灼熱地獄で訪れる者を炙る砂原の熱気は、日が落ちると同時に激変する。  今、オルカの身を苛むのは針のように肌へ突き刺さる冷気だ。太陽から空を譲り受けた月だけが、舞い上がる砂塵に真っ赤な弧を描いてモンスターハンター達を見下ろしている。夜の砂原はさながら、極冠の如き寒さで全ての生物を拒む。  今、オルカ達は危険な飛竜との接敵を考慮して四人ひとまとめで砂原を進んでいた。 「冷えるねしかし。ユクモ村に残るんだったぜ……酒と暖かい料理、白いシーツ、ミヅキちゃんにルナルちゃん」 「今からでも遅くないけど? ベースキャンプで寝てたってアタシは構わないよ」 「ノエルちゃんが添い寝してくれんなら考えんでもないぜ」 「……撃つよ? 割りと本気で」  軽口の押収を繰り広げていたウィルとノエルは、後者が麻痺ビンへと鏃を差し込むと同時に途絶えた。だが、こうして雑談に花を咲かせているのは余裕のある証拠だ。笑って見てられるオルカもそれは同じ。  ベテランのハンターに仲間入りしたオルカには、恐るべき風牙竜を探す過程でもリラックスを忘れない。  だが、初めてモガの村を出て新たな狩場に来た少年には、広がる無限の砂の海が恐ろしいのだろう。 「大丈夫かい? 遥斗」  気遣うオルカの声に、レイアシリーズの少女が振り返る。身を固くした彼女は……否、彼は今、ハルカと名乗っているが遥斗だ。気丈にも大丈夫ですと応えて、落ち着かないのかポーチからホットドリンクを取り出す。その瓶を開封しようとする手先は震えていた。  オルカにも経験がある、未知の強敵へと挑む恐怖はなにもおかしなことではない。  恐怖を感じることができない者は、真の強さを得られることもない。 「遥斗、まだホットドリンクの効果は持つよ。そんなに飲んだら後で困ることになる」 「そ、そうですね。……孤島以外での狩りは初めてで。もっ、勿論勉強はしてます!」  知識でしか知らない狩場は、未開の地で危険がつきまとう。経験が伴って初めて、ハンターの身に蓄えた知識は武器として機能するのだ。オルカはそっと遥斗に肩を組んで、その華奢過ぎる身に身を寄せる。 「でも驚いたな、遥斗がまさか来てくれるなんて。……しかもその格好」 「ルーンさんが、もっと防御力の高い防具を着てゆけと。これ、女物ですよね」 「そりゃね。まあでも、リオレイアの鱗と甲殻はとても堅固だから安心しなよ。いい見立てだ」 「それに、その……笑わないでください、オルカ。女物を着せられても、あまり違和感がないんです」  ウィルの話では、シキ国の皇族である宮家では、幼少期に女装して男子を育てる風習があるらしい。記憶のない遥斗は、どこかその名残を胸の奥に感じているのだろう。  そう思っていたオルカだが、遥斗の顔が真剣さを増して意外な言葉を放つ。 「それに、僕はルーンさんに大事な役割を言いつけられてます!」 「へえ、なんだろ」  あのクールでクレバーな女ハンターは、節々にまで実に目が行き届く。伊達にモガの村でハンター頭として長年働いている訳ではないのだ。その彼女が言うのだから、遥斗の女装には身分と素性を隠す以外の意味があるのだろう。  記憶を失ってはいるが、遥斗は三大宮家が一つ、砌宮家の皇子だ。その存在は国際問題に発展する危険をはらんでいる。  だが、遥斗が真面目な顔で言い放った言葉は、そんなオルカの想像の斜め上をかっ飛ぶ素っ頓狂なものだった。 「僕はこうして、オルカに悪い虫がつかないように目を光らせてるんです!」 「……へ?」 「ルーンさんは言ってました、オルカはいずれモガの村で嫁を貰って根付く次代のハンターだと」 「ちょっと待って、遥斗。……ルーンがそんなことを?」  真面目に遥斗は大きく頷く。  嘘だ。嘘を隠すための嘘、方便もいいとこだ。 「オルカは村のハンターの誰かを嫁に貰うとルーンは言ってました」 「……遥斗もそう思うのかい?」 「僕はだから、村を離れられないルーンさんに代わって、オルカをお守りします!」 「そ、そう……その、ええと……うーん、まあ、なんだなあ。ありがと」  やれやれと思ったが、咄嗟に作った嘘にしてもあまりに酷い。この分だと、モガの村に戻る頃には嘘が噂となって村中に満ち満ちていそうだ。確かにモガの村のハンターは大半が女性で、その誰もが魅力的で美しい。こうしている今もウィルを適度にいなしつつ、周囲の警戒を怠らないノエルがまずそうだ。彼女は自分と同じ年頃だが、その鍛え抜かれたしなやかな肉体美も眩しいし、溌剌とした表情には少女特有の愛らしさが同居している。他にも知的なクールビューティのルーン、その相方である家庭的なざくろ、そして名スィーパーのアニエス。そしてもう一人、一応カテゴリー的には女性に分類していいと思えるハンターがもう一人。 「で、でもオルカ、その……だっ、だだ、誰をお嫁さんにもらうんですか?」 「んー? はは、いや、そんなことはずっと未来の話だよ。村の誰かって話は、考えてもいないんだけど」 「そ、そうですか」  遥斗は安心したような、少しがっかりしたような顔を覗かせた。普段から少女然とした柔和な表情が、こうして女性用の防具を着せられてると一層強調される。  そして恐らく、彼が安堵した理由は一人の女性に関することだ。  モガの森の魔女、エルグリーズ……不思議な雰囲気を凝縮したようなこの女性に、密かに遥斗は恋をしているのだ。  そしてそれは、関わる誰もが知る公然の秘密。 「遥斗、俺のことより自分のことだろ? ユクモ村のお土産、エルは喜ぶと思うよ」 「そっ、そうですよね! この狩りで得た報酬でと考えてます」 「張り合いがあるのはいいことさ。……生き残るよ、遥斗。生きてモガの村へ帰る。いいね?」 「はいっ!」  元気の良い返事が耳に心地よい。気付けば本当の弟のようで、時々妹のようで。兄や姉もきっとこんな気持だったのだろうとオルカは思う。  だが、この狩りには不安もある。こうして大型の飛竜を、それも未知の新種を狩るにしてはあまりに不安要素が大き過ぎる。その一つがまだまだ未熟な遥斗だが、そこはベテランのウィルやノエルがいてくれるので問題はない。むしろ問題はオルカ自身にあった。  そっとオルカは、背に背負ったディーエッジへ手を添える。  これはモガの森の近海から発掘された品で、不良品だ。スラッシュアックスの強みである剣への変形機構が壊れているのだ。それは、威力は高いが大ぶりで隙の大きい、斧の形態でのみの戦闘を強いられるということ。そして相手は初めて経験する風牙竜ベリオロス……正直、あまり自信はない。激闘の末に征した氷牙竜ベリオロスとは、別物だと考えたほうがよさそうだからだ。単なる原種と亜種という関係でははかりしれぬ脅威をオルカは感じている。でなければ、あのコウジンサイが遅れを取るはずがないのだ。 「ま、心配するなよ。オルカ、力抜けや」  気付けば隣でそっとウィルが、ハプルシリーズのバイザーをあげながら耳打ちしてくれる。この男は掴みどころがなく底が知れないのに、気安く人の中に自分の居場所を作ってしまう。彼の言葉に自然と安堵するオルカだった。 「ウィルさん、もしもの時は遥斗とノエルをお願いします」 「……断る。そういう深刻な顔すんなよ。俺とお前で二人を守って、首尾よく風牙竜も狩る。それでいいだろ?」  この人懐っこいウィルの笑みを見てると、気軽に言ってくれる一言が現実味を帯びる。だからオルカは自分の弱気を戒めて大きく頷いた。  ノエルが声をあげたのは、そんな時だった。 「見て、あそこ……風が渦を巻いている。……竜巻だ! 大きい!」  それは満点の星空へと屹立する、巨大な風圧の奔流。轟! と音を吸い込み唸る巨大な竜巻が、突然見詰める砂原の向こう側へと出現していた。そしてそれは、天高く真っ赤に濡れた月を食むように、じりじりと視界の中で大きくなる。  その時、オルカは見た。  荒れ狂う竜巻の中心で羽撃く、琥珀色に輝く巨躯を。 「あれが、風牙竜……風牙竜ベリオロス」 「アタシが先制する! 遥斗、ペイントを。散開して迎え撃とう」 「っしゃ、それじゃあ手早くとりかかるとしますか」  誰もが武器を手にして身構える、それしか許されない程に竜巻は猛烈なスピードで迫っていた。  そして凍える夜気を切り裂く咆哮。  夜の砂漠に君臨する嵐の暴君が今、竜巻のヴェールを纏ってオルカ達の前に降り立った。  見るも逞しいその巨体に、オルカは思わず息を飲む。形こそベリオロスに準じたものだが、寒暖差の激しい砂原で生き延びてきたことで、その甲殻と毛皮は太陽の色に染まっている。剥き出しの鋭い牙は群青で、発せられる雄叫びに思わず両耳を手で塞いだ。  風牙竜ベリオロスは、散り散りに四方へ走るオルカ達へと、その牙を向けてきた。 「やれるか……あのコウジンサイさんを退ける程の飛竜を。いや、やるんだ。俺が! 俺達が!」  両手に握ったディーエッジを振りかざして、オルカは右回りに風牙竜の背後へと走る。先ずはあの長い尻尾を切り落とす。ベリオロスの狩猟は翼に尖った鋭い爪の破壊が先決だが、それは他のメンバーがやってくれる。ソロで一人だった時とは違って、火力に定評のある双剣のウィルがアタッカーだし、弓での援護もノエルがばっちりこなしてくれる。必定、自分はその中で役割を果たせばいいのだ。 「遥斗、ついてきて! 尻尾を切る、あれがあるうちは迂闊に近付けない!」 「はいっ!」  柳の社に伝わる古文書に謳われた、天の風神……風牙竜ベリオロス。その恐るべき力が巨体をまるで疾風のように駆動させる。意志ある獣の荒ぶる躍動に、砂原はまるで大海のように泡立ち砂煙を巻き上げる。オルカは遥斗をフォローして目配せしながらも、すぐ側を猛スピードで駆け抜ける圧倒的な質量に畏怖を感じた。  この飛竜は、風牙竜ベリオロスは危険だと直感。  そしてそのハンターとしての勘が正しいことを、次の瞬間にはオルカは思い知らされるのだった。