その一報を聞いて、半日間ベッドに沈んでいたオルカは飛び起きた。ラギアクルスにやられた打ち身が酷く痛んだが、ざくろが止めるのも聞かず村へと躍り出る。そうして駆けつけた村長の前に、その人物は元気な姿で立っていた。 「あ、オルカ! ただいま戻りました。怪我の方、大丈夫ですか? 僕のせいでオルカが」 「いや、俺のことより自分のことでしょ。でもどうやって?」 「エルに助けられました。モガの森に流れ着いたみたいで。……あれ? さっきまでエルがそこに」  きょろきょろと周囲を見渡す遥斗の背後に、オルカは見知った男を見る。後から駆けつけたノエルも、その姿を見るなり「あっ」と声をあげて、慌てて開いた口を手で覆った。  そこには、腕組み佇むウィルの姿があった。彼は二人を見つけるなり、意味深にニヤリと笑う。 「また会ったな、オルカ。それとノエルも。野郎はともかく、美少女との再会は嬉しいねえ」 「……ウォーレンさん」 「ウィルでいいって。まあ、後で事情をゆっくり説明して貰うとしてだ。悪いなオルカ、ちょっと」  さり気なくオルカへ歩み出てくるウィルは、全くの無防備の筈だが隙がない。そして微笑をたたえた涼やかな表情とは裏腹に、危険な殺気を発散していた。本物の一流ハンターが持つオーラに気圧されて、身動きできぬオルカの脇をウィルは通り抜ける。 「初めまして、美しいお嬢さん。いい村だ、訪れることができてとても嬉しい」  ウィルはノエルの肩をポンと叩いてさらにすれ違うと、駆けつけたルーンの手を取り接吻。そして恭しく跪くと満面の笑みを浮かべた。下心丸見えなのに悪びれる様子もなく、そのふてぶてしさがいっそ清々しいまでに清冽だった。ウォーレン・アウルスバーグという男を憎める女はそうそういない。  突然のことに鼻白んだ様子で、あの冷静沈着なルーンですらわずかに頬を赤らめた。 「ルーン! もっ、ルーンったら。しっかりして頂戴。わたしというものがありながら」 「あ、ああ、うん。すまん……その、つい。……ゴホン! 歓迎するぞ、ウィル」  ざくろに言われるや、ルーンは慌てて頭を軽く振ると、ウィルを立ち上がらせる。 「意外だな、追い出されると思ってたが。おお、そちらの女性も美しい。いいところだなあ、モガの村は」 「モガの村は来る者を拒まぬ。そういう習わしだ。凄腕のハンターともなれば尚更な」  ルーンの説明を聞いているのかいないのか、早速ウィルはざくろも口説き始めた。ざくろはずけずけと無遠慮だが紳士的なウィルに、そのイケメンスマイルにたじたじの様子。 「子分! ナンパばかりしてないで、オレチャマをみんなに紹介するっチャ!」 「っと、忘れてた。ルーンだったな、こいつも受け入れてやってくれ。俺の……まあ、ダチだ」 「チャチャ、奇面族の戦士だっチャ! オレチャマ、最高のお面求めてきたっチャ」  ぴょんぴょん飛び跳ねる奇面族の子供に、オルカは目を丸くした。伝承や民話には聞いていたが、実物は初めて見る。ドングリを繰り抜いたお面をかぶり、その素顔は見えないが、言動は酷く幼く無邪気だ。 「ふむ、奇面族か。歓迎しよう、チャチャ。我々ハンターの狩りを手伝ってくれると嬉しい」 「任せろっチャ!」 「それと、村長のせがれが確か、先日交易船からお面を入手していたが」 「ナヌヌ!? それを先に言うっチャ!」  チャチャは一目散に村長の息子が待つ方へと駆けていった。その背を見送れば、自然とオルカも遥斗も、ウィルも皆笑顔になって声をあげた。ざくろは勿論、あのルーンですら表情を和らげている。  だが、それも僅かな時間のことで、ルーンはいつもの無表情に戻ると、 「さて遥斗、戻ったことを村長に報告してくるといい。今日はゆっくり休め。ざくろ」 「はい。さ、遥斗さん。いきましょう。なにか温かいものを作りましょうね」  ざくろにそっと背を押されて、遥斗は振り向きながらもオルカを見た。静かに頷いてやると、少年は笑みを浮かべて去っていった。  見送るオルカは、隣でうんうんと頷くウィルの横顔を伺う。そこからは心が読み取れず、底知れぬ奥深さだけが感じられた。 「懐かれてるねえ、オルカ。さて……人払いは済んだな。話してもらうぜ、こっちも仕事できている」  ウィルの眼光が鋭くなって、対するルーンも身を正す。 「オルカとノエルがどう対応したかは聞いている。二人はモガの村のハンター、私のかわいい後輩だ。その言動は全て、モガの村の総意と思ってもらって構わない」 「へえ、肝が座ってらあ。ますますいい女だぜ……そうかい、それがこの村の流儀かい」 「そうだ。村長から皆へ、言わずとも伝わる風習だ。海から吹く風を拒むことはできまい? 同じことだ」  ルーンはオルカとノエルを背に庇うように立つと、きっぱりとウィルに言い放つ。 「そして遥斗も同じ……あれはもう私達の身内だ」 「渡しちゃもらえねえ、と?」 「お前もまた、この村の客にして一員だ。この村でどうしたいかはお前が決めるがいい」 「なるほど、単純明快で筋も通ってる。好きにしろ、ってことだな。ただし、自分の責任で」  ルーンの頷きを拾って、顎を手でこすりながらニコリとウィルが笑った。ルーンもまた僅かに頬を崩す。緊張感がほつれたのを感じ取ってか、ノエルが二人の間に割って入って声をあげた。 「それとウィル、これは知ってて欲しい。いいよね、話しても……うん。遥斗、記憶がないんだ」 「ああ、モガの森で聞いた。それでまあ、俺も仕事を躊躇っちまった。けど、今はよかったと思ってる」 「あんた、遥斗を連れ戻しに来たんだろ? あいつ、楽しそうに毎日狩場に出てる。そりゃ、皇子様だから本当は故郷の国に帰る方がいいのかもしれない。けど、あたしはあの笑顔、嫌いじゃないんだよね。弟みたいなもんさ」 「……連れ戻すだけならよかったんだがなあ。まあいい。俺もしばらく厄介になるぜ」  ポン、とノエルの頭に手を置き髪を撫でて、ウィルはニヒリと唇を左右非対称に歪めた。  ノエルも「子供扱いすんなよー」とその手を振り払いつつ笑う。 「さて、ウォーレン・アウルスバーグ……だったな。歓迎する、なにせ人手が圧倒的に不足しているからな」 「ウィルでいいさ。その代わりルーンって呼んで口説かせてもらうぜ。まあ、お近付きの印に昼食でも一緒に――」 「オルカ、ラギアクルスに遭遇したそうだな。仔細を聞きたい。……そうだな、みんなで昼飯にしよう」  ガクリと肩を落とすウィルに、ニシシと笑って背を叩くノエル。そんな二人を引き連れ、オルカはルーンと一緒に街の小さなレストランを目指した。最近になって交易船でやってきたアイルーのコックが開いた、この村で唯一の外食産業だ。ざくろは遥斗の相手をしているし、ここはいつもの賄い飯ではなく、たまには贅沢をというルーンの気遣いだ。ウィルの歓迎会をも兼ねていたかもしれない。  歩きながらルーンはしかし、深刻な顔でオルカに声をひそめる。 「海竜ラギアクルス……雷公と呼ばれる近海の主だ。あの村長ですら、仕留め損なった」 「村長も若い頃はハンターだったんですよね」 「ああ、それも凄腕のな。この村を見ろ、村長が一代で築いた。岩場に板を幾重にも渡し、その上に生活の場を広げた」 「その時からずっと、モガの村を脅かしていたのがラギアクルス……あの巨大な海竜ですね」  そうだ、とルーンが頷いたその時だった。  不意に小さな揺れが足元から浮き出て、それはたちまち巨大な縦揺れへと変化した。慌てて腰を落とすオルカに、意外にも抱きついてくるルーン。背後ではやはりというか当然のように、ノエルを守るようにウィルが抱き寄せていた。  激しい地震は地の底から不気味な音を昇らせながら、二、三分ほど続いて徐々に遠ざかった。 「……おさまったか。ここ最近、地震の間隔が短くなっているな」 「あ、あの、ルーン」 「ああ。奴だ……ラギアクルスがその巨体で島の岩盤を揺すっているのだ。クソッ、こうしている間も」 「うん、その……こうしている間は、ちょっとまずくないかなって」  口では冷静に呟くルーンは、オルカの腰にしっかり両手を回して抱きしめていた。二人の間でたわわな二房の弾力がたわんでいる。  気づいたルーンは一瞬固まり、そのあと顔を真っ赤にしてわなわなと震え出した。 「オルカ……貴様」 「えっ! ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ルーンさんが抱きついてきたんじゃ」 「そっ、それはだな! う、うん……お前が悪い! 抱きつける場所にいるのが悪いのだ」 「そんな馬鹿な!」  だが、ようやく離れたルーンは足早にオルカを置いて歩き出す。追いかけるオルカは、ルーンが耳まで赤くなっているのを見て取った。彼女はツカツカと肩を怒らせ歩き、その後ろを気まずい雰囲気でオルカが続く。  不意にルーンは立ち止まると、くるりと振り向いて人差し指をオルカの胸に当てた。そのまま腰に手を当て身を乗り出して、唇を尖らせながら早口にまくしたてる。 「わっ、私は男など信用していないのだ。この村のハンターも皆、女だ。だからオルカ、せいぜい気張るのだな」 「は、はあ……」 「お前とウィルと遥斗、あとは愚弟か……我ら女に遅れを取るようなら、この村から叩き出す! いいな!」 「いや、そんなこと言われても」 「返事!」 「……ハイ」  この女傑はどうやら、なにかしらの要因を抱えて男嫌いのようだ。だが、先程の行動をみるに、やはり心のどこかでは仲間として頼る気持ちを持っているのかもしれない。面倒な人だと苦笑しつつも、オルカは込み上げる笑みを辛うじて噛み殺した。 「おうおう、仲いいねえ! どうだいノエルちゃん、俺にいつでも抱きついてきていいんだぜ?」 「はいはい、考えとくよ。ったく……こいつはチャラいし遥斗は女々しいし、だったら……ねえ」  じっと見詰めるノエルの視線に気付いて、オルカが首をかしげたその時だった。 「おう姉者! 先に一杯やっているぞ。ハッハッハ、狩りの後のタンジアビールは最高! まさに至福!」  一人お気楽に、先客の夜詩がレストランで一杯やっていた。嬉しそうにジョッキを傾け、暑苦しい笑みを浮かべている。オルカは新たな仲間のウィルと共に、並んでその横に座った。皆で語れば語るほどに、ラギアクルスの恐ろしさが込み上げてオルカを今更の恐怖で苛む。だが、酒の酔と仲間の存在が、そんな彼に傷の痛みも忘れさせるのだった。