「それは災難でしたね」  厄海を望むタンジアの港で、ニコリと涼やかにアズラエルは微笑んだ。コウジンサイの怪我やオルカ達の必死の風牙竜討伐には表情も硬かったが、太古に封じられし古龍の復活には驚いた素振りも見せない。そして、全てをオルカが話し終えるや、ねぎらう笑顔で優しく言葉をかけてくれる。  オルカ達は混乱収まらぬユクモ村から、飛び去った古龍を追いかけタンジアの港まで戻ってきていた。  天の海へと泳いで消えた、嵐を纏い雷雨を従える災禍……今わかっているのは、木っ端微塵に砕かれた柳の社に残された文献から、その名がようやく解読できたということ。  アマツマガツチ――それが、古き軛を解き放たれた脅威の名。 「でもオルカ様、誰も命を落とすことがなくてよかったと私は思っています」 「はは、アズらしいなあ。こいつときたらかわいげなくてよ、ちっとも焦らず動じずうろたえずだ」  横で笑っているキヨノブなどは、オルカの報告を聞きながらハラハラドキドキと落ち着かなかったのだが。それも全てを話し終えた今はほがらかに笑みを浮べている。静かに凪いだ海を望むレストランで、三人は食事を取りながら情報を交換し合った。 「そういやオルカ、さっきのかわいこちゃんは新しい狩りの仲間かい? へへ、紹介しろよな!」 「ああ、ノエルと……も、もう一人は、その」 「そっか、ノエルちゃんってのか。いいねえ、健康美あふるる感じがよ。もう一人は……訳アリだな?」  キヨノブの目つきが僅かに鋭くなって、その眼光が冴え冴えと輝く。どこかおちゃらけた印象があるのに、キヨノブはその背後に数々の本性を隠していた。それはユクモ村での生活でよく知っているオルカだが、改めてその洞察力に感嘆させられる。  キヨノブは腕組みそっと声を潜めて囁いた。 「ちらと顔を見ただけだからよ、なんとも……でもありゃ、男だな?」 「ええ。ハルカは実は、その……本当の名は遥斗といって」 「遥斗……んー、たしか砌宮家にそういう名前の皇子がいたような」 「ちょっと事情があって、ユクモ村では正体を伏せてもらいました。彼は、記憶がないんです」  今までの簡単な経緯をオルカが話せば、キヨノブもアズラエルも額を寄せて頷いてくれる。オルカ自身、今まで秘密にしていた数々を知己に話せるのは心が軽くなって嬉しい。胸のつっかえが取れたように、霧が晴れて軽くなる気持ちが感じられた。  モガの島を取り巻く情勢やモガの村の事情、そして謎多きモガの森……二人は真剣に話を聞いてくれた。 「そういや聞いたことあるぜ。一部じゃ有名な話さ、モガの島を、孤島を巡る各国の駆け引きはよ」 「孤島は豊かな狩場です。資源も豊富ですし、多種多様の飛竜も魅力的ですね」  モンスターハンターが孤島と呼ぶ、モガの島の東に広がる豊かな狩猟場。そこには様々なモンスターが生息し、色とりどりの狩りが一年を通して営まれている。水獣や昆虫、特産物も豊富で、どこの国も所有権を主張してやまない。今でこそモガの村の自治のもと中立地帯となっているが……どこの国家も、自国の狩場として専有したいのが本音だ。 「それにしても古龍たあなあ……あいつら、なんなんだろうな」  ふと視線を外して、沖に建つ大灯台へとキヨノブが目線を逃がす。そうして目を細める彼の横顔は、野放図に伸びた髪がさらさらと潮風になびいていた。  古龍、それは既存の生態系とは一線を画する強力な攻性生物の総称。現代の科学で解明できぬ多くの謎をはらみ、どの進化の系譜にも連ならぬ万物の頂点。絶対強者として大自然に君臨する、大自然の摂理とさえ言われるモンスターだ。  オルカは過去、アズラエルとキヨノブが西シュレイド王国でラオシャオロンと戦った話を以前に聞いていた。それに、オルカ自身シキ国の砂海でジエン・モーランを狩った経験もある。古龍とは、人智を超えた存在……今でも、仲間達の協力があったとはいえ、あのジエン・モーランを討伐できたのが不思議でならない。それほどまでに古龍は恐ろしいのだ。 「先日、『月刊狩りに生きる』に古龍の特集がありました。私はそれを読んだのですが」 「面白いことでも書いてたか? アズ」 「ええ。古龍達は皆、太古の昔に人為的に作られた生物なのではないかと……突飛な話とは思いましたが」 「まあ、旧世紀の文明に関しては謎だらけだからな。なにがあっても驚かねえよ」  今は全てを忘却の彼方に沈めて消した、偉大なる太古の旧世紀文明。栄華と繁栄を極めた時代を、今は神話や伝承の中に僅かばかりその残滓を読み取ることができる。人類の英知は絶頂を極め、遥か星の海を渡り天の彼方までも征服したという。その時代、無から生命を作る御業さえあったと言われているのだ。  ふとオルカは、モガの森の魔女を……エルグリーズのことを思い出す。 「古龍との遭遇は死を意味します。必要がなければ、避けて通るのが定石でしょうが」 「その、アマツマガツチ? ってなあ、どこに飛び去ったんだろうな。ユクモ村が無事ならいいが」 「今、ミヅキさんとルナルさんで捜索してます」  そういえば、この土地にもかつて大きな災厄が訪れたという。その名残が今、この澄んだ蒼を称える内海に厄海という忌み名を残している。そして、友はこの地にまつわる不吉な予言ともとれる言葉を呟いていた。それは太古の昔より、その友人の里に伝わる古い言い伝え…… 「朱髪緋眼が紅蓮に燃える時、光炎の龍帝は厄海に蘇る……か」 「以前、サキネ様が言っていた、竜人の里の言い伝えですね。ああ、そういえばオルカ様」 「そうだ、忘れてたぜ。いいかオルカ、怒るなよ? 怒っちゃなんね、悪気はねえんだ。ほら、噂すれば」  その時、オルカは背後に気配を感じて振り返る。  そこには俯き加減できまり悪そうに立つ友の姿があった。豊かに過ぎる胸の起伏の、その谷間もあらわな着流し姿の美女がすらりとした長身痩躯を立たせている。名はサキネ、同じハンターでユクモ村からの仲間だ。 「ああ、サキネさん。今ちょうど話を……お久しぶりです。よかったら一緒にお昼を――」 「オルカ……すまんっ! すまない! すまなかった! 詫びても詫び切れぬ、申し訳ない!」  サキネはガバッ! と着物の裾を翻して、その場に土下座した。レストランの石畳に、額を押し付けて平身低頭だ。突然のことにオルカは、思わず言葉を失い硬直してしまった。  会う度一緒の時間は嬉しく親しいのに、こんなにも謝罪を述べられる覚えはない。  だが、事情をどうやらアズラエルとキヨノブは知っているようだ。 「オルカ様、先日私達が依頼を引き受けたのを覚えておいででしょうか」 「ああ、ケルビの角を集めてくれるって……暇な時でいいのに、だって二人共旅行に、遊びにきてるんですよね?」 「ええ、サキネ様は新婚旅行です。でも、身体が鈍るからと……私もご一緒して、二人で狩場に出ました」  ケルビとは、世界各地に住む草食獣である。刺激しなければ基本的には大人しく、その皮や肉は珍重されていた。なにより、頭に生えた角が薬品の材料として大事にされている。モガの村でもオルカに買い出しを頼むほどである。だが、あいにくと行商人が在庫を切らしていたため、オルカは友人達に採取を願い出たのだ。  そこまで思い出した時、ようやく床と一体化していたサキネが重い口を開いた。 「……すまない、オルカ。失敗してしまった……このサキネ、一生の不覚」 「へ? え、あ、ええと……ド、ドンマイですよサキネさん。そっか、サキネさんとアズさんでも失敗するのかあ」  二人共ベテランハンター、特にサキネは採取に関しては豊富な経験と知識を持つ。火山から渓流、水没林まで多種多様な狩場において、彼女の嗅覚は虫や鉱石の収集にとても敏感だ。小物のモンスターを手早く狩る術も手慣れたもので、ユクモ村時代はよく世話になったのをオルカは覚えている。  その彼女が、ケルビの角集めに失敗するというのは信じられない。  だが、狩りに絶対はない……そして、オルカに咎める気持ちは全くなかった。  ――次の話を聞いた瞬間には、咎めるのも忘れるほどに呆れてしまったが。 「その、あれなのだ、オルカ。……チヨマルの奴がな、かわいくて……ふふ、あはは」 「……話が見えてこないんですけど、サキネさん」 「うん、ちょうどアズラエルと狩りに出た日が……て、徹夜明けでな。それで」 「なにしてたんですか、そんな夜更かしして。あ! い、いえ、いいです! 言わなくていいです!」  だが、ようやく顔をあげたサキネはふにゃりと頬を緩めて締まらない顔ににやけた。 「うむ、チヨマルと子作りに励んでいたのだ!」 「やっぱり……」 「次の日は大事な狩りだからと、その日は早く床についたのだが……つい、その」  サキネは嬉し恥ずかしと頬を赤らめ、聞いてもいないし聞きたくもないのに喋り出す。アズラエルとキヨノブも苦笑を零して、やれやれと肩を竦めている有様だ。 「私の中で何度もチヨマルが、達して爆ぜた……それで私もつい、とめどなくせがんでしまってな」 「は、ははは……いえ、もういいです! こんな真昼間からサキネさん……ほら、回りも見てますし」 「う、うん。本当にすまない、オルカ。チヨマルに負けじと私もつい……それで、狩り場では体たらくを」  アズラエルが補足してくれたが、火山の裾野に出かけたものの、眼の下にクマを作ったサキネは精彩を欠いたらしい。ふらふらとケルビを追いかけては逃げられ、挙句息を切らして足腰が立たなかったらしい。 「その、チヨマルとのまぐわいに張り切りすぎてな……こ、腰が」 「……俺、なんかチヨマルさんが心配になってきましたよ」 「大丈夫だ! 少し絞り過ぎてしまったみたいだが、今は元気にしている。うん!」 「ほどほどにしてくださいよ? サキネさん、狩りには万全で挑まないと」  万全を期してなお、狩りに絶対というものはない。それを誰よりも知るサキネは、真面目に作った表情で頷いた。 「そういう訳でオルカ様、ケルビの角は私が行商人達の間を回って買っておきました」 「うわ、ごめんよアズさん。いくら? 村からお金を預かってきてるんだ、それで」  手早く精算を済ませて、アズラエルにちゃんと代金を渡すオルカ。後ほど宿の方から届けてくれるとアズラエルは微笑んだ。 「これででも、ルーンさんに頼まれた買い物は全部OK、と」 「まあ、私達は暫くタンジアでゆっくりする予定だ。また気軽に狩りを手伝わせて欲しいぞ、オルカ」 「私もキヨ様とこの港で過ごす予定です。ドンドルマの方は今、大きな古龍の襲来もありませんし」  そういえば、もう季節は寒冷期に差し掛かっている。地方にもよるが、この時期は狩りを控えるハンターが多い。比較的温かい南海のモガの島では、年中無縁の話だが。  それに、オルカは明日にはモガの島へ戻らなければと友に伝えた。  今も地震の恐怖に怯えるあの島に、狩らねばならない海竜がいるから。新たな仲間が自分を待っているから。