モガの村のモンスターハンター達を襲った、手痛い敗北。雷公ラギアクルスは、圧倒的な力の差を見せつけ、絶望を心の奥深くへと刻みつけた。……かに見えた。  だが、往々にしてモンスターハンターとは未知の脅威、条理の埒外に耐性を持っている。  なにより、自分達よりも強大な敵をこそ獲物として求める気質があって、オルカも例外ではなかった。 「くっ、やはり水の中では……遥斗、もう一潜りだ。今度は息が続く限り攻めてみよう」 「はい、オルカッ! かなり弱らせたと思うのですが」  浅瀬に程近い水面に、顔を出すのは風牙竜と氷牙竜。同じ意匠の違う色を着こなす二人のモンスターハンターは、久方ぶりに触れる空気を胸いっぱいに吸い込んだ。呼吸を整え再度潜ろうとする、その海底から巨大な影が浮上する。  瞬く間に波は荒れて、オルカと遥斗は互いに立ち泳ぎでその場に留まろうともがく。  天へと水柱が昇って、蒼空に浮かぶ太陽を喰む勢いで巨影が日光を遮った。 「まずい、落下してくる! あんな攻撃まで……やはり、水の中は奴らの……モンスターのフィールドッ!」  オルカは奥歯を噛みつつも、急いで回避運動に水をかく。だが、鍛えあげられた肉体は思うように進まず、無駄な贅肉のない五体が嫌に重い。そしてそれは、傍らでもがく遥斗も同じようだった。 「オルカ、ガノトトスが降ってきます! 早く逃げないと……陸地ならばこんな」  今日の獲物は水竜ガノトトス。その巨体と圧倒的なパワーで、人知を寄せ付けぬ脅威としてこの海域に君臨している。モガの島で目撃報告が、次いで村のギルド受付カウンターへ討伐依頼が舞い込んだのはつい先日だ。まるでそう、人間達が偉大な海竜へ敗北したことを知っているかのように……大自然は今、モガの村の周囲でじりじりと生存権を奪い返そうとしているようにも見える。  オルカは自分達を包む影が次第に大きくなる中、すぐ背後で着水の轟音を聞いて飲み込まれる。  荒れ狂う海水の質量に翻弄されながら、オルカは遥斗の悲鳴が遠ざかるのを聞いた。 「遥斗っ! ビンの圧縮は……駄目だ、やっぱりなんの反応もない。さらに強化してもダメか!」  オルカが背負う武器は今、さらなる強化でソルブレイカーになっていた。だが、今持って変形不能の謎は解明できないままで、最近の狩りではアックスモードしか使用できていない。あの強力な風牙竜と対峙した際の、眩い輝きが発動することはなかった。  舌打ちを零しながらも、オルカは懸命に泳ぐ。  その背後へと、遥斗をベースキャンプ送りにした魚影が高速で近付いていた。 「オルカ、回避に専念。水中戦の基本だ、上下も使って逃げるんだ。三次元的な動きを考えろ」  その声は静かなのに、凛として耳に響く。  熟練の古参狩人、モガの村のハンター頭であるルーンだ。彼女は大剣の重さも苦にせず、波に逆らいガノトトスへと泳いでゆく。その漆黒を纏って光を吸い込む防具は、迅竜ナルガクルガの素材によって作られた逸品だ。隠密性に優れた機動力重視の防具で、軽量さゆえに防御力は高い方ではないが、抜群の運動性を誇る。  その証拠に、音も立てずに泳ぐルーンに、ガノトトスは全く気付いていない。 「なるほど、隠密効果の高い防具とは聞いてたけど。っと、俺はまずは、回避っ!」  ガノトトスが巨大な頭部を水面へともたげた、その姿を目視した瞬間にオルカは息を吸い込み水へと潜る。  ガノトトスはその巨体そのものが強力な武器だが、最も恐るべきはその攻撃方法だ。大質量を高速でぶつけてくる水中戦は、地上の何倍も危険度が高い。そして、場所を選ばずガノトトスが発するブレスもまた、一撃必殺の威力を秘めている。  低く喉を鳴らすガノトトスの体内で、潜水用のバラストとして溜め込まれた海水が高圧縮されてゆく。  その気配を背後に拾いながら、ひたすらにオルカは海の底を目指した。 「っ! ……危ない、今のが当たればひとたまりもない。ルーンは?」  海の底でターンを決めて上下を入れ替えると、オルカはすぐ近くを擦過した水の刃に肝を冷やす。  ガノトトスの最強最大の武器、それは口から発せられるブレスだ。火竜種が放つ超高熱の火球とは違い、ガノトトスから放たれるのは海水、ないしは淡水だ。だが。ただの水だと思って甘く見ると痛い目を見る。ガノトトスの強靭な肺活量で超圧縮された水は、その水圧を保ったまま細く長く放たれるのだ  強力な個体ともなれば、放たれる水で鋼をも切り裂き、ドラグライトやカブレライトといった鉱石の合金でも用意に切断するという。鋭利な断面を記録した書物を、以前オルカは雑貨屋の女将から買い揃えて仲間達と呼んだのを思い出す。  だが、ピンチはチャンス……振り返るオルカの視界で、ブレスを放った直後のガノトトスに黒い影が襲い掛かる。  今こそ反撃の時と、オルカも続くべくスタミナを発揮する。 (オルカ、翼膜を頼む。背ビレは任せてもらおう)  小さく手振りと指先で語りかけてから、器用に泳ぐルーンが増速した。そのままガノトトスの背へと、気配を殺して剣を振りかぶる。抜き身の巨大な刃は、雷狼竜ジンオウガの高電殻を爪と角で飾った業物だ。その複雑な変形機構が展開して、鋏のようにピタリと閉じて剣になる。そのまま静かに舞い降りるルーンの一撃が、迅雷となって背ビレを木っ端微塵に砕いた。  暴れまわっていたガノトトスが大きく揺れて、身動ぎしながらジタバタと水中でのたうち回る。  その隙を逃すオルカではない……あっという間に肉薄するや、上下に激しく揺れる翼へと斧を振り落とす。 (いいぞオルカ、反撃に注意しつつ部位破壊を。水中でのダメージは気絶しやすい、なにせ空気がないからな)  目配せで頷きつつ指信号を送るルーンは、普段より少し饒舌なのがオルカにはおかしい。この妙齢のベテランハンターは、モガの村で長らく暮らしてきただけあって泳ぎが達者で、水中の狩りにも卓越した腕前を発揮する。彼女は器用にスイと身を波間に流して、剣の重さで潜りながらガノトトスの流線型に沿って泳ぐや、頭部へも痛撃を振り下ろした。  まるで彼女自身が、付かず離れず獲物を駆り立てる迅竜の化身にオルカには見えた。  一転しての攻勢で畳み掛け、このまま押し切ろうとした狩りの終盤に、その声がめいいっぱい反響しながら降ってくる。 「皆さんっ! お待たせっ、しましたあああああっ! じゃっぼーん!」  歓声をあげてオルカの目の前に、長身痩躯の赤髪が飛び込んできた。気泡をまとって長い長い髪をゆるゆると流す、アオアシラの防具を着込んだ女ハンターはエルグリーズだ。彼女は今、手に長大な機械槍と盾を携えている。 「オルカ、ルーンも! お手伝いに来ました! ……あれ、遥斗は、モガッ! い、息が、息がゲバグバ、グベェ!」  颯爽と登場したのはいいが、エルグリーズは周囲を見渡し大見得を切ったところで……水中であることを思い出したかのように、ボゴンと体中の空気を発散した後に溺れだした。呆れたオルカだったが、やれやれと彼女の手を引き手近な岩へと引き寄せる。かつての海底隆起の名残で、モガの島近海には空気が染み出す岩礁地帯が海岸線に沿って点在してた。  空気の泡の中へとエルグリーズを引っ張り込み、自らも息を整えつつオルカは溜息を一つ。 「エル、大丈夫かい?」 「だっ、ダメです! 水の底なのを忘れてました、溺れそうで……あ、あれ? 息、できますね!」 「……空気が吹き出してるからね、ここ」 「はい、こういうポイントが沢山あるのも忘れてました。さあ、ガノトトスを狩りましょう!」 「あ、ああ、うん」 「採取で忙しくて遅れましたが、エルもお手伝いしますっ! エル、得意なんですよ? 尻尾を切ったり」 「あの尾は切れないかな、ちょっと。大き過ぎるし」 「じゃあ、やっつけましょう! それとも捕獲しますか? とにかく狩猟しましょう、そうしましょう!」  やたらとテンションが高いエルグリーズは、酸素の補給が終わるや、トンと軽く水を蹴った。  瞬間、乱れる灼髪を篝火のように燃やして、その姿はガノトトスへと吸い込まれてゆく。片手で器用に、中折れ式のガンランスを展開と同時にリロード、そのまま装填が終えた穂先を突き出してエルグリーズは泳ぐ。その突進を追いながら、ふとオルカは彼女との狩りが初めてなのに気付いた。  モガの森の魔女のお手並み拝見と、自身もまたスラッシュアクスを握り直す。 「ルーン! ルーン、ルーン、ルーン! 手伝いに来ました、手伝いに……ゲファ!?」  死に物狂いで暴れるガノトトスの尾や噛み付きを、紙一重で避けつつ剣を振るうルーン。その背へと語りかけて再び空気を失ったエルグリーズに、オルカは思わず頭痛を感じた。  だが、白い泡を吹きながらもエルグリーズは突進をやめず、ガノトトスに正面から突貫した。  そのまま一撃を貫き通して、その眉間へ深々とガンランスを突き立てる。 (水の中なの、忘れ直してました! さあ、やっつけますよお!)  いちいち身振り手振りで喋らなくてもいいのに、エルグリーズは振り返ってニコニコと期待の眼差し。  ぎこちなくオルカが手を振ってやると、彼女の満面の笑みはことさら眩く輝きだした。  そのまま突き刺したガンランスをことさら強く押し出し、同時にトリガーを引き絞る。 (ではっ! これでトドメですっ……せぇ、のぉーっ! ドッカーン!)  全弾発射を命じられて、通常型と思しき簡素なガンランスは、装填されたありったけの炸薬を吐き出した。強烈は砲火を頭の内側で爆ぜさせて、ビクビクと痙攣するガノトトスが静かになる。その巨体はやがて力なく伸びきって、ぷかりと水面へ浮上を始めた。  狩りの作法は酷く不手際だが、エルグリーズは一発でガノトトスの急所を貫き、そこに全火力を叩きつけたのだ。  狙ってやったのか天然なのか、はたまたそれ以前にド天然なのか……オルカには判断しかねるが、狩りの結果は今自分の前に浮かんでいる。それを追って浮かび上がり、剥ぎ取りナイフを手に巨体へよじ登ったオルカは、すぐ隣に子供のような笑みを見る。 「見てくれましたか、オルカッ! ルーンも! このガンランスというのは便利ですね」 「ああ、見た見た。見ていた。見飽きたからエル、さっさと剥ぎ取るんだ。さ、オルカも」 「え、ええ」  心底呆れ返った様子のルーンもしかし、そのクールな無表情の隅っこに笑みが浮かんでいる。そんなルーンにじゃれつくように、エルグリーズは頭一つは大きな痩身を寄せてあーだこーだと喋り続けていた。 「ルーン、エルはやっぱりガンランスがいいみたいです! 大剣もトンカチもピッケルもいいですけど、これですねえ!」 「ピッケルは武器じゃないぞ、エル。……まあ、お前の一番の商売道具だろうが」 「はいっ! この間もルーンが、ええと、捕獲報酬? というのをくれたので」 「ちゃんと言った通りに貯金しているか? 素材はある程度だけ手元において、残りは」 「売って換金、ですよね! エル、ピッケルたっくさん買えました!」  眉をひそめるルーンの苦笑が、オルカにも向けられる。その笑みもどこか手のかかる子供に向けられる温かさがあって、オルカは肩を潜めてみせた。  モガの村のハンター達はまだ、完全に敗北してはいない……負けて尚、折れぬ心を鍛え続けていた。