とオルカは立ち向かった。未だ諦めぬ仲間たちと共に。

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