闘技大会での優勝カップを土産に、しかし浮かれた気持ちも持てずにオルカはモガの村へと戻った。道中、仲間達は皆無言で海を見詰めるだけだった。ついに犠牲者が出た……だが、誰もがルーンの無事を信じて疑わない。モガの村で一番のハンター頭は、狩場で命を落とすような愚を犯さない筈だ。 「子分! 戻ったッチャ? どこ行ってたッチャ、オレチャマがいなければ今頃――」 「ごめんよチャチャ、急いでるんだ! ルーンは部屋かい? 入るよ、ルーン!」  そしてその予想は的中するのだが、視界に飛び込んできた艶姿に思わずオルカは絶句。 「……戻ったか。どうだ? 獄狼竜とやら、私も見てみたかったのだが」 「あ、いや、その……ルーン。無事で、なにより、だけど」 「なんだ? この私が死ぬとでも思っているのか? ……ジロジロと見るんじゃない」  慌ててオルカは、次いで遥斗と一緒に目を背ける。それでもニヤニヤと顎をさすりながら眺めるウィルには、水差しが飛んできて頭を直撃した。ルーンは今、ざくろと暮らしている部屋で包帯まみれだった。  というか、包帯しか身につけていなかったが、それで充分と言える程に傷だらけだった。  満身創痍の彼女は、大きなキングサイズのベッドに身を沈め、ギブスで倍近い太さになった右手をあげる。 「お前達がタンジアの港に出ている時に、偶然雷公を発見してな。……奴は、強い」  それはオルカ達も身を持って思い知っているから、ただ頷くだけで言葉が出てこない。  雷公と呼ばれる巨大な海竜ラギアクルスは、この近海の王として君臨している。その巨躯を岩盤へとぶつけて、今も自身でモガの村を地震で苦しめているのだ。岩礁地帯に足場を組んで造られたモガの村は、ちょっとした振動でも長く続けば土台が解れて崩れ去ってしまうだろう。  だが、現状では誰もがまだ、あのラギアクルスを狩りきれるだけの力を持ちあわせてはいない。  下手に焦ればどうなるか、その結果は目の前で今、ベッドに身を横たえていた。 「……ところで、エルはどうした? 遥斗、一緒にデートだった筈だが」 「あ、あれ? そういえば……おかしいな、船では一緒だったんですけど」  ルーンに言われて遥斗が周囲を見渡し、ノエルが「さあ?」と肩をすくめる。いるだけで目立つ赤髪の長身痩躯は今、どこにも姿が見当たらない。不思議なことに、いつからいないのかもオルカには知れなかった。思えば、仲間を案じるあまりいなくなったのにも気づかなかったのだ。  そんな一同を見渡し、ルーンは上体を起こして激痛に顔を歪める。 「……っ! 流石に響くな。だが、手足がもげた訳でもあるまい。人数は揃ってるな? ならすぐ……っぐ!」  額に脂汗を浮かばせて、ルーンは起き上がるなり背を丸めて肩を抱く。白い包帯に咲いた血の花が、じわじわとその花びらを広げていった。滲む赤に思わず、オルカが駆け寄り再度ベッドへ寝かせようと促す。だが、逞しく引き締まった細身の身体は今、熱を持って僅かに汗ばんでいた。  そんな時、背後で硝子の割れる音が悲鳴を連れてくる。 「ルーン! 起きちゃいけませんっ、怪我の時位は言うことをきいて……骨が折れてるのよ。出血だって」  そこには、顔面を蒼白にして血の気を失ったざくろが立っていた。彼女は今しがた取り落とした食器も気にせず、あわあわとルーンの傍らへと寄り添う。オルカと二人でようやくなだめて、ルーンは再度布団深く身を沈めておとなしくなった。  だが、彼女は悔しげに溜息を零すと小さく呟く。 「これ以上は奴を野放しにしておけない。ざくろ、村長に伝えて欲しい。すぐに総員で狩りに出ると」 「馬鹿を言わないで頂戴! ……死んでしまうわ。そんなのイヤよ、どうしていつもそう無鉄砲なの」 「私はこの村で一番のハンターだ。皆の先頭に立つべきだ。違うか?」  ルーンは満身創痍だが、その目はまだ死んでいない。普段から涼しげなその瞳には今、炎が赤々と燃えているかのように輝きが灯っていた。だが、それでも食い下がらずついには泣き出し顔を手で覆うざくろが、静かに首を横に振る。  オルカも説得してなだめようとした、その瞬間に否定が小さく、しかしはっきりと吐き捨てられた。 「それは違いますね。間違いです、ルーン」  誰もが振り向くと、そこには採取を終えてパンパンになったポーチを下ろすアニエスの姿があった。  この少女ハンターは普段から細かなクエストを中心に、モガの村ではルーンを補佐して長いと聞いている。オルカが遥斗やノエル、ウィル達と飛竜を狩ってる間も、採取や資源の納品、小物の駆除等をやってくれているのだ。  オルカはしかし、初めて見る……アニエスがルーンの言葉に異を唱える瞬間を。  彼女は荷物を全て下ろすと、腰に手を当て周囲を見渡してから、最後にルーンを眇めて僅かに背を反らした。 「酷い有様ですね、ルーン。あたしは呆れて物が言えません」 「……」 「独断専行はこれを戒めるべし、常にツーマンセル、スリーマンセル……出来ればフルメンバーでと、そう教えたのは誰ですか? もっとも、オルカさん達が来てくれなければ、この村のハンターはあたしと貴女だけでしたけども」 「…………」  ちらちとざくろを見てから、アニエスは「一応、三人ですけどね」と付け足した。  しかし、彼女の辛辣な口撃に黙っているだけのルーンではなかった。 「私はこうも教えなかったか? 狩りの好機は一瞬だと」 「ええ、口を酸っぱくして何度も何度も。繰り返し繰り返し。では聞きます、ルーン」  ――狩りの好機を貴女は逃したのではありませんか?  全く反論を許さず、冷たく突き放すように目を細めてアニエスが言い放つ。  今度こそルーンは黙ってしまった。  重苦しい沈黙に耐え切れず、口を開いたのはノエルと遥斗だ。 「アニエス、言い過ぎだよ。ルーンほどの腕だ、やれたかもしれないし」 「そうです! ルーンさんだってこの村を、モガの村を想えばこそ……その気持を」  だが、アニエスは視線で二人を黙らせる。いつでも笑顔の温厚な名スィーパーは今、冷徹で冷酷な空気を発散していた。思わず凍えてオルカも口を噤む。 「その気持ちとやらで、死んだ人間が生き返るとでも? 違いますね。それは皆さん、よくご存知の筈」  それだけ言うと、薬草の詰まったポーチを足元から拾い上げて、アニエスはざくろへと放る。受け取るざくろが僅かによろけた、その時だった。不意に足元が揺れたかと思った、その瞬間には地鳴りを響かせ大地が脈動に蠢いた。  誰もが壁に身を寄せ、地震が収まるまでの短い時間を長々と待つ。  いつもながら不気味な沈黙の中で、大地がにらぐ音が徐々に遠ざかってゆく。  揺れが収まった時には、アニエスはルーンを見詰めていた。ルーンもまた抱きつくざくろを支えながら、黙ってアニエスを見詰めている。この村の生え抜きのハンター同士、目と目で見詰め合う視線が一本に収斂され、その中を互いが積み重ねた年月が行き来した。  先に口を開いたのは、アニエスだった。 「地震の間隔は、より一層短くなってます。一刻の猶予もなりません、が。怪我人は不要です。足手まといなので」 「! ……そうだな。以前とは違う、私とお前しかいない時とはもう違うのだな」 「ええ。だから安心して寝ててください。ラギアクルスはあたしが……あたし達が狩ります」  オルカはその時、華奢な少女が不敵な笑みの仮面をかぶり直すのを見る。その下には恐らく、半べその泣き顔が隠れているであろうことも自然と知れた。いつでもルーンの補佐をして支え、共にこの村に長らく生きてきたベテランハンターのアニエス。派手で実入りのいいクエストを人知れずオルカ達に譲り、ずっと裏方に徹してきた彼女もまた、この村を共に守る仲間だ。  観念したようにルーンは、それ以上の言葉を探すことを諦める。  だが、その顔には不思議と満足げな笑みが浮かんでいた。 「ふん、びーびー泣いてた小娘が大きくなったものだ。そういう訳だ、オルカ。今後はアニエスに任せる」  皆もいいか、とルーンは居並ぶハンター達を見渡した。  無論、異論が上がる筈はないのだが、一つだけと前置きしてノエルがアニエスの前に出る。 「先任のハンターには従う、けどね。さっきの言葉、それだけは訂正してもらうよ」 「……精神論で勝てる相手ではないと思いますが。あたしは」 「気持ちで勝てる相手じゃない、それはわかってる! でも、気持ちのない奴じゃ……狩人は務まらない」  二人の少女の視線がぶつかり合う、その弾けて圧し合う音が聞こえてくるかのような緊迫感。  双方の言い分をオルカは、自分の中で一つにまとめて己に言い聞かせる。嬉しそうに眦を下げるウィルも恐らく、同じ事を思っている筈だ。気持ちだけの者に竜は狩れない……気持ちのない者には、竜を狩る資格などありはしない。  そうしていると、奇妙な緊張感がフッと和らいだ。アニエスとノエルは、同時に笑みを浮かべてどちらからともなく視線を外す。 「さて、忙しくなるな! ほら遥斗、買い出し行くよっ。荷物持ち!」 「狩りに必要な手配等はあたしが……今まで通りで構いませんので、ノエルさん」 「あんたが仕切るんだろ? ルーンはそこんとこわかってる奴だったけど……ま、お手並み拝見ってとこ」 「……わかりました、お任せします。皆さんもいいですか? クエストを受注して、ラギアクルスを……仕留めます」  満足気に頷くルーンの瞳が、優しげに細められている。  オルカもまた、ついに決戦の時が迫っているかと思うと気持ちが昂った。恐ろしい、怖いという気持ちは確かにある。あるのに、それを今当然のように感じる一方で、待ちきれない高揚感を漲らせる自分がいた。全身の血液は今、肉体の中で徐々に沸騰してゆく。  そうして誰もが気持ちを一つにしていた、そんな時だった。 「ルーン! ルーン、ルーン! ニャンコ先生を連れて来ましたっ! 怪我を見せて下さい!」 「こらエル、そう引っ張るでない。ええい、小生の首をぶら下げるのはよすのだ!」  ばたばたとエルグリーズが、保護者であるニャンコ先生を持って現れた。彼女は今にも泣きそうな顔で、ズビシィ! と手に持つアイルーの学者を差し出す。 「ニャンコ先生はお医者さんもできるらしいのです! さあルーン、治ってください!」 「え、あ、ああ、うん……その、なんだ、治ってくださいと言われても。ふふ、そうだな」  ルーンはあうあうと必死なエルグリーズを前に、ようやく柔らかな笑みで頬を崩した。