白銀に凍る砂原は、さならが荒れ狂う宝石の海。紅い月明かりに輝く砂塵が舞い上がる中、巨大な風牙竜が疾走する。その巨体からは想像もつかないスピードに翻弄されながらも、オルカ達は懸命に走った。  怒れる風神から逃げ惑う四人は、反撃の糸口も掴めずにもがいていた。 「くっ、振り遅れる! 攻撃を捩じ込めない!」 「くそったれ、なんて風圧だ! まるで竜巻だぜ」  ほぞを噛みつつオルカは、ウィルの悪態を聞きながら逃げ惑う。遥斗もノエルも、武器を構えて攻撃のチャンスを伺うことすら許されない。ただ逃げ惑って身を投げ出し、立ち上がればまた走って逃げた。そんなハンター達を執拗に、琥珀色の殺意が追い回す。  だが、ただ逃げ回っているだけの時間はオルカ達の身に経験として蓄積してゆく。  圧倒的な質量を高速で振り回す風牙竜ベリオロス……その一分の隙もない攻撃のリズムを、徐々に紐解き心身に刻む。  追い詰められてゆく過程でオルカは、ひたすらに荒れ狂う暴風の中に付け入る隙を作ろうとしていた。 「オルカ、僕が閃光玉を! ……見切りました、そこですっ!」  鋭角的な突進と体当たりを避けるや、遥斗が手を振りかぶる。  投擲された閃光玉が爆ぜて、闇夜に小さな太陽を現出させた。甲高い咆哮を響かせ、荒ぶる風神の猛威が一時足を止める。  その瞬間、今まで逃げの一手だったハンター達の瞳に光が宿った。 「ナイス、遥斗! 次はアタシ達の番だね……暴れてくれちゃって。倍返しだよっ!」  ズシャリと大地を削って身を翻す、ノエルが背負った弓を展開と同時に腰の矢を引き抜く。爆鎚竜の鱗と甲殻で象られた無骨な弓が、ハンターシリーズで身を固めた射手によって羽撃いた。 「この強度で矢が持つか……でもま、とっておきを使うなら今だね」  ノエルはクルクルとバトンのように矢を回して、腰に下がるビンへと鏃を突き刺す。そうして劇薬を塗ると同時に、弓へつがえて弦を引き絞った。僅かに足を止めたベリオロスへと、弓が弦を震わせ矢を歌う。それは反撃の第一声を高らかに響かせた。  ノエルが放った矢は、狙い違わずベリオロスの翼に吸い込まれて爆発する。 「ほお、爆破ビンかい。やるねえ、ノエルちゃん! もう実用化されてるたぁな」 「アタシはドンドルマ育ちのベテランだよ? ……ま、無理矢理対応ビンを追加してるから不安定だけど」  ニヤリと笑うウィルに不敵な笑みを返して、ノエルは続けざまに矢を放つ。その斜線にそって、オルカもウィルや遥斗と共に恐るべき風神へと走った。放たれる矢はなるほど、まだ強化途中の弓矢に爆破ビンの負担が大きいのか、劇薬に耐え切れぬ鏃が溶けて何本かが屈強な甲殻と毛皮に弾かれている。それでも当たれば、爆発を花咲かせてその都度ベリオロスの悲鳴を引きずり出していた。  翼を飾る刺々しい爪が割れたところで、たまらずベリオロスがその場に崩れ落ちる。  その隙を逃さず、ハンター達はチャンスと見て瞬発力を爆発させた。 「次は俺だな……チャンスは逃さねえぜ?」  雌雄一対の双剣を構えるウィルの身に、人ならぬ気迫が漲り周囲の空気を沸騰させる。彼はそのまま、鬼気迫る闘気を身に燻らせて両手の剣を頭上で交差させた。たちまち全身の筋肉がパンプアップして、鬼人化したウィルへ軍神の如き膂力を顕現させる。全身の潜在能力を一時的に引き出す、高レベルの双剣使いのみが使いこなせる奥義だ。鬼人化した双剣使いの繰り出す斬撃は、モンスターハンターが扱うあらゆる武器の中でも最強の攻撃力を誇る。  ゆらりとベリオロスの頭部へ歩み寄るウィルが、そのまま一陣の風となって夜気を切り裂いた。 「おおおおっ! お見舞いっ、するぜえええええっ!」  普段から飄々と掴みどころがなく、どこかクールでクレバーなウィルが吠えた。鬼人化した彼は今、燃え滾る血潮に身を任せて雄叫びと共に剣を振るう。達人の領域まで高められた二刀流は、左右の腕がまるで別々の意志ある生き物のようにベリオロスの頭部へと吸い込まれていった。ベリオロスの弱点は炎だが、亜種についてはさだかではない。データも少なかったし、昼間は熱砂の灼熱地獄になる砂原を縄張りにしているのだ。必定、ウィルが振るう双剣リュウノツガイに秘められた火竜の息吹は効果が薄いかもしれない。だが、圧倒的な手数で目の前の飛竜を刻んでゆくウィルを、まるで飾って照らすように爆炎は咲き誇っていた。 「へっ、どうよノエルちゃん! 惚れ直しただろ、改めて俺様に」  最後に両の剣を頭上で重ねて、一際強烈な一太刀を浴びせるやウィルが離脱する。  身悶えるベリオロスの自慢の牙が、木っ端微塵に打ち砕かれていた。 「ま、ちょっとは見直したかな。惚れ直したって、アタシ別に最初から惚れてないし」 「はは、照れ隠しもかわいいぜ。さて、仕上げといくか。オルカッ! 遥斗!」  仲間達が畳み掛けたラッシュの逆側へと、オルカと遥斗は走っていた。その手に握るディーエッジが、心なしか震えてるように感じるオルカ。この不思議な不良品は、まるで怒れる風神に呼応するかのように鋭い刃を輝かせている。オルカは迷わずふりかぶるや、垂直に一撃をまっすぐ落とした。抜刀と同時に自分に追いついた遥斗もまた、神速の居合ですぐ側を払い抜ける。  オルカは目の前で揺れる巨大な尾へと、続けざまに全身を使って斧を振り回した。  痛みに唸りながらも、体勢を立て直そうと巨躯を持ち上げるベリオロスが、一際甲高い声で鳴く。  次の瞬間には、巨大な尾の先端が宙へと舞い上がっていた。 「おっし、部位破壊完了だ。シメといこうぜ」 「ま、風神だなんだといっても、ちょっとでかいだけのベリオロス亜種だったね。さ、オルカ! 遥斗も」  流れを完全に引き寄せ、ペースを掴んだハンター達の見事な連携攻撃だった。  だが、もがきながらも身を起こす風牙竜を前に、オルカの胸中を嫌な予感が過る。 「オルカ? トドメをさしましょう、今が好機です」 「……脆過ぎる、こんなに簡単に押し込めるなんて」  すぐ側で見上げてくる遥斗に、不安をぽつりと零すオルカ。  ノエルの攻撃はベリオロス攻略の基本を踏まえた満点の翼破壊で、そこを起点にウィルが手早く牙をへし折った。これでベリオロスの脅威は半減したにも等しく、長く厄介な尾も切断されている。  だが、こんなたやすい相手ならば、あのコウジンサイが苦戦はしないだろう。  なにかまだ、恐ろしい未知の恐怖が潜んでいる気がしてオルカは不安に俯く。考え過ぎであればいいが、つじつまがあわないのも事実だ。あのユクモ村を永らく恐懼で支配したゴールドクラウンサイズのジンオウガと、風神雷神と並び称されるベリオロス亜種にしてはあっけない。柳の社に秘匿されていた古文書のことが、オルカには気がかりだった。  そしてその不安は今、最悪の結末となって現実になる。 「クッ、なんだ? 耳が……くそったれ、やべえ! おいみんな、こいつから離れろ!」  咄嗟に身を翻したウィルが、納刀と同時に走り出す。  それは、ゆっくりと身を起こしたベリオロスの双眸が、怪しい光で蒼く燃えるのと同時だった。 「なんだ、気圧が……」 「オルカ、早く!」  その時、ベリオロスが顎門を天地に大きく開いて空気を撹拌した。人間の聴覚では捉えきれぬ音が周囲を満たして、急激に変動した気圧に耳鳴りが痛い。思わず誰もが両の耳を手で塞いで竦む、その瞬間にはもうベリオロスは後方へと飛び退いていた。  体勢を立て直した風牙竜の周囲に、肉眼でもはっきりと見える空気の渦が無数に生み出される。  オルカは察した……風神がその怒りも顕に、本気で自分達人間を敵と認めたのだ。爪は砕かれ牙が折れて尚、この恐るべき飛竜は見えない刃を隠し持っていたのだ。それは今、砂塵を巻き上げ真っ赤な弧月を覆い隠す。瞬く間に砂嵐に周囲は包まれ、その中心で吠え荒ぶベリオロスの声が異変を呼んだ。 「ウィル、オルカも遥斗も! 距離取って、アタシが援護する!」  ノエルが続けざまに放つ矢はしかし、大気の壁に弾かれ空中でバラバラになった。  そしてベリオロスの周囲には、無数の乱気流が竜巻を生み出し従わせている。まるで風の精霊を隷属させる、嵐の王。ベリオロスが再び地を蹴るのと同時に、渦巻く風は刃となってオルカ達へと襲いかかってきた。 「逃げるぞ! こいつはカマイタチだ、触れれば鋼鉄とて切り裂かれる!」 「遥斗、こっちへ! 俺から離れないで、ここは退く!」  咄嗟のウィルの判断は正しかったし、それを瞬時に読み取ったオルカは冷静だった。  だが、既に退路を断つように回り込んだ竜巻が、ハンター達を暴風の牢獄に閉じ込めた。 「この風、クシャルダオラ級だよ……参ったね、まさかアタシの矢が弾かれるなんて」  ドンドルマを定期的に襲う、風雨の鋼鉄神……古龍クシャルダオラ。その風圧はあらゆる物を吹き飛ばし、纏う風の鎧は射撃を一方的に無効化するという。そんな恐るべき古龍に匹敵する脅威が、目の前で烈風の斬撃を無数に放ってきた。  逃げ場なしでその場に伏せて、オルカ達は大地にへばりつきながら耐える。  その身を引剥がし、ともすれば空へと巻き上げバラバラにしようと風が唸る。頭上数センチの距離でオルカは、触れる何者をも両断する風の刃が擦過する恐怖に身を凍らせた。ただ身を縮こませるハンター達は、あまりにも無力だった。  今、太古の民が風神と恐れた力がオルカ達の前で撃発していた。 「これが……コウジンサイさんさえも退けた、風神の力! ……なんだ? 武器が」  その時、オルカの手の中でディーエッジが震えて唸る。微細な振動はまるで、生あるものの胎動のように刀身を煌めかせる。ただの不良品でしかない発掘品は、突如として奇妙な作動音と共に周囲の空気を歪ませながら昂ってゆく。  カシュン! と音がして、握る剣斧の内部でなにかが圧縮される音が響いた。それは今まで扱ってきたどんなスラッシュアクスよりも不気味な、聞いたこともないビンの圧縮音。確かに今、このディーエッジの中でなにかしらの劇薬を封入したビンが圧縮を完了した。  それを示すように、押しても手応えのなかった変形トリガーは今、確かな手応えでオルカの親指に当てられている。 「なんだ……変形、いけるのか? どうして。でも、迷ってる暇はないっ!」  誰もがただ迫る死に歯を食いしばる中、風圧によろけながらもオルカは立ち上がる。  すぐ目の前に、巨大な絶壁の如き風牙竜ベリオロスの巨体がそびえていた。 「オルカッ! 危険です、僕も共に」 「おいおいオルカ、そりゃやべえだろ! ……策アリってか? いいぜ、賭けてやらあ。全賭けだ!」 「手詰まりならもう、後は当たって砕けろってね。砕けて散るかはアタシ等次第……いこう、みんな!」  駆け出すオルカを追って、仲間達も身を起こした。その周囲を荒れ狂う真空が無音で切り裂いてゆく。音すらも飲み込む冷徹な暴力に身を削られながらも、疾走するオルカの手が慣れた動作でトリガーを押し込んだ。  瞬間、冷たい金属音と共にディーエッジが変形して、その内側に秘めた刃を顕にする。  オルカはあまりにも意外なその刀身を、迷わずベリオロスへと叩きつけた。