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 オルカが転がり込んだ小舟は、荒れ狂う波の中でグラン・ミラオスの背中を追う。
 揺れる船上で振り返れば、そこにはいないはずの少年が櫂を掴んで舵を操っていた。
「遥斗! どうしてここに……傷は」
「オルカ、今は前を!」
 先日、アマツマガツチとの戦いで重傷に倒れた遥斗の姿があった。今、彼は風をはらんでたなびく純白の衣を身にまとっている。
 オルカの視線に気付いた遥斗は、懸命に小舟をグラン・ミラオスに寄せながら苦しげに呟いた。
「アマツマガツチの素材で作りました。まだ仮縫いですが、この戦いの間だけでももてば。……それは僕の身も同じ」
「遥斗、まさか」
「この身は既に半分死んでいます、もはや全力は出せません。でもっ! 僅か一瞬でもいい、エルを」
 決意も強く声を張り上げる遥斗の、その衣に徐々に血が滲んでゆく。よく見れば手も脚も包帯まみれで、額には汗が玉と浮かんでいた。それでも彼は、太刀を背負ってこの地へ馳せ参じた。グラン・ミラオスと戦い、好いた人を取り戻すために。
 海中へと没するグラン・ミラオスが、巨大な渦を海面に描いて姿を消す。
 それを見送りながらも、二人を載せた小舟は木の葉のように揺れて弄ばれた。
「あの時、エルは僕を……でも」
 オルカも見ていた。三獄の星龍が一角、アマツマガツチを操り猛威を振るったエルグリーズ。彼女は最愛といってもいい遥斗の抱擁に刃で応えたのだ。それは悪夢のような光景で、今もオルカの瞼の裏にこびりついている。
 そして、夢ではなく現実として今この瞬間につながっているのだ。
 そのことに否定的な素振りを見せず、海面を睨んで遥斗は言葉を続ける。
「でも、僕は死ななかった。思うんです……エルは、僕を殺せなかった」
「……君も、そう思うのかい?」
「オルカもですか? 笑われるかと思いました。あまりに楽観的過ぎるんじゃないかと、自分でも」
「誰が笑うものか。エルは遥斗、君と惹かれ合っていたように思うから。だから、それくらいは俺だって」
 突如として豹変したエルグリーズは、強力な古龍を従え人類に牙を向いた。街を焼き里を襲って、今も脅威となってタンジアの港を脅かしている。だが、だからこそオルカは信じたい。
 そのことに理由があって、本来のエルグリーズは別のところへと心を封じられているのだと。
 でなければ、あの無邪気で無垢な娘が、彼女を慕う少年を切り裂けるだろうか。
 その答を胸に結んで深く封じ、今は武器を研ぐオルカ。
「! 浮上してきます、感付かれました。……オルカ、決着をつけましょう」
「ああ。でも遥斗、一つだけ約束してくれ。君はこんな場所で死んではいけない」
「もとよりこの地へ来た時点で、僕は命を捨ててます。命を持たぬ死人は、死にはしません!」
「それでも、だ! 君がエルと生きて帰ると約束するなら、俺は共に戦う。命を賭して!」
 悲壮な決意に険しい表情だった遥斗の、その表情が涙に歪んだ。
 彼は泣きそうな顔を俯かせると、決して零すまいと上を向く。そうして再び瞳に力を灯して、オルカの頼れる最後の仲間は背の剣を抜刀した。オルカも黙って頷くと、封龍剣を変形させて刀身を露わにした。
 その時、水面を沸騰に泡立てて、紅蓮ににらぐ煉黒龍が浮上する。
「おのれ、人間っ! 摂理に抗い、さだめに足掻く定命種が! 下等な分際で――」
 それは、鼓膜を震わす肉声だった。
 すでに満身創痍のグラン・ミラオスの中より、怨嗟と憎悪に満ちた声が響いた。
 浮上するその巨躯は、既に漲るマグマの輝きもなく、くすんだ黒に全身を染め抜いている。唯一禍々しい光を灯した胸部には、うっすらと女の裸体が浮かび上がっていた。その四肢を核へと連結して中心部へと己を収めた、エルグリーズの姿が顕になる。
 揺れる小舟の上で毅然と立つと、傍らでよろける遥斗を支えてオルカは叫ぶ。
「もう終わりだ、エル! ……いや、もう終わってるんだ。人間を甘く見積もり見下して、人間をやめた時から」
「黙れ! 翼が朽ちて四肢の力を奪われようと……三獄の星龍最強の牙と爪がある! 潰してくれるぞ、人間!」
 振り上げられたグラン・ミラオスの右腕に、ギラリ輝く爪が襲い来る。
 叩きつけられた衝撃で小舟が木っ端微塵に舞い上がる中、オルカと遥斗は同時に足場を蹴って跳躍した。
「征け、遥斗っ! 征って想いを遂げてくるんだ!」
「はいっ!」
 オルカは空中で遥斗の腕を掴むと、強引に振り回してグラン・ミラオスへと押し出し投げる。
 その反動でオルカは、海中深くへと落ちて没した。
「馬鹿が! 既に死んだ者を助け、封龍士たる自分を投げ出したか!」
「そうさ、僕のこの身は死体も同じ……でもっ、エルと二人なら、生き直せるっ!」
 その時、最後の力を振り絞る遥斗の両足がグラン・ミラオスの表面を掴んだ。踏みしめた指と爪を蹴りだして、そびえる巨体を一気に駆け上がる。揺れも意にかえさず、白煙を巻き上げ脚が灼けるのも構わずに。
 アマツマガツチより削りだした白亜の衣は、あっという間に発火して焔に包まれた。
 だが、止まるどころかますます加速して、遥斗は流星の如く煌めいて馳せる。
 奇跡は、願わない。
 誰にも、ナニモノにも祈らない。
 ただ人のなす全てを信じて、今。
「エル、エルグリーズッ! 僕の胸にっ、還れええええええっ!」
 激震に揺れるグラン・ミラオスが、己を這い登る遥斗に怯んで身を捩る。
 脚を取られることなく翔んだ遥斗は既に、その全身を燃え盛る炎に包まれていた。
 それでも、胸部へと舞い降りるや太刀で一閃、吹き出すマグマを浴びながらその中へと手を伸ばす。
「貴様、死ぬ気かっ! たかだかシークモードの擬似人格に……我には理解できぬ!」
「構うものか、僕が僕を知って欲しいのはお前じゃない! エル、僕の手を……早く、燃え尽きる、前に、早くっ!」
「シンクロ率が低下する……! ば、馬鹿な……ええい、本体維持を優先! くっ、中枢躯体が、引きずり、出される!」
 既にもう、炎そのものと化した遥斗が腕を引き抜く。その手は確かに、紅蓮の緋髪を翻すエルグリーズを抱きしめていた。白い肌に映える真っ赤な業火で、眠れる魔女が遥斗を灼いてゆく。
 だが、構わず抱き締め一つになって、遥斗は海へと落ちていった。
 燃える落涙となって落ちる二人、その炎が海面に白い煙を立てて消えた場所から……まばゆい光が天へと屹立した。
 煌々と尾を引く禍ツ星となって、オルカが空へと駆け上がる。その手に握られた封龍剣からは、彼自身を押し出し宙へと押し上げる爆発的な光が迸っていた。
 既に胸の核より制御装置たる魔女を引き抜かれて、グラン・ミラオスの目には力がない。
 だが、このチャンスに全身をぶつけるべく、オルカは身を声に叫んだ。
「オオオッ! 星へと還れっ、跡形もなくっ!」
 大上段から一気に振り下ろした封龍剣【刹一門】が金切り声を歌って光の刃を迸らせる。
 脳天からの一撃に、グラン・ミラオスの咆哮が絶叫となって響いた。が――
「くっ、刀身が!? 封龍ビンの圧縮率も……駄目、なの、かっ……」
 ピシリ、と絶望の音がオルカを襲う。
 耳朶を打つその音は徐々に、封龍剣の刀身を覆って遂に破滅を奏でて響き渡った。
 小さなヒビから始まった終焉はあっという間に広がり、ヘリオスクラッシャーの中で封龍ビンが悲鳴をあげる。既に刀身は砕けて霧散し、その欠片がキラキラと周囲にばらまかれた。
 その時、グラン・ミラオスの瞳がギラリと輝き、オルカの脳裏に声が響く。
『我、勝てり! 古より黄泉返りし封龍剣は砕け、汝の心は折れた!』
「くっ、その声……! 貴様っ、どうして」
『よくぞ我をここまで追い詰めた……中枢躯体より本体へと、我を退避させるまでに至った。だが――』
 オルカの手より放たれ煉黒龍を裂く刃が、徐々に収束してゆく。
 弱まる輝きの中でしかしオルカは……笑った。
『何がおかしい? 何を笑うか!』
「笑わずにはいられないね……エルの中から逃げ出し、古龍の中へと逃げ込んだ訳だ。ならっ!」
『――っ! 馬鹿な! まさか』
 その時、消えかけた刃に輝きが戻る。オルカの手から伸びる光芒は既に、オルカ自身を刃と化していた。
 砕けた封龍剣の残った基部、封龍ビンを内蔵したヘリオスクラッシャー自体から光の剣が再び伸びる!
「斬り裂けっ! 竜を断ち割り、龍をも滅して封じる……刹那の一撃!」
 音を超えて光が走った。
 突き抜ける閃光を引き連れ、まっすぐにオルカが海中へと落ちる。水飛沫も上げずに消えてゆく。
 数瞬の間を置いて激音が鳴り響き、続いて……中心線に光を穿たれたグラン・ミラオスが、真っ二つに左右へと割れた。
『ば、馬鹿な……祖にして全なる翼に連なりし、星龍たるこの煉黒龍が。最強の黒龍、グラン・ミラオスが!』
 それが断末魔となった。
 両断され西と東に分かれて倒れるグラン・ミラオスは、その巨躯を永遠に海の底へと墜していった。
 荒波が飲み込む中、黒煙逆巻く災禍は星深く沈んで消えていった。

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