豪風にさらされ骨身を軋ませる中、オルカに手に光の剣があった。  ついに変形を果たしたディーエッジの中から、眩く輝く刀身が顕になる。その光を見て、風牙竜ベリオロスの咆哮が一際甲高く響き渡った。  全てを切り裂く真空の乱気流を纏って、怒りの風神が地を蹴る。 「みんなっ、勝負に出る! これ以上は」  オルカの声に誰もが、一塊に身を寄せあって武器を構えた。そんなハンター達の周囲を、荒ぶる風が空気の刃となって吹き抜ける。オルカ達の防具は表面に無数の傷を刻んでほつれて綻び、剥き出しの顔は見えないカミソリが刻んでゆく。だが、集中力を切らすことなく、荒れ狂う大気の中を右に左にと動く風牙竜へ目を凝らす。  背に背をかばって四方を固めるモンスターハンターの周囲を、ベリオロスは不気味に旋回しながらその包囲を狭めつつあった。 「へへ、虎視眈々って感じだな。それよかオルカ! その剣斧」 「ええ……突然変形トリガーが。どうやら原因は不明ですけど、中のビンが圧縮されたみたいです」  オルカが両手で構える剣は今、刀身が白く輝いていた。発せられる光は熱くはなく、しかし強烈な煌めきで砂色一色の周囲を照らしている。それを上段に構えて腰を落としながら、オルカは油断なく目を凝らした。  周囲をぐるぐると周回するベリオロスの動きが、徐々に加速してゆく。 「オルカ、今のうちに回復を。みなさんも」 「その方がよさそうだね。アタシも調合しとくか……いや、来るっ!」  しばらく続くかに思われた膠着状態が、一瞬で静から動へと移り変わる。  モンスターハンター達の周りを回っていたベリオロスの動きが更に増してスピードを速め、徐々に残像を刻みながら無数に分身し始めた。同時に荒れ狂う風はいよいよ暴風となって容赦なく叩きつけ、オルカは耳にキン! と耳鳴りを感じる。  異変を感じた次の瞬間には、ふわりと四人の身体が浮かび上がっていた。 「ちぃ、野郎! こんな芸当ができるとはなっ」 「自ら大気の気圧を制御して、俺達を吸い上げようとしている……まずいっ!」  オルカが咄嗟に屈み込もうとした、次の瞬間に四人は空高く舞い上がっていた。夜空の星さえ見えない、砂塵で塗りつぶされた宙に放り出される。ベリオロスは自らの円運動で竜巻を産み、その中心のオルカ達をやすやすと無防備な空へ放り投げたのだ。  手足をばたつかせながらも、オルカは懸命に姿勢を制御して武器を構える。 「クソッタレ! 流石の俺様も、地面のないとこじゃ……グアッ!」  視界の隅に影が飛んだ。それは同時に、ウィルの噛み殺した悲鳴を風の向こう側へと連れ去る。  少し間が合って、遥か下の足元に砂煙があがった。 「ウィル!」  どうやらウィルがベリオロスに叩き落されたらしい。翼の爪を砕かれたとはいえ、無防備であがく人間に対して、空はベリオロスのフィールド。自在に舞うその強靭な巨躯が、次に狙いを定めたのは遥斗だった。 「遥斗、逃げて! くそっ、空中じゃ手も足も……遥斗っ!」  必死に太刀を握って振り回す遥斗は、今だ風に囚われ自由がきかずにもがいている。その華奢な矮躯は、重力に捕まって落ちることなく、何度も何度もベリオロスの牙に翻弄されてもてあそばれる。幾度と無く折れた牙を突き立てられ、その都度浮いてゆく遥斗の身体は、最後の一撃でウィル同様に大地へと叩き付けられた。  絶体絶命の危機に、オルカは絶望に抗う声を聞く。 「んにゃろっ、こちとらクシャルダオラだって狩ったことあんだからね……こんな風っ!」  宙を舞う木の葉のように、ノエルは右に左にと揺られながらも弓を構える。そんな彼女こそ次の獲物と、ベリオロスは大きく翼を翻すや飛びかかった。  だが、ノエルは迫るベリオロスへとつがえた矢を向け、力一杯弦を引き絞った。  風と風とがぶつかりせめぎあう、空気の断層を縫って矢がベリオロスへと突き刺さる。 「やった!?」 「ふふん、こちとら伊達にドンドルマでブイブイ言わせてないよっ」  ベリオロスの高機動が翼を止めて、オルカ達の周囲を包む乱気流が弱まる。  それでもベリオロスは僅かに身を揺らした後、次の矢をつかむノエルへと牙を剥いた。 「ノエルッ!」  瞬間、重力につかまりオルカは落下を始めた。目の前では今、巨大な風牙竜がノエルへと迫っている。  何か手はないのか? 人間はこの空中という狩場では、あまりに無力に過ぎた。だが、咄嗟の機転でオルカは握る光の刃を引き絞り……あろうことか、ベリオロスとは真逆の方向へ向けて固定する。  そしてオルカは、属性解放を念じてトリガーを刀身へと叩き込んだ。 「反動を利用して……翔べっ!」  不可思議なビンを内包した刀身が震えて、そのたゆたう光が暴力的な輝きと共に爆発する。  さながら尾を退く箒星のように、天駆する龍の如くオルカが空を飛んだ。闇夜と嵐を切り裂いて、流星となったオルカがノエルの前へと割り込み、そのまま身を弾丸にベリオロスへとぶち当たってゆく。もとより脆弱なユクモシリーズの防御力は悲鳴を上げて千切れ、ぱらぱらと砕けてゆく。それでも構わず、オルカは激痛に軋む全身でベリオロスの喉元へと体当たりを敢行した。 「オルカッ!」 「まだ、ビンが持つ……ならっ!」  握る剣斧はまだ、その刃から光を迸らせて属性解放に震えている。  オルカはそのまま、自由落下を初めてもみ合うベリオロスの巨躯へと、振りかぶってそれを叩き付けた。  直後、激震と同時に墜落して周囲を闇が覆う。 「や、やったか……はーっ、はーっ……信じられない、こんなことが、んぐっ!」  ぼんやり目を開けたオルカは、自分の上に落ちてきた質量で生きてることに気付いた。喉元をかっさばかれて絶命したベリオロスがクッションとなり、自分はどうやら助かったようだ。そして、その自分をクッションにして、落ちてきたノエルが尻をさすっている。 「いたた……あ、オルカ! 大丈夫、しっかり! ああもうっ、無茶をする……どこか痛い?」 「その、ノエルが、重い……」 「むっ! なんて言い草だい」  頬をふくらませてオルカから降りたノエルは、次の瞬間には足元に横たわるベリオロスを見て感嘆の溜息を零す。  柳の社に封じられし古文書が、風神と恐れた巨大な風牙竜は、オルカの咄嗟の機転で倒された。身動き不可能な空中にあって、スラッシュアクスの属性解放を推力に身体をぶつけるなど、誰もが思いもしない戦法だった筈だ。ベリオロスは圧倒的に優位な空中に過信した故に、自らの支配する狩場で狩られたのだ。  既に精魂尽き果てたオルカは、指一本動かせずに大の字で天を仰ぐ。  暴風の主を失った砂原の夜は、満天の星空でオルカ達を祝福してくれた。 「ノエル、俺のことよりみんなを……ウィルや遥斗を」 「おっと、その心配なら無用だぜ? 鍛え方が違うからなあ」  どしゃり、と砂をかきわけ立ち上がった姿が、視界の片隅で起き上がる。それは満身創痍ながらもニヤリと微笑むウィルだった。その手には、気を失った遥斗を抱き上げている。  ハプルシリーズの防具を着込んでたとはいえ、あの高さから落下して……オルカは驚きを禁じ得ない。遥斗は気を失っているが目立った外傷もなく、その矮躯を抱いて近づいてくるウィルの足取りはしっかりしたものだ。 「今度は是非、ノエルちゃんを抱き上げたいもんだな」 「お生憎様、アタシはそんなヘマはやらかさないよ。……まあ、今回はやばかったけど」 「それはそうと……オルカ、その剣斧」  オルカは言われて初めて、自分がまだ武器を握りしめていたことに気付く。右手は恐怖と緊張で硬直し、まだ固く閉じられていた。  だが、先程まで怪しげな光を放っていた刃を見てオルカも仲間達も息を飲む。 「こ、これは……」 「嘘、だってさっきまで光ってて、鋭い一撃でベリオロスを」 「……なるほど、面白いじゃねえか。な、オルカ?」  不良品のディーエッジがようやくオルカへ示した、秘めたる刃……それは今、錆びて朽ちたボロボロの刀身を夜空の星に晒していた。信じられない、先程までは眩しいくらいに神々しい光を放っていたのに。今はもう、その輝きが感じられない。  ただ錆びてボロボロの、刃をなすこともない鉄塊がそこにはあった。 「そんな……じゃあさっきのは」 「このベリオロスもそうだが、いわくつきの話が続くな。ま、ラッキーと思っときゃいいだろう」  そういってウィルは、思い出したように呟く。 「……これもまた封龍剣なのか? いや違う、あれはギルドと王立学術院で厳しく管理している筈」 「ウィル? どうしたんです?」 「い、いや、なんでもねえ! それよか遥斗を起こさないとな、起こさないと……ふむ!」  遥斗をゆっくりと横たえ下ろしながら、ウィルは僅かに鼻の両穴を広げて固まった。 「……男、なんだよな」 「男、ですけど」 「うーん、そうか……それはそれで」 「ウィル?」  ヘルムを脱がせて胸元を緩めてやると、眉根を寄せて遥斗が苦悶の表情を浮かべた。そしてゆっくりと開かれた瞳が、順にオルカを、ウィルを、そしてノエルを見詰めてゆく。少しの間をおいてようやく意識のある自分に気付いたらしく、彼は身を起こした。 「あれ、僕は……オルカ! 皆さんも! 無事ですか」 「お、おう」 「先程は遅れを取りました、でもっ! ヤッシーさんが言ってました、二乙からが狩りだと」 「あ、ああ……」 「僕達はまだ負けてはいません、すぐに狩りを再開しましょう!」 「そ、そうだなあ……その前に足元見ろよ、遥斗」  苦笑するオルカも地面を指さし、自分達の下に力なく広がるベリオロスを見下ろす。ようやくオルカにも実感が伴い、それが仲間達に伝搬してゆく。瞬間、オルカは遥斗とノエルに抱きつかれて、ウィルにポンポンと頭を撫でられた。  突如現れた風神はしかし、先立って倒された雷神と共に太古の封印を暴く……だが、そのことにはまだ誰も気付かなかった。