狭いテーブルを挟んだ密室は、狩猟船の兄弟達が突貫工事で作ってくれた臨時ベースキャンプ。海深く、古塔の海底遺跡内部に設置され、空気を満たして気圧を保っている。ナバルデウスを待ち受けるオルカ達は、肩が触れ合うほどに狭い中で最後の準備に大忙しだった。そして、オルカはことさら狭い思いをしながらせっせと調合に手を動かす。  丸い小窓の外には、薄暗い遺跡がどこまでも上へと続き、天高く海の彼方に陽光はもう見えない。 「なあ、姉者……ノエルもだ。どうして二人共、オルカの隣に座っているのだ」  せっせと秘薬を調合しながら、オルカの対面に座る夜詩が不満の声をあげる。  だが、言葉を向けられた姉も仲間も、作業の手を止めずに冷たい言葉で斬って捨てた。 「うるさい、口を動かす暇があったら手を動かせ」 「だってさ、ヤッシー……君、暑苦しいんだもん。アグナ防具の燃燐がさ」  それで左右から圧迫されているオルカは、苦笑しつつも生命の粉塵を作る作業にとりかかる。不死虫を竜の牙と合わせてすりつぶす傍ら、「じゃあ俺がヤッシーさんの隣に」と腰を浮かしかけた。だが、左右からガシリと腕を胸に抱かれ、再び二人の間に座らされる。その時、珍しくオルカはルーンの弱気な言葉を聞いた。 「……最後になるかもしれない時間だ。せめていい男の隣にいるくらいは許してもらいたいものだな」 「ルーン……」 「まあ、死ぬ気はない。ざくろの元へ私は帰らねばならないからな。だが、もしもという時は」  だが、逆の隣から声があがって、各種薬品をビンに調合し終えたノエルが手伝うべく竜の爪を取り出した。 「珍しいね、あんたでも弱気になるんだ? あたしもそりゃ怖いけど……ちょっと? ううん、かなり」  ――かなり、ドキドキワクワクしている。そう言ってノエルははにかんだ。彼女の手が渡してくる竜の爪も交えて粉塵を作りつつ、オルカも笑みを返す。それで表情の固かったルーンも、ようやく笑顔を見せてくれた。  その時、立ち上がった夜詩がポーチにアイテムをしまうと同時に叫ぶ。  それは、周囲の薄暗い景色がまばゆい光に照らされ真昼のように明るくなるのと同時だった。 「来たぞ、みんなっ! 今こそ最終決戦の時っ! いざゆかん……注水っ!」  部屋の壁に備えられたレバーを、夜詩が気取ったポーズで勢い良くガチャンと下ろす。今まで室内を満たして循環していた空気が抜けてゆき、代わってじわじわと水が室内へ入ってきた。意を決してオルカも、ルーンやノエルと共に立ち上がる。互いに増息薬を飲み込み、肺腑の中で酸素が湧き上がる奇妙な感覚にオルカは気を引き締めた。そして室内を海水が満たし、その水圧に慣れると同時に四人は部屋の外へと飛び出した。  頭上に今、とぐろを巻いて身を丸める巨大なナバルデウスが浮かんでいた。  そして、その頭部に立つ灼炎の裸体に誰もが言葉を失う。 「エル、エルグリーズ! ……何が、どうしてお前が」 「まってルーン、様子がおかしいよ。遥斗が言ってた、最近エルの様子がおかしいって。もしかして」  ルーンとノエルの動揺も顕だったが、腕組み仁王立ちでバリスタの砲身に己をそびえ立たせる夜詩が叫んだ。 「おのれ古龍、モガの村を脅かす災厄め! モガの森の魔女を操っているのだな! 本で見たことが、あぁるっ!」  ルーンが「愚弟は絵物語しか読まんのだ、すまん」と耳打ちしてくる。それでも夜詩は背負ったスラッシュアクスを展開させれうと、そこへ雷狼竜の力を集めて刃に稲光をスパークさせる。  その時、脳裏に直接響く声がオルカ達四人の総身を震わせた。 「人間達よ、儚き定命の者よ。三獄の星龍が一つ、深淵の海皇を持ちって我が裁く……滅せよ!」 「くっ、なんてプレッシャー! それにこの声……エルじゃない」  オルカもまた武器を展開し、変形レバーに手応えが戻っていることを確認する。オルカのソルクラッシャーは今、内部に封じられた太古のロストテクノロジー、封龍ビンに力を凝縮させている。そう、この手に刃を秘めて握られた剛斧こそ、封龍剣【刹一門】……いにしえの民が龍を狩る為に作り出した必殺の刃。それは今、迫るナバルデウスの因子に呼応して発動の時を待ちわびている。  そう、原理は不明だが封龍ビンは特殊……相手が持つ龍の因子でチャージされるのだ。故に過去、風牙竜や海竜等、竜をも超越しつつある銘入クラスに反応したのだ。だが、どうして古龍と飛竜が同じ因子を持つのか、それはまだわからない。 「我が古塔を掌握、起動する覇道を阻むならば……裁きをもって汝等に死を!」  吠え荒ぶナバルデウスの巨体が、信じられないスピードで海流を生み出し渦を巻きながら海底遺跡内を泳ぐ。オルカ達も必死で手足を動かし追うが、ここは地に足の着いた陸地ではない。大海龍が支配する絶対不利の聖域なのだ。 「ノエル、援護を! オルカは愚弟を頼む」 「ルーン、突出しては! 熱くなるな、冷静に」 「……何があった、エル。いや、何かあったな……本意ではない、それだけはわかるぞ。わかる、なら!」  全身で流れに逆らい、ルーンが渦巻く中で身をもたげたナバルデウスへと飛び込んでゆく。その手はまだ、背の大剣を握ってはいない。姉弟お揃いのジンオウガ武器だが、その必殺の刃はルーンの背中でくすぶっていた。バチバチと蒼雷を閃かせる背が、どんどんオルカの視界から遠ざかってゆく。 「ヤッシーさん、ルーンをフォローしよう!」 「ヤッシーではない、夜詩だ! ……すまんな、姉者のために。オルカ、お前はイイ男だ」 「な、何を突然……夜詩さんだって、お姉さん思いじゃないですか」 「フッ、それほどでもない。さあ、片付けて一杯やるぞ! この戦いが終わったらオレは――」  アグナコトルの素材で作られた紅白の鎧姿が、突然オルカの視界から消えた。ナバルデウスのとぐろを巻く巨体の尾が、水圧をまとって叩き付けられたのだ。同時にオルカは、遠くへと首を巡らせ周囲の海水が吸い込まれてゆくのを感じる。  目を凝らせば、片方だけ発達した角へとしがみついて、ルーンがエルグリーズへと肉薄しようとしている。 「オルカ、ルーンを! ヤッシーはあたしに任せなって」 「すまない、ノエル! ルーン、今行くっ」  縦横無尽にナバルデウスの尾が動き回る中、必死でオルカは泳ぐ。迫る水流は渦となって身を翻弄し、ともすれば流され外壁に叩き付けられそうになる。それでもオルカは、海水を大きく吸い込むナバルデウスの頭部に立ち上がるルーンを見た。彼女は今、しなやかな肢体を燃え上がる怒髪天で照らしたエルグリーズへ相克する。 「……何をしている、エル。お前はこんな娘ではない筈だ。モガの森に帰ろう」 「汝が言う存在はもう、我の中に封じられた。シークモードは仮初の虚ろな魂に過ぎぬ」 「エル、鉄鉱石が足りないんだ。大地の結晶も。掘ってきてくれないか?」  周囲の海水を沸騰させ、その泡立つ白い濁流を身にまとったエルグリーズ。ルーンはその熱湯にも似た中を歩み寄って手を伸べる。 「ざくろが心配するだろ、エル。あれは料理が好きでな、エルが美味そうに食べると喜ぶんだ」 「汝は今、無駄なことをしている。愚かしい……それほどの力を持ちながら何故、斯様なまでに無様か」 「私は採集は苦手でな、エルのお陰で助かっている。言ったことはなかったな……ふふ、さあ帰ろう」  だが、返事は言葉ではなく切っ先だった。エルグリーズは海水が集束するナバルデウスの上で、赤々と燃える髪から紅蓮の業火を抜き放つ。同時に響き渡る声に、オルカは頭の奥がキリキリと痛むのを感じた。 「――死神モ滅スル熱キ剣。さあ、愚者に裁きを。汝の命運は尽きた、価値なきものに命はいらぬ」 「エルッ! 私達の村に、モガの村に帰って来いっ! ……あそこがお前の、ふるさとだから」  エルグリーズの手に巨大な燃え盛る大剣が現れ、それが無慈悲に振り下ろされる。  たまらず抜刀と同時に受け止めたルーンだが、あまりに強烈な熱風に纏うナルガ防具が発火した。燃え盛る炎に包まれながらしかし、ルーンは手にした雷神の剣でエルグリーズに潜む悪意を押し返す。 「……エルッ! お前という奴は……どうしていつも聞き分けがない! いつもいつも、いつでも、いつまでも!」 「!? ……ば、馬鹿な……この我が、押し返される!」  先程の優しげな声を振り払って、ルーンが叫ぶと同時に一歩を踏み込む。エルグリーズはその表情を醜悪に歪め、驚愕に慄きながら一歩下がった。  オルカの目にも、初めて怒りに燃えるルーンの姿がありありと見えた。 「私が何度言っても! お前は! 秘薬を持ち歩かない!」 「クッ、馬鹿な……生身の人間にこれだけの力が……深淵の海皇を制御するのにリソースが」 「秘薬を渡しても飲まない! なのにピッケルと虫あみは手放さない! このっ、大馬鹿者っ!」 「……よかろう、人間。汝の蛮勇に死を持って応えよう。星に眠れる我の真肉よ……力を!」  エルグリーズの白い肌が、突然髪から溢れ出た焔に包まれてゆく。それは四肢に行き渡って鎧を象った。逆に燃えたぎる防具を脱ぎ捨てたルーンの太刀筋は、激昂に叫んでいてもエルグリーズを斬ることができない。致命打を外して振るわれる剣が、現れた烈火の黒鱗と燃殻に阻まれる。 「煉嶽の焔帝が力を見よ。光炎の魔女に焼かれて滅するがいい」  エルグリーズは今、禍々しく威厳をたたえた燃え盛る鎧に全身を包んでいた。  そして、その手に燃え滾る剣を裸のルーンへと振り下ろす。 「お前は、大馬鹿者だ……私が、いないと、駄目なんだ……エル」  荒れ狂う炎が一瞬でルーンを飲み込んだ。だが、その中から焔の壁を突き破って、ルーンがエルグリーズに肉薄する。虚を疲れたエルグリーズの胴を薙ぐ一撃はしかし、当たってはいなかった。紙一重のところで、ルーンはやはりエルグリーズを斬れなかった。 「……愚かな。千載一遇の好機を前に」  震えて固まるルーンの首を掴んで、グイと眼前に引き寄せるエルグリーズ。 「だから……顔が近い、エル。……ああ、また泣いてるなお前は。今、助けて、やる、から」 「爆ぜろ!」  爆風が紅蓮の炎を咲かせて、ルーンを吹き飛ばした。  仲間達の絶叫に押し出されて、喉の奥から咆哮を迸らせるオルカが疾風になる。  だがその時、周囲の水圧をたいらげたナバルデウスの顎門から、苛烈な白い奔流が迸った。胎内で高圧縮された水のブレスは、ルーンを助けるべく泳ぐハンター達をあっという間に飲み込んでいった。