モガの村は平静さを取り戻していた。  オルカ達モンスターハンターが、大海龍ナバルデウスを狩る。その準備に明け暮れる間、村人の避難をとも思ったのだが。モガの村を逃げ出す者は、一人として現れなかった。狩猟船団は相変わらずだし、店の雑貨屋にも新しい商品が並ぶ。畑ではアイルー達が、毎日鍬や鋤を振るって汗を流していた。  普段となにも変わらないその光景の中で、古今前例のない大狩猟の準備が整いつつあった。 「これが、増息薬?」 「ええ、タンジアの港で仕入れてきました。調合レシピもあるので、すぐに量産に取り掛かります」  実質的なリーダーとしてみんなに祭り上げられるオルカは、毎日武具の手入れや各種手続きで大忙しだ。まだまだ傷は完治に程遠いにも関わらず、ルーンは既にリハビリを始めている。仲間達も皆、準備に明け暮れていた。  今もアニエスが、オルカの前にずらりと薬瓶を並べて、その中身を説明している。 「今度も水中戦になるから、これはありがたいなあ」 「酸素玉と違って、飲むと水中でも呼吸や発声が可能になるんですよ。これ、便利だと思って」 「直接声を出して喋れるのはいいね。今度の狩りは連携も重要になるし」  不思議な薬だと思ったが、その原理や仕組みにはオルカはあまり興味がない。ただ、今まで指信号や身振り手振りでのコミュニュケーションしか取れなかった水中で、今度は声に出して意思の疎通ができる。この恩恵は計り知れない。 「へぇ、そいつぁ便利だな」 「あ、ウィル。どうだい、そっちは」  海から戻ってきたのか、まだ濡れた神を潮風になびかせるウィルの姿が加わる。彼は小瓶を持ち上げその中身を太陽に透かしながら、目を細めて「ああ、バッチリだ」と呟いた。 「エルんとこの学者が、ニャンコ先生が驚いてたぜ。……古塔がよ、本当にありやがった」 「やはり……でも、どこに? この島のどこにもそんな場所は」 「まあ、灯台下暗しって奴だな。この島に古塔があるんじゃねえんだよ、正確には」  どっかとオルカの隣に腰を降ろし、ついでに自然な仕草でアニエスの腰へ手を回すウィル。たちまち手の甲をぎゅむとつねられるが、悪びれた様子もなくウィルは報告を歌った。 「古塔の上にこの島があんのさ」 「そ、それって」 「海底からそびえる巨大な太古の建造物が見つかった。この島は、その古塔の上に乗っかってやがる」  驚愕の新事実……だが、ウィルの説明にオルカは、いつか見た古い文献の記述を重ねていた。  世界各地を縦横無尽に走るパワーライン、龍脈。その気脈の流れが注ぐ場所を龍穴と呼ぶ。龍脈や龍穴の上では、不思議な事象があとをたたない。作物はよく実り、家畜は何倍も肥える。それだけではない、自然の摂理すら歪めてしまうのだ。  不思議な不思議なモガの森、あらゆる飛竜が共存する生態系にもようやく説明がついた。 「じゃあ、ニャンコ先生は」 「そりゃもう狂喜乱舞でよ。エルを連れて一度、森の小屋に戻るってさ」 「あ、あの、ウィル……手、離してもらえませんか?」  じっとりとジト目でアニエスが眇めて、ようやくウィルは細い腰を抱く腕を引っ込めた。  やれやれと呆れつつも、まんざらでもない様子でアニエスは腕組み鼻から溜息を零す。 「とにかく、時間がありません。ギルドが気付く前に、ナバルデウスがその古塔を破壊する前に……」  そこまで言って、アニエスが言葉を止める。その視線の先を目で追って、オルカもまた言葉を飲み込んだ。  かけてやりたい言葉がある。だが、それが上手く脳裏に組み立てられない。  こうすることがベストではないと知っててさえ、こうするしかない自分がいた。 「おう、遥斗。準備はもういいな? 荷物、少ねぇなあおい」  逡巡するオルカやアニエスとは違って、いつも通りにウィルが遥斗へと声をかけた。  旅装に身を固めた少年は今、何かを言い出そうとしては口を噤んで俯く。 「こっちの船着場は今、交易船が使ってるからよ。森を抜けた船だまりから乗れや」 「あ、あの! ウィル、オルカも……アニエスさん、も」 「もうすぐエルが戻ってくるからよ。森を一緒に抜けて、国へ帰れ。な?」  ウィルの声音は優しいが、有無を言わさぬ強さがあった。  それでも、遥斗はついに言葉の濁流で唇を決壊させた。 「ぼっ、僕も戦います! 僕も皆さんと一緒に。僕にも、この村を守らせてください!」  だが、オルカは重い口を開いた。  自分から言って聞かせなければいけないと。 「ダメだ。遥斗、君は故郷に帰るんだ」 「僕が宮家の皇子であるとか! その話はもう何度も聞きました。でも……覚えてないんです」 「でも、事実だ」 「それが事実で真実でも、僕には実感がありません。僕が本当に今、大事なのは――」  オルカとて、できれば遥斗にいてほしい。どこか頼りないが、それでも人数は多い方がいいのだ。それに、オルカ自身、まるで弟のように可愛がってきた遥斗との別れは辛い。こんな日が来るとわかってルーンと共に嘘で欺いてきたのだ。その罪はいずれ罰を受けて償うとしても、遥斗の若い命を危険にさらす理由にはならない。  アニエスやウィル、それに狩りの仲間達は、自ら望んでモンスターハンターになった。狩場に生き、狩場に死すとも悔いはないだろう。大自然の中で糧を得る、そのことを自らの生き方として選んだのだ。  だが、遥斗は違う。デリケートな立場を隠蔽すべく、偽ったのだ。もともと列強各国が所有権を競い合っているのがモガの島だ。昔から多くの人員が調査に送り込まれ、その大半がモガの森で帰らぬ人になっている。そこへシキ国宮家の皇子がいるとなれば、国際問題になりかねない。だから、時には女装をしてもらってまで、遥斗の立場は隠させてもらった。  その楽しくも充実した日々は終わりを告げたのだ。 「遥斗、お前さんよぉ……あんまオルカを困らせんなよ? それと、甘えてんじゃねえ」 「! ……ウィル、僕は甘えてなど」 「皇族には皇族の仕事と義務がある。俺等の力になりたいなら、国に帰って手前ぇの力を取り戻せ。話はそれからだ」 「……それは、僕に見知らぬ、記憶も思い出もない故郷で生きろということですよね」 「親兄弟に会えば、眠った記憶が刺激されるかもしれないだろ? な、あんまり手を焼かせるなや」  ウィルの目は厳しかったし、その言葉は硬い。  そして、次の言葉が決定的になった。 「どっちにしろ、お前みたいな未熟者の居場所はねえよ。俺達でもやべぇ相手なんだ」 「僕の、居場所が……ない」 「そうだ。っと、エルが戻ってきたな。おい、オルカ」  ウィルに促されて「あ、うん」とオルカは正気に戻った。それまでずっと、遥斗や仲間達との充実した日々が瞼の裏に彩られていたから。今はそれをしまって、来るべき決戦に向けて心身を引き締める。  オルカは懐から船のチケットを取り出すと、遥斗へ渡した。受け取る気配がないと知るや、その手に無理に握らせる。 「遥斗、元気で。大丈夫、俺達は負けない。また遊びにおいで。いいね?」 「オルカ……」 「中に手紙が入ってる。船だまりについたら、エルと読んで欲しい」  それだけ言って、遥斗の背を押し出してやる。手を振るエルグリーズへと、とぼとぼと遥斗は歩き出した。  これでいい、これでいいんだとオルカは自分に言い聞かせる。  その時、背後で典雅な声が静かに響いた。 「相変わらず不器用なことをやっているな、ウォーレン・アウルスバーグ」  振り向くとそこには、少女を連れた一人の女性が立っていた。目鼻立ちのくっきりした淡麗な表情の美人だ。凛々しい雰囲気はどこか、ルーンにも似ている。その類似点をオルカは咄嗟に感じ取った。同じモンスターハンター、それもかなりの腕の人間だ。  立ち上がったウィルが、珍しく身を正した。  彼をフルネームで呼び捨てた女性もまた、僅かに緊張感を高めて声音を作る。 「鉄騎百人隊長ウォーレン・アウルスバーグ、任務遂行御苦労! ……砌宮家に戻ったか、あれは」 「ええ、まあ。ちょっと紆余曲折はありましたが、任務完了って奴でさあ」 「……相変わらずそうやって、嫌な役ばかり引き受けているのか。馬鹿な男だ」 「お互い様では? 団長殿」  ニヤリと笑い合う二人を交互に見て、唖然とするオルカ。その耳元に口を寄せて、アニエスが囁いた。 「あの女性、傭兵団鉄騎の団長です。クレア・ライネックス……以前ちらりと見た覚えが」 「鉄騎の団長? じゃ、じゃあ」 「ウィルの上司ということになりますね」  クレアは肩を寄せ合うオルカとアニエスを一瞥すると、再びウィルへと向き直った。その声が鋭さを増して、カミソリのように吸い込まれてゆく。オルカの目にも、ウィルが言葉の刃で切り刻まれるのが見えた。 「それで? 先日の報告書の真意を問いたださせてもらう。……貴様は馬鹿か!」 「ハッ! 光栄であります」 「褒めてなどいない。そんなだからいつまでたっても百人隊長止まりなのだ。度重なる素行不良、不純異性交遊、賭博……まったく」  なんの話をしているのかと首をひねるオルカだが、心当たりがあった。 「ウォーレン・アウルスバーグ。原隊復帰は命令だ。鉄騎に戻れ」 「お断りします、団長殿。自分は引き続き、このモガの村で防衛にあたります。ナバルデウスと戦います」 「……命を捨てる気か」 「捨てるもなにも……男を曲げて背を向けるくらいなら、ハナから命なぞないも同じでしてね」  ウィルはそう言って涼しげに笑う。クレアもまた、やれやれといった様子で柳眉を下げると乾いた笑いを零した。 「ふん、馬鹿かと思ってはいたが違うな……大馬鹿者だ。やれやれ、いいだろう」  クレアが指をパチン! と鳴らすと、背後で待っていた少女が駆けて来る。その手に巨大な荷物が、大量の護符で封印されて抱えられていた。その中身がなんなのか知らないままに、オルカは背筋が寒くなるのを感じていた。