海竜ラギアクスルの狩猟。モガの村が総力を上げて挑む、存亡を賭けた戦いが幕を開けた。  今、村のハンター達は島の各地に散って情報を集めている。発見と同時に四人編成で挑む腹積もりだ。  だが、半日海を泳ぎまわったオルカは、まだ雷公と畏怖されるその巨躯を見つけてはいない。それは他の仲間達も同じようだった。 「オルカ! 一度ベースキャンプに戻りましょう」  今日何度目かの潜水を終えたオルカが、浮上と同時に空気を貪り肺を酸素で満たす。そうして海岸へと泳げば、一足先に上がっていた遥斗が手を振っていた。既に正午を過ぎ、太陽は頂点から徐々に下りはじめた。今日はもう、現れないのでは……ひょっとしてこの近海にはもういないのでは。  だが、その可能性は毎日、頻発する地震が否定してくれる。  最精鋭であるルーンを欠いたまま、オルカ達が獲物を求めて探し始めてからもう三日がたっていた。 「お疲れ様、遥斗。そうだね、一度戻って昼食にしよう」 「アニエスさんの手配で携帯食料が届いてる筈です」 「やることにそつがないね、流石だ。ルーンもいい後輩を持ったなあ」  ギルドとのやり取り等、煩雑な手続きは全てアニエスが一括してやってくれていた。支給品をベースキャンプへと届け、シフトを組んでハンター達を休ませつつ効率よく捜索へ回す。何よりアニエス自身が、誰よりも一番働いていた。だから今では、その補佐をノエルが率先してやっている。  だが、無常にも時間はただ過ぎ、徐々に地震の感覚は狭まりモガの村を揺さぶっていた。 「そういえばオルカ……ニャンコ先生? の話、聞きましたか?」 「ああ、そういえばまた今日も来てたね」  ニャンコ先生というのは、あのエルグリーズの保護者をしているアイルーの学者だ。考古学が専攻らしく、モガの森に居を構えてあれこれとこの島のことを調べている。その博学は大したもので、医術にも秀でて今はルーンの専属医師だ。治療しつつも気の逸るルーンをよくなだめて、最近はボードゲームの盤などを挟んでいる。  そのニャンコ先生の言葉をオルカもまた思い出した。 「いつも言ってるよね……この島に古塔がある、って」 「その通りっ! 孤島に古塔があるのだ! ……ぷっ、ククク、ハーッハッハッハー!」  突然ザバン! と海から、水蒸気を巻き上げ紅白の甲冑姿が浮上した。くだらないダジャレに自分で爆笑しながら、身を揺すって夜詩が上がってきた。そうやらツボだったらしく、ガッツポーズで水面に浮いたまま、何度も「ククッ、孤島に古塔」と身を揺すっている。呆れつつもオルカが陸から声をかけると、ふと我に返って夜詩は歩き出した。  たちまち長身のマッシブな狩人がオルカの見上げる前まで近付いて来る。 「ヤッシーさん、またローテーション無視して……今、休みの筈ですよね?」 「ヤッシーではない、夜詩だ! それにしても、孤島に古塔……傑作だとは思わんか!」 「……や、別に。その、ええと……あ、ああ、そうだ。遥斗、三人でベースキャンプに戻ろう」  笑顔をひきつらせつつ、オルカは遥斗へ振り返り逃げる。  だが、そこには小首を傾げる遥斗の姿があった。 「オルカ、ヤッシーさんはなにが面白くてこんなに笑ってるんですか」 「え、いや、だから、その……孤島と古塔、だろ? だから」  しばし考えこんでから、はたと気付いて遥斗はポンと手を打った。 「ああ、なるほど! わかりました、ヤッシーさん。孤島と古塔をかけてるんですね!」 「気付いたか少年! 面白いだろう、ハッハッハ。さて、それでは戻るか」 「なるほど、孤島と古塔……勉強になります!」  勉強しなくていいから、とは言えないので、苦笑しつつも二人とオルカはベースキャンプに歩く。  そうして海岸線を離れると、向こうから歩いてくる一団が手を振ってきた。目を凝らせば、飛び跳ねて全身で存在を訴えかけてくるのは長身の灼髪だ。その白い肌の笑顔には、真っ赤な瞳が輝いている。  エルグリーズは女性陣の中でも一段と目立っていた。 「オルカ! 遥斗も、ええと……ヤッシーさんも! お疲れ様でした!」 「よっす、オルカ。見つかった? ……訳ないよね、その調子だと」  エルグリーズと伴って現れたのは、ノエルとアニエスだ。  この場には今、モガの村で現在動けるハンターが大集合だ。  ……ただ一人、ウィルことウォーレン・アウルスバーグを除いで。彼は恐らくこんな時でも、村でギルドの看板娘を口説いたりと忙しいのだろう。どんな時でも平常運行なぶれない姿勢が、かえってオルカには安心感を与えてくれる。なにより彼は休憩時間はそうやって遊び回っているのに、アニエスの作ったシフト通りに見回りを厳に行なっている。  そしてざくろは基本、そんなハンター達の食事等の世話で忙しい。 「やあ、アニエス。俺達は南側を重点的に回ったけど、奴は見つけられなかったよ」 「お疲れ様です、オルカさん」 「……少し、疲れてない? 顔色が優れないよ?」 「そうでしょうか、でもまだまだ仕事は山積みで、っわ!?」  小柄なアニエスは笑顔を見せたが、気遣うオルカには疲労が色濃く見て取れる。それでも気丈に笑うアニエスの矮躯を、エルグリーズは後ろから抱き締め抱き上げた。 「あ、あの、エル。お、降ろしてください」 「大丈夫ですよっ、アニエス! 元気出してください! ルーンはすぐに生き返ります!」 「……か、勝手に殺さないでください。もっ、ホントにしかたない人」 「そんな、褒められると照れます!」 「ほ、褒めてないですっ! 降ろしてくださいぃ」  しかしエルグリーズはブンブンとアニエスを振り回しながら、ぐるぐる回ってはしゃいでいる。  多分あれは、彼女なりに気遣っているのかもしれない。ような気がするけど、ちょっとわからない。  だが、ようやく開放されたアニエスは、他のハンター達が情報交換を始める中でオルカに笑いかける。オルカもまた、雑事を一手に引き受け奮闘している少女を労った。 「みんな心配してるんだね、アニエスさんのことを。最近、特に忙しいから」 「あたしは……ルーンの代わりはなれないですね、やっぱり。思い知らされます」  少しだけ弱々しく微笑んで、深刻そうにアニエスは俯いていしまった。  聞けば彼女は、ルーンが一人で仕切るモガの村に後から参加したハンターだという。長らくルーンの補佐をして、様々なことを学んできたのだ。彼女がルーンに向ける尊敬は人一倍で、だからこそ一大事に際して強い言葉も出たのだろう。厳しい口調で偉大な先輩を休ませつつ、彼女は今誰よりも働いていた。  そんな彼女が珍しく自分のことを語り出すので、オルカは耳を傾ける。 「あたしは、昔は何をやっても駄目な娘で……でも、ルーンは根気よくあたしを育ててくれました」 「最初からできる人間なんていないからね。でも、厳しかっただろう?」 「そりゃもう、ルーンの教えはスパルタなんてものじゃないです」  アニエスは笑顔でこう語る。 「キリン、って知ってますか?」 「ああ、幻獣と呼ばれる」 「ふふ、そうですね。……あれの前に放り出されました。ルーンに。裸で」 「……へ?」 「大変でしたよぉ、槍は弾かれるし、触るだけでベースキャンプ送りだし」  徹底したスパルタ教育にオルカは絶句した。キリンと言えば、遭遇するだけで奇跡といわれる希少モンスターだ。そして、出会えた幸運を呪いたくなるような強敵とも聞いている。遭遇例が少ないのは、なにも出現数が少ないからではない。遭遇して生き残れた者が単純に数えるほどしかいないのだ。故に、キリンの素材はどれも高価格で取引されるし、こっちの地方では半ば神話や伝承と化して誰も見たことはないという。  そんな最強の幻獣を前に、幼く未熟なアニエスは裸同然で……絶句。  だが、驚き固まるオルカにアニエスははにかんだ。 「この身に叩き込まれた全てが教えてくれるんです。あたしにとってルーンが特別な人だと」 「そう、みたいだね。……アニエスさん、やろう。絶対、この狩り……形にするよ」  オルカの声に満面の笑みでアニエスが頷いた、その時だった。 「ちょっとみんな、あれ! あれ見て! ……あの煙幕の色、ウィルだ」  ノエルが指差す蒼天に、高々と登る一朶の紫雲……それはハンターが持ち歩く発煙筒の色だ。紫はこのモガの村では、ウィルが使っている。どんな狩場でもハンター達は、なにか緊急の連絡を取る際に発煙筒を用いる。独特の発信音が出ることでも有名だが、その空に登る色でオルカ達は意思の疎通がある程度できる。  この場合、ウィルが緊急に伝えたいと思うことは一つしかない。  それを真っ先に察したアニエスの声が走る。 「皆さん、ラギアクルスを発見したようです! 緊急編成! ウォーレンさんを至急援護に」 「だってさ、オルカ。……行ってきなよ、あたしは残る。……アニエスの補佐に、後詰に回るよ」  続いてノエルの意外な声。びっくりするオルカに、ノエルはアニエスの肩を抱きながら笑った。 「この娘、ずっとあたし達のために働いてた。から、さ。最後まで裏方に回るなら、付き合うかなって」 「フッ、感動である! よぉし、この夜詩様がその想いを胸に、いまこそ雷公ラギアクスルを」 「あ、ヤッシー。あんたも後詰に回ってね。ほら、ベースキャンプに帰るよ」 「な、なにぃ!? ……オレは誓ったのだ、姉者の仇を討つと。オレにとって姉者は目標、そして家族! 故に――」 「腕の立つハンターが予備戦力に必要なの! アンダスタン?」 「心得た! このオレは一流ハンター、ヘルブラザーズの片割れ! 小さなことには拘らん!」  ノエルはアニエスと夜詩を両脇に抱えて、にんまりとオルカに笑った。 「……よし。遥斗! エル! 行こう」 「はいっ! この狩りは総力戦……僕達がダウンしたら、アニエスさん達がお願いします」  ベースキャンプ送りになった者を待ってはいられない。少しでも長時間、最大戦力を維持しつつ、ギルドの法規にもハンターの矜持にも抵触しない戦い。この狩り、一度ダウンした者に次はない。その代わり、オルカにはわかっている……自分達がダウンしても、予備戦力であるアニエスやノエル、ヤッシー達が戦ってくれると。  ラギアクルス発見と同時に、モガの村のハンター達は狩りの時間を回し始めた。