巨大な交易船の入港に、モガの村は賑わっていた。はしゃぐ子供達の間を縫って、オルカは港へと急ぐ。快晴の空には雲ひとつなく、穏やかな海は凪いで潮風を静かにそよがせる。 「遥斗、そこにいたのかい? ざくろさんが呼んでたよ。包帯を取り替えようって」  オルカの声に、桟橋の先端に腰掛けていた少年が振り返る。その髪がサラサラと風になびいていた。先日オルカとノエルが助けた、やんごとなき身分の少年、遥斗。記憶を失った彼はしかし、驚くべき回復力を見せていた。もう既に傷口はふさがり、こうして時折出歩いては海を眺めている。 「オルカさん……すみません、すぐ戻ります」 「オルカでいいよ。その代わり、俺も遥斗って呼ぶから。いいだろ?」 「でも、ルーンさんの話ではオルカさんは僕の師に当たる先輩ハンターだとか」 「あ、うん、まあ……そういうことになってるんだけど。堅苦しいのは苦手なんだ」  遥斗はニコリと笑って立ち上がる。その顔はどこか寂しげで、オルカの胸を無性に締め付けてくる。 「海を見てたのかい?」 「はい。どうしてでしょう……この先に僕の故郷があるからでしょうか」 「……それもルーンから?」 「ええ、僕はシキ国という土地の人間だと。この海の向こうにシキ国があるとも聞きました」  遥斗はシキ国の皇家に連なる血筋、砌宮家の第七皇子だ。この島を自国に併呑しようと各国が動く中で、その覇権争いに駆り出された挙句、モガの森で迷って火竜に襲われたのだ。命を取り留めたものの、記憶を失ってしまった。  今はオルカの元で修行した新米ハンターという扱いだった。 「なにか思い出せるかと思ったのですが」  遥斗は静かに首を横に振る。その華奢だが引き締まった細身の体は、まだところどころに包帯が痛々しい。  そっと肩に手を置き、オルカは優しい言葉を選ぶ。それが嘘だとしても、そうして励ます気持ちに嘘はないと信じて。 「ゆっくり思い出していけばいいさ。俺も力になるし、みんな君の味方だ」 「はい。明日からは僕も狩りに出ます。先程武具屋で鉄刀を購入しました」 「……いいのかい? 記憶の回復を待ってもいいんだよ」 「ただ毎日皆さんのお世話になってる訳にはいきませんよ。そうでしょう? オルカ」  木漏れ日のような笑顔を浮かべる遥斗を、その矮躯の頭をオルカはくしゃくしゃと撫でた。オルカもまた故郷を思い出し、大勢の兄弟達を思い出した。今はこの遥斗が弟のようなもので、乗りかかった船だからと面倒を見る気でいた。いつか記憶が戻ったら、その時改めて先のことを考えればいい。ルーンもあれでなかなか思慮深いようで、色々とこの村を案じているのだから。 「ただ海を眺めてるだけではなにも思い出せないような気がして。だから、僕もご一緒させてください」 「うん。でも忘れないで欲しい、遥斗。君は一人じゃない。俺が、俺達がついてる」  二人はそろって桟橋をあとに、賑わう村へと歩き出した。オルカと遥斗の、新たな生活の場だ。  そんな二人の前に、長身の男が腕組み待っていた。シキ国の装束に身を包んで、長大な太刀を背に背負っている。みればその耳は僅かに尖って、竜人族の血筋を無言で物語っていた。 「海はいいゼヨ……潮風が傷ついた心身を洗うゼヨ! 少年、そして青年!」 「は、はあ……あの、オルカ。お知り合いですか?」 「や、竜人の友人というのはいるけども……あの、どちら様でしょう?」  男はズビシィと港の交易船を指さし、ふんぞりかえって胸を張った。 「交易で世界を繋ぐ海の男ゼヨ! さあ、モガの村の特産品を――」 「あのぉ、船長? 村長が呼んでますのでいらしてください。商談はそのあとでお願いしますね」  オルカ達にツバを飛ばして喋り出した船長は、その背後から現れた少女に引き止められた。短く金髪を切りそろえた、大きな瞳の少女だ。くるくると明朗快活を絵に描いたような双眸が、オルカと遥斗を交互に見て一礼する。応じられるまま挨拶を返している内に、その少女は手早く船長を村の奥へと追いやった。 「ふう、話が長いんだから、船長ったら。あたしはアニエス、この村のハンターです」 「ああ、ルーンが言ってたもう一人の……よろしく、俺はオルカ。先日から厄介になってる」 「僕は遥斗です。よろしくお願いします」  もう遥斗のことは耳に入っているのだろうか? アニエスはじっとその顔を見詰めて、不意に笑顔になった。どうやら深い詮索はないようで、それはどこの地域でも変わらぬハンターの流儀なのだとオルカは胸をなでおろす。 「タンジアの港でちょっと、交易船の船長に定期航路の新設をお願いしていたんです」 「ああ、さっきの」 「ええ、でも先日の嵐で遅れてしまって。色々大変だったってルーンが言ってました」  遥斗は僅かに身をこわばらせる気配がして、安心させるようにオルカはその頭にポンと手を載せる。 「大したことないさ、ちょっとトラブルがね。でも、有望な新人ハンターが無事一人前になったって話」 「そうですか。これでモガの村も、六人体勢で柔軟にギルドの依頼に対応できますね。……例の地震の調査にも」  そう、このモガの村にモンスターハンターが増員された理由は他でもない。少なくても一日に数回、多い時は一時間に一回のペースで地震が襲う。それも、徐々に震源地が近づいているように感じるのだ。強い横揺れも少なくなく、その度に村人達は不安げに顔を見合わせる。村長が言う通り海竜ラギアクルスが原因ならば、その討伐は急務と言えた。  だが、六人? オルカは指折り数えて首を捻る。 「元からのルーンと君、ええと」 「アニエスです」 「うん、ルーンとアニエス、それに俺とノエル」 「そして僕ですね。……五人ですが。ああ、ざくろさんもライセンスをお持ちなんでしょうか」  ざくろはルーンのパートナーで、毎日オルカ達の身の回りの世話を一手に引き受けてくれている。割り当てられた部屋の掃除は勿論、洗濯から一日三食の食事まで。頼めばいつでも軽食を用意してくれるし、狩りに忙しい時も買い物や調べ物を率先してやってくれていた。ルーンの家に余った部屋を借りて住んでいるので、オルカやノエル、遥斗にとっては寮母のような存在だった。  ざくろの名前にアニエスは、ちょっと遠い目をした。 「ざくろさんは……ライセンスは持ってますよ。持ってはいます。まあでも、頭数には入れてないですね」 「じゃあ……」 「ふふ、紹介し忘れてました。お会いしてませんか? 一緒の船で来てる筈なんですが……お、あんなとこに」  眩しい太陽の朝日に手をかざしながら、アニエスは交易船の船首を見上げた。その視線を追って首を巡らせれば、オルカの視界に一人の男が飛び込んでくる。舳先を踏みしめる片足の膝に手を置き、その男は気持ちよさそうに潮風を浴びていた。 「ルーンの弟さんです。あのっ! 降りてきませんかっ」 「おう? アニエスではないか。どうした、お前も来るか? 吹き抜ける風が心地よい……故郷とはいいものだ」 「や、あたしは別に……逆です、逆。降りてきて欲しいんですけど。紹介したい人が」 「ふむ、しょうがないな。これだから人気者というのは辛い、ハッハッハ」  ――大丈夫だろうか、この男は。  率直な感想が顔に出ていたらしく、それは同じような表情を見合わせる遥斗も同意のようだ。  きざったらしく前髪をかきあげると、男は「とうっ」と一声発して舳先から跳んだ。そのままオルカ達の前に降りてくると、大げさに着地してから立ち上がる。体格はオルカと同程度だったが、鍛えあげられた筋肉が体のあちこちに隆起していた。見るからにマッシブなその男は、オルカと遥斗を交互に見て白い歯を零す。 「オレの名は夜詩、姉者が世話になっている。一つよろしく頼むぞ」 「は、はい。俺はオルカ、こっちは遥斗。まだまだこの村じゃ新参者だし、こっちこそよろしく」 「はじめまして、夜詩さん。遥斗です。未熟者ですが、明日から狩場にお供させていただきます」  一通り挨拶を終えたところで、夜詩は暑苦しい笑みを浮かべて二人と握手を交わした。 「そゆ訳で、六人目のヤッシーさんです。じゃあヤッシーさん、お姉さんの所へ、ルーンの所にいきましょう」 「待てアニエス! オレはヤッシーではない、夜詩だ! 訂正を要求する」 「ええと、ルーンも村長の所かな? ヤッシーさんも久々の故郷なんですし、急ぎましょう」 「だからヤッシーではない、夜詩だ! 若き日の姉者と並んで、ヘルブラザーズと恐れられたこのオレを……」  夜詩の一言にオルカは驚き目を点にする。どう見ても夜詩は同年代、同じ二十代の若者だ。その姉であるルーンも、自分よりせいぜい三つか四つほど年嵩というところだろう。それが、ミナガルデやドンドルマで伝説になった、あのヘルブラザーズとは。 「ヘルブラザーズ、というのは……オルカ、有名な方なんですか?」 「ハッハッハ、無知だな少年! だが無知は罪ではないぞ、オレが教えてやろう」  どうやら語りたくてしかたがないらしく、夜詩は得意満面の笑みで語り出した。  ヘルブラザーズとは、モンスターハンターの間では半ば伝説と化した凄腕の狩人だ。常に二人一組で、どんなモンスターでも容易く狩猟するという。それは遠く異国の地でも噂になっており、オルカも前まで住んでいたシキ国のユクモ村で聞き及んでいた。もっとも、自称ヘルブラザーズが多数いることも知っていたし、夜詩は悪い人間には見えないがかなり胡散臭い。  だが、朗々と語る夜詩に向けられる遥斗の眼差しは、純真な憧れで輝いていた。 「まあ、武勇伝を語るつもりはない。だが、このオレが姉者と倒してきた数々の――」 「あ、ルーン。只今戻りました、交易船の方はバッチリです」 「おい愚弟、なにをしている」  忙しいのか、動きやすいインナーに引き締まった曲線美も顕なルーンが現れた。 「僅か一時間で火竜の夫婦を倒した時などは、オレも姉者も……げぇ、姉者!」 「まだその恥ずかしい通り名を名乗っていたのか、ヤッシー。すまんな、オルカ。愚弟の戯言だ。さ、行くぞ」 「待て姉者、時に落ち着け! オレ達はミナガルデやドンドルマで痛いっ! み、耳を引っ張るな、姉者っ!」  夜詩はルーンに耳をつままれると、そのまま引っ張られて連れられていった。その背を村の賑わいに見送りながら、アニエスや遥斗と共に込み上げる笑いをこらえるオルカ。なかなかに賑やかなことになってきたようだった。 「まあでも、実力はきっと折り紙つきさ。本物のヘルブラザーズかどうかは、また別の話だけど」  見なよ、とオルカが親指で交易船の方を指差す。アニエスと夜詩が乗ってきた船からは、綺麗に組み上げられて鎮座する防具が一式降ろされていた。鮮やかな紅白に塗り分けられた、全身を覆う甲冑は炎戈竜アグナコトルの素材から作られた物だ。非常に強力な飛竜であるアグナコトルの素材を、防具を一式揃えるまで集めるとは相当の腕だ。そして男性用のそれは間違いなく、夜詩の物だろう。  改めて舌を巻く遥斗を他所に、オルカは込み上げるワクワクに胸を高鳴らせた。  もうすぐ始まるこの村での狩りが待ち遠しかった。