オルカ達モガの村の新顔が、最初にモンスターハンターとして着手した仕事。それは、度重なる地震で荒れたベースキャンプの復旧だった。モガの島は東側に、孤島と呼ばれる豊かな狩場が存在する。遠方からのハンターのみならず、モガの森のハンターにとっても庭のような存在。その拠点であるベースキャンプの復旧は急務だった。  だが、そちらをノエルに任せていたオルカは、特産キノコの調達中に呼び出された。 「ノエル、なにかあった? さっき、発煙筒の煙が見えたけど」  オルカが訪れると、なるほどベースキャンプは荒れ果てていた。雨風をしのぐテントは無残にも破れ、その柱はへし折れている。支給品や納品用の木箱も、地震と先日の嵐でひっくり返っている。  もはやハンターの拠点として用をなさぬほど荒れた中に、ぽつんと立ったノエルが振り返った。 「あ、オルカ。うん、ちょっと……その、ごめん。そっちも忙しいのに」 「いいさ、この惨状を見ればね。二人でちゃっちゃと片付けちゃおうよ」 「や、それが……」  快活で闊達なノエルが、珍しく口ごもって視線を走らせる。それを目で追って、オルカはベッドを見た。普段はクエストを受けて孤島での狩りをするハンターが、小休止などに使う簡易寝台だ。テントが壊れているため野ざらしになったそれは、今日は快晴で海風にしずかにさらされている。  そのベッドの上に、一人のモンスターハンターが堂々と大の字でいびきをかいていた。 「ねね、ギルドは孤島でのクエストを一時差し止めてるって言ってたよね?」 「うん。ルーンの話しじゃ、ベースキャンプを復旧次第クエストが再開されるって」 「じゃあ、この人……誰?」 「うーん、誰だろう」  長身の男は、ちょっと見慣れぬ防具を着こなしている。それは合金や甲殻、竜骨といった素材ではなく布地だ。身体の自由を阻害しないよう配慮されつつ、どこか宮廷の騎士達が用いる礼服にも似ている。なにより、胸当てや肩当て等、防具としての機能も洗練されていた。そして目を引く、胸に刺繍された「百」の文字。  ノエルはそれをまじまじと見て、豪快に眠る男をしげしげと眺めた。 「や、この服……そしてこの紋章と百の文字。どっかで見たような……なんだっけなあ」 「ノエル、心当たりが?」 「ドンドルマにいた頃、たしか……うーん、思い出せない。にしても、結構……イケメン? かな」 「……ノエル?」  ノエルはまるで品定めするように、男の寝顔を覗き込んでいる。  オルカから見ても、男の端正な顔立ちは一流のモンスターハンターを彷彿とさせた。なにより、彼が枕元に無造作に置いた雌雄一対の剣が、持ち主の実力を無言で語っている。  オルカが何度か呼びかけると、少し空想の世界に思惟を飛ばしていたノエルは振り返った。 「あ、ああ、うん。得物は双剣かあ。お、ツインフレイム。こりゃまた結構な物を」 「火竜素材の剣か。これを作るには、相当のレウスとレイアを狩る必要があるね」  モンスターハンターが自身の武勇を語ることは少ない。彼らが身にまとう武具が、なによりも雄弁に物語るから。モンスターハンターは皆、自分が狩った獲物からしか仕事の道具を作らない。回復薬やハチミツ等、消耗品を互いに融通することはあるが、武器や防具を作る素材は自分の手で得た物のみを使うのがならわしだ。  必定、この寝入っている男はリオレウスやリオレイアを狩れるだけの実力を秘めていることになる。 「兎に角、起こそう。ノエルはこれから、ベースキャンプの被害状況を確認する訳だし」 「そだね。村長の息子さんが、必要な物資があったら言って欲しいっていってたから――ひゃうっ!?」  突然、一人前の少女ハンターは無防備な乙女の声を裏返らせた。  なんと、寝ぼけた男は寝返りを打つや、伸べた手でノエルをベッドに引きずり込んだのだ。そのままノエルを抱き締め、むにゃむにゃと覆いかぶさり胸に顔を埋める。  突然のことでノエルは、顔を真っ赤にしてパニクった。 「ふええっ、オルカ! たた、助けて! ってか助けろ! あたしの貞操が危機的に危ないっ!」 「あー、うん」 「なっ、なに呑気にして――ひぇあ! こっ、こら、そんなとこ触るんじゃ……ぅひい!」  やれやれとオルカは頭をかきながら、目の前でニヤニヤ締まらぬ顔の男へ手を伸べる。寝ぼけてるのをいいことに、ノエルの乳やら尻やらはいいようにまさぐられていた。 「あの、もし。……起きてますよね、実は」 「やっ、そ、そんなとこ……うぐぅ。へ? そ、そうなの?」 「いや、絶対起きてるでしょこれ。そういう訳で、狸寝入り、やめてもらえます?」 「そっ、そうだよっ! あたしは抱き枕じゃないぞっ、起きろっ」  ノエルの鉄拳がとうとう炸裂した。かに、思われた。  かろうじて抱き締める腕を逃れて、ノエルは拳骨を振り上げる。だが、それを男は見もせずに受け止めた。そしてパチリと瞳を開く。涼やかな目元の伊達男は、悪びれずにノエルを放して上体を起こすや大きく伸びをした。 「ふぁーっ、よく寝たぜ。お嬢ちゃん、あと数年すりゃいい女になるな。はっはっは」 「はっはっは、じゃないっ! よっ、よよ、よくもあんなことやこんなことを……」 「ケチ臭いこと言うなよ、減りゃしないって。ふう、嵐は去ったか。やれやれ、酷い島だなここは」  男は首をコキコキと鳴らすと、素早く両手で剣を手に取る。それを指先でクルクルと器用に回した後、そろえて背負うと立ち上がった。その長身はオルカよりも高く、防具の上からでも引き締まった鋼のような肉体が見て取れた。一見して軽装だが、これで充分なのだとオルカは悟る。この男には、鍛え抜いた自らの筋肉こそが鎧……そう歳も離れてはいないように感じるが、目の前の剣士が熟練のハンターであることは疑いようもない。 「ま、からかって悪かったよ。あまりにお嬢さんがかわいかったものでね。非礼は詫びるぜ」 「か、かわいい? あたしが……いっ、いやあ! そんなことないって! あはは」  ええと、お前さん達は……と、オルカとノエルを交互に指さし、気安く人懐っこい笑みを浮かべる男。 「俺はオルカ、こっちはノエル。二人共、モガの村のハンターです」 「そ、あたし達はこのベースキャンプの復旧に来た。そしたらあんたが寝てたって訳」  モガの村という単語に、僅かにニヤリと男が笑った。片眉が微妙に動いて、その笑みは一瞬だけ猛禽のような鋭さを見せる。だが、それをあっという間に隠してしまうと、再び満面の笑顔で男は「そうかそうか」と頷いた。 「そいつはご苦労だな。しかし助かったぜ、俺も運がいい……地元の人間が掴まるなんてな」 「地元と言っても、俺達もつい先日モガの村に来たばかりですよ。なにか村にご用事でも?」 「ああ、ちょいと人を探しててね。お前さん達、オルカもノエルも……シキ国の子供を見なかったか?」  オルカは瞬時に相手の出方をうかがい、その様子を観察しながら努めて平静な表情を作った。ノエルも同様に、先程までの照れ笑いを引っ込める。この男はどうやら、遥斗を探しているようだった。 「人に物を尋ねる時は、まず名乗られたらどうです?」 「そだよ。それともあんたの所じゃ、こういうのが普通な訳? ……傭兵団《鉄騎》の百人隊長さん」  今度はオルカが驚いた。だが、フフンと鼻を鳴らしてノエルは言葉を続ける。 「思い出したよ、その狩り装束に百の文字。鉄騎の人間がどうして、こんな場所で人探しを?」 「っちゃー、知ってるのかお嬢ちゃん。ちょいと舐めてたね……うん、まずは非礼を詫びよう」  男はつるりと顔を撫でて天を仰ぐと、不意に身を正して真面目な表情を作った。 「俺の名はウォーレン=アウルスバーグ、ウィルと呼んでくれ。察しの通り、鉄騎の百人隊長さ」  傭兵団《鉄騎》……西シュレイド王国周辺をテリトリーとする、大規模な猟団だ。その力は狩場だけでなく、戦場や政治の世界にも影響力を持っている。誰もが一騎当千の古強者で、その百人隊長ともなれば腕は言わずもがな。  そういう説明をノエルが耳打ちしてくれて、改めてオルカはウィルをしげしげと眺めた。  なるほど、この男は軽薄なうさんくさい笑顔を浮かべているが、一分の隙も見当たらない。 「鉄騎の仕事も様々でね。まあ、シキ国でやんごとなき方の丁稚をやることだってあるのさ」 「それで……ええと、アウルスバーグさんは」 「ウィルでいいぜ? 俺もオルカって呼ぶさ、それとノエルちゃんね。オッケー?」 「あ、はあ……」  オルカは先日のルーンの言葉を思い出していた。モガの島は政治的にデリケートな一面を持っており、その存在が中立として自主独立を保っているのも絶妙なパワーバランスがあればこそ。故に、記憶を失った遥斗に嘘をついてまで面倒をみているのだ。当面は怪我が完治するまでの処置として、報告を受けた村長も容認してくれている。  ここでウィルに、その全てを打ち明けていいものか……迷うオルカに対し、ノエルの返答は早かった。 「そっか、宮仕えって大変だね。あたしはゴメンだな、山野に生きるがハンターの常ってね」 「俺もそう思うんだがなあ。団長命令なんでしかたがないのさ」 「同情するよ、ウィル。こんな田舎くんだりまできて空振りだなんて。ごめん、シキ国の人間は見てない」 「……そっか。手ぶらでも帰れないんだが、さてどうしたものか」  顎に手を当て肘を抱くウィルを見て、オルカは目線でノエルと言葉を交わす。咄嗟の機転だったが、ノエルは嘘を隠すために嘘をついた。そしてそれが見抜かれてることは、どうやら本人も承知のようだった。  ノエルの嘘を感づいているかのような素振りを見せつつ、ウィルはぱっと表情を明るくした。 「たはっ! 空振りかあ! じゃ、他を当たるしかねえな。ノエルちゃんの乳以外に成果なし、か」 「悪いね、あたしみたいなガキの乳で。そういう訳だ、さ、帰った帰った」  ノエルはていよくウィルをベースキャンプの外に追い出そうとする。年頃の少女に見えて、なかなかどうして対人交渉の妙技は鮮やかだ。ドンドルマを中心に活動したベテランという肩書きが、オルカにも実感できるものになる。 「あの、ウィルさん……その、どんな人なんです? その、お探しのお子さんというのは」 「んー、ちょいと話せないな。ビジネスだから勘弁しろや。……ま、皇子様って奴なんだけどよ」  探るような視線で最後にオルカとノエルを一瞥して、手を振りウィルは出ていった。  その最後に向けられた眼差しに、二人は生粋の狩人が獲物へ向ける一種の殺気を感じて凍えた。