その日、オルカは休息を取る予定だった。今まで集めた素材を整理し、不足している薬品の調合などして過ごそうと決めていた。やはり例のソルブレイカーでは力不足だし、スラッシュアクスを新調しようとも思っていた。  だが、狩りの仲間の異変に今、いつもの防具を身につけ孤島の狩場を走っている。 「ごめんオルカ! 折角のオフだってのに」 「いいさ。……心配だ、急ごう!」  並んで走るノエルに頷き、オルカは海岸線へと走る。焦りが昂ぶり、気がはやる。その原因は、後輩でもある仲間のハンターだ。  ここ最近、遥斗がソロでの狩りに熱心だとオルカは知っていた。自分も経験があるし、いい傾向だと見守っていたのだが。だが、自ら進む独り道は、ともすれば袋小路に気付けず足踏みしてしまう危険性がある。そのことに気付けなかったことを、密かにオルカは悔いていた。 「いたっ! あの爆発、遥斗の太刀だ」 「今日の獲物はロアルドロスかあ。……待って、オルカ!」  ノエルの制止で、オルカは叫ぼうとした名を飲み込む。  見下ろす平地に今、爆砕の連鎖に包まれ咆哮する巨大な水獣の姿があった。そしてその前に、太刀を手に走る遥斗の姿がある。ノエルの視線に促されて、オルカはそのまま少し静観することにしたが……気付けば手の内に汗が滲んで、握る拳に力が篭る。  だが、そっと腕に手を添えてくるノエルが、静かに首を横に振った。 「少し様子を見よう、オルカ。遥斗、今ちょっと行き詰ってるんだよね」 「……そういう時期は確かにある。俺は経験があるから。ノエルは?」  ノエルは黙って頷いた。  目の前では今、怒り狂って暴れるロアルドロスから逃げ惑う遥斗の姿があった。一人の狩りだからだろうか? その動きは普段よりも緩慢で、いささか慎重さに欠ける。焦っているのだと、オルカにはすぐに知れた。  氷牙竜の防具にドロと土に汚しながら、必死で転げまわる姿にオルカは、昔の自分が重なった。 「オルカ、ハンターやっててどれくらい?」 「小さい頃から兄達の手伝いなら……独り立ちしたのはユクモ村だから、そんなに長くは」 「あたしはもう十年になるかな? あ、歳とか聞いちゃやだよ? あんまし変わらないと思うけど」  ノエルが自分の話をするなんて珍しい。  ノエルに限らず、モンスターハンター達は皆、自分の過去を語りたがらない。それは、日々危険な狩場に生きる者達の暗黙の了解だからだ。深く知れば知るほどに、別れが重く辛くなるから。そして別れはなにも、違う狩場への旅立ちだけを意味する訳ではないから。  それでも皆が、命を落として消える間際に、誰かの中に自分を残したいと思う。  思うからこそ控えて自重し、望むからこそあえて求めない……そういう者達が狩人には多い。  自分の存在を他者の中に求め、他者の重みを自分の中に感じる。そうした絆は稀有で、だからこそ貴重で大事、大切だ。それを無闇矢鱈とねだってはいけないと、恐らく先達達も思ったのだとオルカも解釈している。だからこそ、今とこれからを語りこそすれ、モンスターハンターはこれまでを語らない。身につけた防具と携えた武器だけが、その者の力量を無言で語るから。胸に秘めた想いや生き様を、言葉にすることは憚られた。  だが、あえてノエルは口を開いたし、紡がれる言の葉が小さな小さな女の子だった昔話を語り出す。 「ドンドルマってね、毎日が戦争みたいな街だから。定期的に古龍は来る、必ず誰かがいなくなる」 「……うん」 「物心がついた頃にはもう、狩場に出るより前に古龍の迎撃に参加してた。最初はね、大砲の弾運び」  城塞都市、ドンドルマ……ノエルが生まれ育った故郷。西シュレイド王国の中にあって、異例とも言える自治と治外法権を持つくろがねの城。古龍の襲来を前提とし、迎撃のために作られた戦う都市だ。 「あたしはまあ、最初は上手くやれてると思ってた。古龍とやれたんだ、飛竜だって……ってね」 「でも、そうじゃなかった?」 「そ。誰だって遥斗を笑えるもんか。誰が笑ったって、あたしは笑わないよ」  ビンの劇薬に矢の鏃を浸して、背の弓を展開しながらノエルが自嘲気味に頬を緩める。  オルカも黙って、背のソルブレイカーをチェックした。相変わらず変形レバーに手応えはなく、内蔵されたビンが化学反応に高まる気配はない。強制圧縮を促す緊急ボタンも同じだ。  いつでも飛び出せる体勢で、二人は黙って遥斗の狩りを見守る。 「ああもうっ、そんな場所で薬飲んだら危ないって。ほら、言わんこっちゃない……えと、どこまで話したっけ」 「ん、古龍の迎撃戦で自信をつけた少女が、飛竜もいけると思ったってとこかな。そろそろ行くかい?」 「もう少し、もう少しだけ……もうちょっとだけ様子を見よう」  ノエルは今にも飛び出さん勢いで腰を浮かしていたが、そのまま身を低く視線を投ずる。  オルカの目にもやはり、遥斗の狩りは細心さに欠けてるように見える。手数が欲しくて踏み込み過ぎ、時間を惜しむから受けるダメージも増える。その回復に焦るから無用な隙を晒すし、そうして受けたダメージの回復が悪循環で貴重な薬品をすり減らしてゆく。  それでも遥斗は懸命に太刀を振るって尻尾を切断し、砕竜の力を宿した刃でロアルドロスを焼いてゆく。  爆ぜる光にしかし、ロアルドロスは目を見開いて反撃の爪を繰り出し縦横無尽に走り回った。 「……イャンクックって飛竜がいるんだけどね。怪鳥イャンクック。ま、ハンターの登竜門だ」 「聞いたことはある。クルペッコやゲリョス、ヒプノックと同じ分類種だね」 「うん。まあ、ちょろい相手だと思ったのさ。……最初はね」  イャンクックは西シュレイド地方に広く分布して生息するモンスターで、火に強い甲殻や翼膜は各地で重宝されている。土地によっては、イャンクックを狩れてこそ一人前だという場所もある。ノエルの故郷ドンドルマもそうした場所の一つだ。 「死ぬかと思うった。まあ、死んだなって思った。最初の狩りでね、イャンクックを追い詰めたんだけど」 「狩り損ねた?」 「うん。気がついたらベースキャンプで。でも、怖いのはその日の狩りを諦めてからだった」  ノエルは語る……まだうら若き乙女である彼女の、若気の至りを。  若き少女ハンターは、一度の敗北と失敗で長いスランプを経験した。なにをやっても上手く行かず、採取の納品から小物の駆除まで、受けるクエスト全てで成果を逃した。苛立つ気持ちがさらなる失敗を呼び込み、卑屈にささくれだった気持ちが敗北を上書きする。そうした苦しい時期を経験したからこそ、今の自分がある……ノエルはそういって恥ずかしそうに指で鼻の下をこすった。 「結局最後は自分でもがいてあがいて、それでなんとかするしかない。けど、一人じゃないだろ? ハンターはさ」 「まぁね……俺も昔、ちょっとベリオロスにこだわってた時期があったからな」 「そゆこと。お互い過去を語り合うのは早すぎるけど、他人というには近すぎるし親しすぎるのさ」 「ノエルの過去は今、聞いちゃったけどね」 「……忘れてよ、オルカ。なんか、今になって恥ずかしくなってきた」  少し顔を赤らめ俯くノエルに、自然とオルカも頬が緩む。  ひときわ大きな絶叫が響いて、水獣の動きが止まったのはそんな時だった。 「わ、忘れてよね、オルカ……じゃ、じゃないとあたし、恥ずかし……で、でもっ! オルカなら」 「捕獲する気だ! 遥斗、早まった真似を。ノエル、行こう。もう見てられないっ!」 「……あ、はい。ソウデスヨネー、後輩ガ大事デスヨネー……ふんだ、いいんだいいんだ」  設置した罠へとロアルドロスを無理やり押し込み、遥斗はポーチの中の捕獲用麻酔玉を放る。  だが、肩で息をする少年の顔が安堵の笑みに彩られることはなかった。たまらず飛び出すオルカの後を、ブツブツ言いながらノエルもついてくる。 「眠らないっ!? ど、どうして……こんなに弱らせたのに! あれだけ傷めつけたのに」  驚愕に唖然とする遥斗の前で、シビレ罠の中のロアルドロスが目を見開く。雷光虫のエキスから抽出した麻痺薬を、瞬時に散布してモンスターを絡め取るトラップ。その中心で手負いの水獣は怒りにたてがみを膨らませていた。 「遥斗! 手を休めちゃ駄目だ! 多少強引でも」 「そゆこと! オルカ、遥斗とも少し削って。あたしが援護する!」  ノエルの放った矢に導かれるように、走るオルカが背の武器を抜刀する。唸りをあげて振り下ろされた轟斧が、暴れ狂うロアルドロスへと炸裂して血飛沫をあげた。風牙竜の甲殻と毛皮にドス黒い血を浴びながらも、オルカは呆然と立つ遥斗を叱咤した。 「遥斗、君の狩りだろう! 君が決めるんだ。遥斗!」 「オ、オルカ……どうしてここに?」 「みんなが君を気にかけてる、見守ってる! さあ」  意を決して遥斗は剣を握り直し、構えて手元を引き絞る。放たれた斬撃が最後の一撃となって、弱ったロアルドロスの眼球がひっくり返った。そのまま巨体はシビレ罠の中で、いびきを立てて崩れ落ちる。  瞬間、遥斗もその場にへたり込んだ。 「ちょっと捕獲タイミングが早かったね、遥斗。足を引きずり逃げるまで待たないと」 「オルカ……ノエルさんも」 「よっす、遥斗。焦り過ぎ。当ててみせようか? 足引っ張ってる、もっと強くならなきゃ! だろ?」  ノエルの言葉に顔を赤らめ、遥斗は俯き黙ってしまった。だが、それでも小さな呟きが零れ出た。 「……ロアルドロスは海に逃げます。まだ海は……特訓はしてます! けど、つい」  遥斗の周囲は皆、過保護ではないしおせっかいも焼かない。ただ必要なことは教えて鍛え、必要以上には構わない。それはハンターのならわしとも癒えたし、ルーンもアニエスも口うるさいが実際にはかなりの放任主義だ。しかし、毎回ベースキャンプ送りが続く少年の心は、焦りにじれていたのだ。また、周囲のハンター達が一流であることも彼を急かした。  こんな時、なにを言ったらいい? なにができる? 考えを巡らすオルカはしかし、自分の中に答えを見つける。  ユクモ村の仲間達がしてくれたように、自分もまたできることで接してやればいいのだ。 「明日、暇かい? 遥斗、ちょっとタンジアの港に行こう」 「港に? えっと……」 「少しは気晴らし、息抜きも必要ってことじゃない? あー、確かエルも明日暇なんじゃないかなー」  ノエルの言葉に遥斗ははっと目を見開き、しかし「僕はまだまだ未熟な修行の身で」などとぶつぶつ言い出す。  そんな彼の防具から汚れを拭ってやると、オルカは黙って気負う弟分の肩をそっと抱いた。