狩りの武具に身を固めたオルカ達が、狩場へと飛び出すのにそう時間はかからなかった。  今日も孤島と呼ばれる狩場では、あちこちで外から訪れたモンスターハンターが採取に討伐にと狩りに勤しんでいる。その中を駆け抜け急いて走れば、オルカの不安を代弁するかのように背中で武器がガチャガチャと鳴った。  オルカは先日、愛用のランドグリーズを壊してしまった。  それで再び、この変形機構に不具合のあるディーエッジの出番になったのだ。今は出発直前に工房に駆け込み、突貫工事で強化してもらったのでディーブレイクへと変貌を遂げている。だが、やはり工房の老技師も言っていたが、その内部に秘められたスラッシュモード時の刃は市販品とは全く形状が異る。その異様な、一度見たら忘れぬ禍々しい刀身をオルカも覚えてはいるが、変形レバーを通じての召還にその鋭さは一度足りとも応えてはくれなかった。 「オルカ、遥斗も! こっちこっち、早く! ウィルの奴、先走らなきゃいいけど」  先頭を走るノエルが、肩越しに振り返りながらも足場の不安定な岩場を走破してゆく。  風に紛れて消える不安げな呟きに、内心オルカは安心の言葉を返していた。  ウォーレン・アウルスバーグは熟練のモンスターハンター、百戦錬磨の傭兵団《鉄騎》で百人隊長を務める強者だ。おどけて軽薄な言動とは裏腹に、狩場では卓越した知性と胆力を魅せつけてくれることがある。そう、オルカでも思わず惚れ惚れするくらいに鮮やかな手並みを秘めているのだ。本人は「能ある鷹は爪を隠すのさ」と嘯いて、暇があれば日がな一日釣り三昧だが。  そして視界が開けると、オルカが想像した通りの豪胆なウィルの姿が目に飛び込んでくる。  否……オルカの想像を裏切る常識の埒外がその場に広がっていた。 「ウィルッ! 手伝いに、きた……ん、だけ、ど……ええと、なにしてるの?」 「よ、オルカ! 遥斗と来たか、他はおおかた海側で待ち伏せってとこか。見てわからねえか?」  見てわからないから発した言葉へと、一目で知れとウィルが笑う。  だが、そんな彼を取り巻く空気は不可解で不思議な異世界だった。  なんと、身をたたんでとぐろを巻き眠る海竜ラギアクルスを前に……ウィルは酒を飲んでいるのだ。 「ウィルさん! お酒なんで飲んでる場合ですかっ! ノエルさんも、オルカもそう思うでしょう!」 「まあ、そう騒ぎなさんな。コイツが起きちまう。遥斗、お前もどうだ?」  ウィルはどこから持ち込んだのか、巨大なとっくりから茶碗に酒を注いでいる。モガの村で作られている蒸留酒だ。呆れた様子で肩をすくめるノエルに、「お酌してくんねえ? ……よなあ、ハハハ」とウィルは上機嫌だ。  だが、落胆に緊張感を霧散させる遥斗と違い、オルカには少しわかる気がした。  だからウィルの前にどっかと腰を下ろすと、ポーチから自分のマグカップを取り出す。モンスターハンターは狩りともなれば丸一日山野に分け入り自然に溶け込む。だから、誰でも大なり小なり必要な小物は持ち歩く習慣があった。それがたまたま、ウィルにとっては酒だったということなのかもしれない。 「一杯だけもらえますか、ウィル」 「お、話がわかるねえオルカ! まあ飲め」 「いただきます」  なみなみと注がれた酒を手に、オルカはウィルと乾杯を交わす。  そうして一口酒で唇を湿らせてから、改めて目の前にそびえる巨躯を見上げた。  そこには、モガの村の村長が雷公と恐れる近海の王の姿があった。  巨大な海竜ラギアクルスが、蒼に輝く鱗を陽光へと晒して眠りこけている。まさしく王の威厳……大海原を制するこの島の主は今、大胆不敵にもモンスターハンター達の庭である狩場で身を安らげているのだ。その挑発的とも取れる大胆不敵な姿にも仰天だが、その威風堂々に対するウィルにも頭が下がる。  並のモンスターハンターならば、これぞ好機とタル爆弾を置く者、大剣使いを呼んで抜刀と同時に畳み掛けようとする者が大半だろう。だが、ウィルは雷公にどうやら畏怖と畏敬の念を禁じ得ないらしい。だから、ただ黙って酒を飲んでいたのだ。 「で、ウィル。どうするんだい? ……勝算は?」 「やってみねえと、どうにもな。俺もこの目で見るまで侮ってたさ。だが見ろ、このデカブツを」  杯をあおりながらも、ウィルは上げた拳の親指でラギアクルスをさす。そこには圧倒的な存在感で距離感を狂わせ、自分を中心に絶景を広げている海竜のいびきが響き渡っていた。 「いかに強大な竜といえど、狩らねばなりません! さあオルカ、ウィルさんも!」  先ほどから待ちきれないのか、遥斗はもどかしげに太刀を手に足踏みをしている。だが、ウィルはその重い腰をあげるどころか、手酌でちびちびと酒を飲みながら、見惚れたようにラギアクルスへ目を細めていた。 「なにをやってるんですか、この非常時に!」 「……ま、しゃーないかあ。こんだけの大物だしね。正直、どう狩ったものかと思うよ、アタシも」  逸る遥斗を尻目に、ノエルも器を取り出し軽く拭き取って、オルカの隣へと腰を下ろした。ウィルがとっくりを傾ければ、ノエルの慎ましい茶碗にもなみなみと酒が満たされる。 「にしても、お手上げと知るや酒飲みだすかね、普通。オルカもオルカだよっ!」 「ハッハッハ、そう言うなよノエルちゃん。お前さんだって飲んでるじゃんかよ」 「付き合い程度にね。でもさ、この図体見たら飲みたくもなるよ。……これ、勝てるのかな」  目の前の巨体は小山程もあり、海竜種の常識を外れた大きさだ。見事な艶と光沢で輝くのは、大海の荒波で鍛えあげられた甲皮と鱗だ。並の刀剣ならば恐らく、刃を弾くばかりか砕いてしまうだろう。強靭な四肢は逞しく、頭部には立派な角が生えている。オルカも実際の海竜ラギアクルスをこうしてまじまじと見るのは初めてだ。同時に、以前海中にて遭遇した時の恐怖が込み上げる。  そして、同時に胸中へ浮かぶ疑問をウィルが口にした。 「さてクエスチョンだ。こいつは海竜ラギアクルス、この近海の王……雷公ラギアクルスだ」 「それ知ってる。……ぷあっ! 昼から一杯っていいね、ウィル。おかわりっ!」 「人の酒だと思ってこいつー、こんど身体で返せよ? 夜にな?」 「はいはい、それで? なにが言いたいかはわかってんだから。さっさと続き、謳っちゃいなって」  ついにはウィルの手からとっくりをひったくり、ノエルは上機嫌で二杯目を飲みだした。渋々腰を下ろした遥斗も、今はオルカの隣で酒をちびちびと舐めている。  ノエルが酌をしてやると、上機嫌でウィルは不敵な笑みを浮かべた。 「どうしてこいつは、自らの絶対聖域である海を出た? この陸地で、俺達の狩場でなにをしている?」 「そ、それがわかったら苦労はしませんよ、ウィルさん。なにか意味があるんですか?」  質問に質問を返した遥斗は、もう顔が赤くなっている。  だが、その酒気を帯びてほのかに上気した小顔が、オルカの言葉であっという間に真っ青になった。 「俺は思うんだけど、これは……挑戦、じゃないかな」  オルカの言葉に満足気にウィルが頷いた。察していたようで、やれやれとノエルが嫌そうに首を振る。だが、その少女の目は好奇心で爛々と輝いていた。 「そうだ、これは俺達モンスターハンターに対する挑戦だ。と、俺は思った訳よ」 「それとウィル、このお酒とどう繋がるんですか?」 「遥斗、お前さんももちっと大きくなったらわからあな。そうさな……俺ぁ、飲まずにはいられんぜ」  ウィルは嬉しそうに茶碗をかざして、その向こうにラギアクルスを見詰める。  その瞳には、獰猛な肉食獣の如き強い光ではなく、慈しむような温かい光が揺れていた。 「自らのテリトリーを出て、王様が単身俺等を誘ってやがる……やれるもんならやってみろ、ってな」 「そんな……ラギアクルスにそんな知性が?」 「いんや? そういう話じゃねえよ、遥斗……俺にはそう感じるのさ。感じるだけで、十分って話だ!」  突如、穏やかに凪いでいた場の空気が一変した。飲み干した杯を放り投げるなり、ウィルが抜刀と同時に立ち上がる。しっかりと大地を掴む両足を開いて立ち、その手には雌雄一対の双剣が輝いた。火竜の息吹を宿したツガイの刃の向こうで、雷公と呼ばれた恐るべき竜のまぶたが持ち上がった。  巨大な宝玉の如き瞳がぎょろりと動き、場に集った四人の狩人を睥睨する。 「さあ、俺等の商売を始めようぜ? 次に飲む酒は勝利の美酒だ……悪いがマジでいかせてもらう」 「オッケー、ウィル。付き合うよ。オルカ! 遥斗をちゃんと見ててね」  ノエルもまた立ち上がると、背の弓を展開するや矢筒から矢を引き抜いた。  オルカにもわかっていたし、感じてもいた。モンスターハンターは大なり小なり、獲物であるモンスターへ敬意を感じることがある。まして竜ともなれば、それに対峙する自分の小ささを否が応にも思い知らされるのだ。しかし卑屈になるのも忘れるほどに、屈強な竜達はどれも気高く美しい。大自然が自らの荘厳な美に意思を込めて凝縮したかのよう。竜達は空を征し、陸を統べ、海をも支配するのだ。  そんな大自然の脅威に立ち向かう自分を、仲間をオルカもまた誇らしく思うことがある。  ウィルのようにわびさびを感じて雅に酒盛りを初める気持ちが、わからなくもない。  だが、オルカの感じる敬意の表現はもっとシンプルだ。彼の身の内から込み上げる衝動は今、探究心と好奇心を連鎖させて激しく燃えたぎっている。すなわち……狩るか狩られるか、そして狩れるのか。 「遥斗、きみの太刀の爆破属性に期待してるよ。角を頼む」 「はいっ! 任せてください、オルカ。……でも、オルカはその武器では」 「斧形態だけでも戦い様はあるさ。俺のことより自分の心配、いいね? 背中は……そうだ、背中だ」  オルカ達の目の前で、そそり立つ巨躯が殺気を巡らせ持ち上がった。完全に見下ろす人間を獲物と見定め、海神の化身が吠え荒ぶ。その絶叫に耳を塞ぎながらも、よろず屋で書物を読み、週刊狩りに生きるのバックナンバーを漁った記憶をオルカは動員する。  確か、ラギアクルス最強の武器は……その水晶のように輝き屹立する背中の突起体。鱗の一部が劇的に進化したその部位は、剣士では手の届かない場所にある。まして目の前の雷公は、オーバークラウンサイズは確実と思える巨体だ。  そう、背中の器官を用いてラギアクルスは恐るべき攻撃をしかけてくる。  その警戒を呼びかけようとした瞬間、オルカの目の前で空気が爆縮して空間が烈波に弾け飛んだ。