耳をつんざく咆哮。冷えきった耳朶を痛く突き刺すそれは、五体の自由を奪って凍土にハンター達を縛り付ける。  一狩り終えたオルカ達の前に今、色鮮やかな青いモンスターが絶叫していた。 「なっ……オルカ、あれはいったい! 初めて見る種です、雑貨屋の書物にもあんなものは――」 「落ち着きなって、遥斗。みんなもさ、大丈夫? いい、こゆ時はやること一つでしょ」  怯えて竦む遥斗とは対照的に、ノエルの声は震えながらも冷静だった。ドンドルマで鳴らした熟練ハンターらしく、彼女は毅然とした態度だ。その姿にオルカも、耳から手を放すや臨戦態勢で背の武器に手を回す。  だが、ノエルの一言は意外なものだった。 「やることは一つ……逃げるよっ!」 「え、ええーっ!」 「ほら遥斗、走った走った! オルカもヤッシーもダッシュ!」  言うが早いか、ノエルは弓をたたんで背負いながら走り出した。夜詩も「ヤッシーではない、夜詩だ!」とお決まりの文句を置き去りに駆け出す。ぽかんとする遥斗の手を引いて、オルカも気付けば後に続いていた。  その背後では、オルカ達に倍する速度で新種の獣竜が迫り来る。  そう、ドボルベルグやボルボロスのような獣竜種にオルカには見えた。 「オルカ、ノエルさんもヤッシーさんも! たっ、戦わないんですか? 僕達はモンスターハンターでは」 「あのね、遥斗。知らない奴と戦える? あたしはあれを初めて見る、何も知らない。遥斗は?」 「僕だって初めてで、でも背を見せるのは」 「蛮勇は許さないかんね? 勇敢に死ぬより、泥臭くても無様でも生きて帰る! 違う?」  オルカも同感だ。既にギルドで依頼を受けた氷牙竜ベリオロスの討伐は達成している。ここで危険を犯して新手と戦う必要もない。安全な場所まで逃げて、ギルドへ帰還の信号弾を打ち上げればクエスト完了だ。上位クエストと呼ばれるこの地域では、支給品の到着も遅れている。物資が不足してる上に、全く情報のない未知のモンスター……不安要素が多過ぎた。  ノエルは迫る巨体が不自由する林へと逃げ込み、その奥で大樹の影に身を潜めた。オルカも遥斗と共に、その横へと滑りこむ。夜詩が最後にヘッドスライディングで滑りこんで、アグナシリーズの防具で雪をジュウと溶かしていた。  現れた新種の獣竜は、林の入り口で乱立する樹木に巨体を阻まれ右往左往していた。 「ふう、まずはひとごこち……さて、どうしよっか?」  形良いおとがいに光る汗の玉を拭って、ノエルはヘルムを一度脱いで頭をふる。汗を吸った髪がふわりと舞って、それを手で梳きながら彼女は木の影から様子を伺った。恐る恐るオルカもそれにならって、件の荒ぶる獣をじっと見詰める。 「種別的には獣竜種だろうね。でも、初めて見る。オルカ、見て……あの前肢。妙じゃない?」 「それと頭角も。あそこだけ色が……なんだろう、手には爪も指もないなんて」  疑問を口にしてオルカは、改めて不可思議な新種をまじまじと見詰めた。  その巨体はドボルベルグ程ではないが、この雪原で接敵するモンスターの中では群を抜く大きさだ。鮮やかな青色の体躯は、黒曜石を思わせる光沢を湛えている。そんな中で、額にコブのように突き出た角と両の前肢とが、鮮やかな緑色をたたえていた。  注意深く観察の目を凝らしていると、新種はその特徴的な頭角を突如雪の大地へと突き立てた。 「……嫌な予感がするよ、オルカ」 「同感、俺もさ。遥斗! ヤッシーさんも! 逃げましょう」  次の瞬間、雪原から林へと続く雪が爆ぜた。爆風が雪煙を巻き上げながら、真っ直ぐ木々を薙ぎ倒してオルカ達へ迫る。あっという間に、モンスターの行く手を遮りオルカ達を隠す林は焼き払われた。  生命の危機を感じる一方で、オルカは別種の感情が胸の奥に沸き立つのを感じる。  自分でも愚かなと笑いながらも、気付けば手は武器を握っていた。 「遥斗、大丈夫かい? 信号弾、持ってるね? 安全なところまで逃げたら、ギルドに連絡を」 「は、はい。オルカはなにを……まさか!」 「そのまさかさ。つい、ね……思うんだ。つくづく因果な商売だって。でも、家業だから」  ――俺はハンター、モンスターハンターだから。  気付けば走りだすオルカは、的確な射撃で矢が雪原を切り裂くのを見た。強敵と見れば、狩りたいという衝動が抑えられない。それは狩人の本能だろうか? だが、先程まで撤退を前提にしていたノエルの援護に、オルカは気勢を叫んでスラッシュアックスを展開するや斬りかかる。  斬った感触が手に伝わって、短い悲鳴がダメージの貫通を教えてくれる。  未知の新種は同じ生物、この凍土に生きる命。ならば摂理が両者に与える生と死の分水嶺はいつだって同じだ。  すなわち、狩るか狩られるか。 「ダメージが通るっ、肉質はそこまで固くはない……ノエルッ! 支援を頼む!」 「あいよっ! やれやれ、結局こうなんだから。ふふ、でもそこがまた、オルカの……ま、いいさ。付き合うっ!」  オルカは全身の筋肉を躍動させて狩斧を振る。複雑な変形機構と強度を両立させるべく、スラッシュアクスは基本的には重量の重い武器として運用されていた。だが、スラッシュアックスの使い手はそれを両手に走り、転がりまわって、自由自在に振り回すのだ。 「少年、さあ今のうちに! ベースキャンプまで逃げれば大丈夫だ。オレは君の無事を守り戦おう! 友と共に!」  夜詩もまたスラッシュアクスを展開、同時に瞬発力を爆発させてオルカの隣へ飛び込んでくる。アグナシリーズの防具が夜詩の闘志を吸い込んで、周囲に舞い散る雪煙を蒸発させながら雲を引いた。  だが、その時新種の獣竜は、並み居るモンスターハンター達を前に後退りした。 「オレに恐れをなしたか! ええい下がるな! 下がるならば……追うのみっ!」 「まって、ヤッシーさん。おかしい……あれだけ野生の闘争心を剥き出しにして、なぜ?」 「ヤッシーではない、夜詩だ! ふむ……見ろ、さらに下がるぞ」  獰猛な呼気を荒げて唸りつつも、新種はずりずりと背後へ後ずさってゆく。  その時オルカは見逃さなかった。新種が自らの両の手へと舌を這わせているのを。そして、無骨な鉄塊のごとき掌が、ぬらぬらと輝くエメラルドの光沢に包まれてゆくのを。 「みんな、なにか仕掛けてくる気だ。注意を!」  オルカが叫んだその瞬間、新種は地を蹴り跳躍した。その巨体が嘘のように全身をバネに、天へと舞った次の瞬間には、弱々しい太陽の光を遮りオルカ達の頭上に降ってくる。慌てて転げたオルカは、背後で巨大な爆発の火柱が上がるのを見た。 「なっ、なんだ!? 突然、攻撃が……お、怒ってるのか! ……ヤッシーさん!」  直撃を受けて転げまわる夜詩は、すぐさま立ち上がって武器を構える。油断なく相手を見据えて距離をとりながらも、冷静に自分の立ち位置を安全優先で探して動いている。それは間違いなく、熟練ハンターの動きだ。これが素人や初心者なら、パニックに慌てふためきポーチの回復薬をまさぐってしまうのだ。そうして傷の痛みと恐怖にかられながら回復薬を飲み、その一時的な効能で痛みを忘れた隙を再び叩かれ傷つく。その繰り返しの悪循環に気付かないハンターは、多くが生き残れない者として散ってゆくのだ。  だが、最後尾で震える遥斗の声が響く。 「ヤッシーさん、か、身体が!」 「ん? ああ、少年! オレは大丈夫だ、強いからな。これしきのこと……ん? なんだ、このネバネバは」  夜詩の身体に先程の光沢がまとわりつき、そのぬらぬらと怪しく揺らめく輝きで包んでいた。それは拭い去ろうとする夜詩の手にもまとわりつき、次第に黄色から赤へと変色して……そして、爆発。夜詩の身体を吹き飛ばして撃発した。 「あれは爆発物の類! ちぃ、厄介な……ふふ」 「ちょっとちょっと、オルカ? なんかニヤけてるんですけど?」 「あ、ごめんノエル。……面白いな、って。これを狩れたら、素敵だと思わないかい?」  オルカの言葉に、ノエルは不意に表情を失い絶句。だが、気付けば不敵に笑っていたオルカを前に、急に赤くなって俯いた。 「ああもう、バカッ! バカバカ、ハンターバカ! くっそー、付き合っちゃる、絶対付き合う!」 「サンキュ、じゃあ……次は俺達の番だ!」  先程の劇薬、恐らく粘菌か何かだろう。それを両手に再び塗りたくって、新種の獣竜はいやらしいナナメの動きでスライドしてゆく。それはあたかも、ノエルの放つ矢を避けるようだ。だが、逆だ……ノエルが矢の弾道で新種を追い詰めているのだ。  真っ直ぐオルカが走る先へと。  オルカはスラッシュアクスの変形ボタンを押し込むと同時に、馳せる己の肉体を燃焼させた。血管内を行き交う酸素が爆発して、限界を超えた動きでオルカはトップスピードに乗るや突っ込んでゆく。  迎え撃つ新種は、どしりと両の手を大地について、雪の中へと再び頭角を突き立てた。あの爆発がくる……そう思った次の瞬間、オルカを追い越す影があった。疾風の如く馳せる矮躯が、抜刀と同時に太刀を引き絞って地を蹴る。 「お手伝いしますっ、オルカッ! 僕は臆病者だ……でもっ、卑怯者じゃない! 仲間を置いて、帰れるものかぁ!」  ぼんやりと光り出した雪原のアチコチが、巨大な爆発を連鎖させて膨らませる。その中で遥斗の斬撃が、新種の持ち上がる頭を縦に割った。激しい衝撃音と共に、金属がよじれてへし折れる音が響く。それでも真っ直ぐ走るオルカの頬を、折れて舞った太刀の切っ先が掠めた。頬を裂いて流れる血は熱く、凍土の寒風に拭われながら赤く凍って散った。  オルカは怯んだ新種の真正面へと、横薙ぎに全力の一撃をお見舞いする。 「いよぉし、オルカ! オレと呼吸を合わせるのだ! 二人のビンの圧縮濃度を限界にもってゆく」 「ええ! 畳み掛けましょう。これで駄目なら逃げるしか……属性解放っ!」  ガシュン! と剣の中に圧縮されたビンの劇薬が化学反応の音を立てる。そしてオルカは、同じ音を新種の向こう側に聞いた。  夜詩はダメージから回復するや、回りこんで背後をついていたのだ。  二人は挟撃の形で前後から、属性解放で光の刃とかした剣を叩き付ける。眩い光が膨れて爆ぜ、苦しげに身悶える新種を挟み込んで光芒を膨らませた。その強力な衝撃に耐えながらも、オルカはちらりと遥斗の姿を探す。先ほど露払いの一撃で太刀を折られた彼は、視界の隅でネコタクに乗って運ばれていた。  その傷付き倒れて動かない姿を見た時、オルカの全身が熱く燃えたぎって血潮が逆巻く。 「これで決めるっ! 属性解放、出力最大っ! リミッター解除……!」  刀身が悲鳴を歌ってガタガタと震え、いよいよ搾り出される光が爆発的に膨れ上がってゆく。  手の内で武器が木っ端微塵になるのと同時に、オルカの目の前に巨大な獣竜が倒れ込んできた。ドシャリと雪煙を巻き上げ、倒れた躯体は高熱で水たまりを広げてゆく。  それが人類が初めて遭遇した恐るべき黒曜石の魔獣、砕竜ブラキディオスとの死闘だった。  オルカの持つスラッシュアクス、ランドグリーズは無茶と無理で酷使した結果、修復不能なレベルになってしまったのだった。