モガの村は救われた。その足元から海底へと伸びる、古塔遺跡の中に巨大なナバルデウスの亡骸を抱いたまま。圧倒的なスケールの古龍を討伐した恩恵は計り知れない。村の存亡の危機が払われたばかりか、古龍一匹まるまるの素材が手に入ったのだ。交易船の船長は桁が足りなくなってそろばんを並列に計算に大忙しで、村長達も村の無事を祝う宴の準備で大慌て。だが、祝宴の主役たるモンスターハンター達は落ち込んでいた。  オルカもまた例外ではなく、それ以上に沈んだ遥斗を前に言葉もない。  突如様変わりで変貌したエルグリーズは、光となって消えてしまったのだ。 「元気出しなよ、遥斗。こゆ時はさ、ハンターが落ち込んでちゃ駄目だって」 「……ノエルさん」  ここは遥斗の自室、ちょっと前までは時々エルグリーズがだらけてくつろいでいた部屋だ。その隅にあるベッドに腰掛け、膝の上に手を組み頭を沈める遥斗の姿が痛々しい。壁により掛かるオルカは、こんな時にかけてやる言葉も見つからず、弟分の力になれない自分が悔しかった。  そっとベッドに腰掛け寄り添うノエルが、華奢な遥斗の肩を抱いてやる。 「あたし達は村のために戦って、勝利したんだ。勝ったんだよ。だから、今は勝利者の顔をしなきゃ」 「でも、でもエルが……いったいエルに何が」 「ウィルがツテを使って調べてくれてる。だから、今は村のために元気出さなきゃ」  ね? と遥斗のうつむく顔を覗きこんで、ノエルがぽんぽんと優しく背を叩く。男勝りで勝ち気な少女ハンターの、意外な一面にオルカは心の中で感謝した。  だが、遥斗だけではない……モガの村のハンター達は皆、大きなダメージを負った。  誰も彼もが防具は傷付き損なわれ、狩りの生活に復帰するには多大な労力と資金、なにより時間が必要とされるだろう。その見返りに大海龍ナバルデウスの素材は大きかったが、それを加工して武具にするには、ハンターの数が多過ぎる。今も村人達が交代で潜って剥ぎ取っているが、大半は村の復興に使われることになるだろう。  オルカ自身、風牙竜の防具は破損が酷くて、これ以上は修繕して使うことはできそうもない。  食堂の方から、ここ数日萎えて久しい食欲を優しく刺激する香りが漂ってきたのは、そんな時だった。 「オルカ、ノエルも。遥斗の部屋にいるな? 食堂に来て欲しいそうだ」  基本的に部屋にドアのないハンター達の共同ホームで、のれんの向こうからルーンの声がする。彼女もまたどこか疲れた様子で、億劫そうな声が沈んで聞こえる。いつでも凛として涼やかで、思慮深さを感じさせる理知的な声音は今はない。このモガの村の筆頭ハンターですら、貴重な迅竜素材を紡いで束ねた防具を全て失ったのだ。 「遥斗、少し何か食べたほうがいい。空きっ腹で大宴会に招かれ飲まされると、あっという間に潰れちゃうしね?」 「そうだよ、夜までに少し食べよ? ね、遥斗」  昼時には少し早いが、ここ数日の時間間隔はオルカ達には少し狂っている。起きていれば事後処理に忙しかったし、前人未到の古龍退治の後始末もあった。そして、そうした多忙の合間には疲れた身体が無制限に睡眠を要求したし、交代で誰もが泥のように眠ったのだ。食事らしい食事も食べてなかったし、携帯食料のもそもそとした不味ささえ感じない日々が続いた。  だからだろうか、このなんとも香ばしい匂いがオルカに腹の音を連れてくる。  ノエルがそっと遥斗の手を引き立たせると、オルカもまた部屋を出た。  そうしてルーンと四人、食堂に行ってみると……そこには、圧巻の光景が広がっていた。 「おう、来たかい? 遅いじゃねえの。お前達で最後だぜ」 「うむっ! 姉者もオルカも、ノエルも遥斗も! 早く席につくのだ!」  そこでは、ウィルが夜詩と酒を酌み交わしていた。対面に座る二人の間には、テーブルにところ狭しと料理が並んでいる。どれも作りたてで湯気を発して香気を巻き上げ、それらが入り混じって満ちる食堂の空気がオルカの中に食欲を呼び覚ます。肉は油の中で弾けた後に旨みを閉じ込めて並び、魚介はスープや煮込みとなって互いの領海を奪い合っていた。山盛りのサラダボウルには蒸した鶏肉がのってるのもあれば、新鮮なエビが添えられているのもある。  その時、エプロン姿のアニエスを連れて台所からこの家の主が現れた。 「さあ、みなさん! ゴハンですよぉ〜」  満面の笑みでざくろが、両手に一杯のどんぶりを皆に配り出す。炊きたてのどんぶり飯には、銀シャリが立って湯気をくゆらしていた。渡されるままに受け取ったオルカの隣でしかし、遥斗が心ここにあらずという声をくぐもらせる。 「こんな時にごはんを食べてる場合じゃ……エルを助けにいかなきゃ」 「こんな時だから、ですよ。遥斗さんっ、いっぱい食べないと動けなくなりますっ!」  ざくろの笑みはまるで母親のようで、この場の全員に向けられる。彼女の手料理の数々が、オルカ達にようやく日常への帰還を実感させた。ざくろは自分の席に座って「いただきますっ」と手を合わせるや、皆の小皿に料理を山盛りでとりわけ始めた。オルカの前にも、ドン! と龍頭の一番美味しいところが置かれる。 「みなさん、食べましょう! お腹いっぱい食べて、元気を出しましょう!」 「ざくろさん……」 「私は狩りはさっぱりで、皆さんが戦ってる間も家事をしてました。掃除も洗濯も、あと料理の準備も」  ざくろは自分でもどんぶり飯に棘肉の炒め物を乗せて、それを隣のルーンにも分けてやると食べ始めた。見事な食いっぷりで箸を動かす彼女は、本当に美味しそうに自画自賛で自分の料理を褒めつつ言葉を続ける。 「空元気でも元気、いっぱい食べてしっかり力をつけなきゃ。まだまだこれからなんですから」 「……フッ、そうだな。みんな、食べよう。おい愚弟、酒をもっと出さんか。皆にも注がねば」  呆気にとられていたルーンが、最初にざくろの雰囲気に合一して箸を手にした。生活を共にする伴侶同士、この二人には性別を超えた不思議な絆がある。そして、待ってましたとばかりに酒瓶を両手に立ち上がる夜詩と一緒に、ルーンは皆のグラスに酒を注いで回った。まだまだ日は高いし雑務も残ってる、それに夜に本格的な宴が待っているのだ。だが、少量の冷たい果実酒が、オルカの蘇った食欲を更に高める。 「私、腕によりをかけて作りました! さあ、まだまだおかわりありますからねえ〜」 「だってさ、遥斗。食べなって。男の子でしょ、しっかり食べて明日からまたがんばろ?」 「……はい。そうですよね、僕は何を一人で焦って……皆さんも大変なのに」  ようやく遥斗も料理に手を伸ばした。それに安心したのか、ノエルも旺盛な食欲で片っ端から食べ始める。 「やっぱざくろは料理上手いね、あたしもこれくらいできればなあ……あ、ヤッシー、ちょっとソース取って」 「うむ、これであるな? 投げるがいいか?」 「ちょい待ち、それはマヨネーズ! ドス揚げにマヨネーズかける馬鹿がいる? ソースだよ、ソース」 「ハッハッハ! 男は度胸! 試して見るものだぞ、ノエルよ」 「あたし女だい……っとっとっと、結局マヨネーズかいっ! いいよもう」  こうして賑やかな昼食が始まって、オルカも久方ぶりに人間らしい食事を取って心身を落ち着ける。  オルカの身に一番しみたのは、熱く湯気を巻き上げる一杯のスープだ。この澄んだ透明感の中に、ウミガメの旨みが凝縮されてて、一口飲んだオルカの五臓六腑に染みこんでゆく。具材は少なくシンプルで、海藻と僅かな貝だけ。だが、オルカにはそれが広い海の縮図にも感じた。災いも恵みも運んでモガの村を包む、この世界の広い海。  再度今度は半分ほどを一気に喉の奥へと流し込み、オルカは法悦の溜息を長くこぼした。 「ざくろさん、美味しいです。特にこのスープが……海、なんですね。この村の全ては」 「おかわりありますよ、オルカさん。どんっどん! 食べてくださいね」  ひとごこちついて、オルカに文化的な人間性あふるる生活感が蘇る。それで今度は肉や魚に手が伸びて、気付けばルーンがボトルを向けてくるので果実酒も二杯目を飲んだ。その間、狩りの話題は出なかったし、エルグリーズのことも忘れたかのように誰も語らない。ひょっとしたらざくろには、エルグリーズの詳細は伝わっていないし、伏せられているのかとも思った。だが、このモガの村のおふくろさんのような世話好きハンターは、全てを知ってて笑顔で黙っていてくれるのかもしれない。 「美味いねえ、こりゃ西シュレイドで店が出せるぜ? 五つ星レベルの味さ」 「あらあら、ウィルさんってばお上手。でも、野菜もちゃんと食べてくださいね? はいっ、大盛り」 「ぐっ! ……い、いただきます。しっかしルーン、お前も果報者だな、ええ? おい」  ウィルは取り皿に小山となった野菜の煮物を手に、フォークを口に加えたままニヤニヤと笑う。ざくろの隣でルーンも、まんざらでもない様子で「まあな」と言葉を濁した。だが、ウィルのいじりは終わらない。 「ざくろちゃん、よかったら毎日俺の朝飯を作ってくれねえかなあ? 仕事が終わって国に帰る後もよ」  ぶーっ! とルーンが酒を吹き出して、笑顔で骨付き肉をかじっていた夜詩の顔がびしょ濡れになる。 「あらあらあ、ウィルさんたらお上手。今も一日三食、みなさんのお料理作ってますよぉ?」 「俺だけに作って欲しいのさ」 「それは無理ですよぉ、だって私はルーンと一緒なんですもの」 「安心しろ! このウォーレン・アウルスバーグ、甲斐性はある方でね……二人一緒に面倒みるぜ?」  再び、ぶふーっ! とルーンが酒を吹き出した。手ぬぐいで顔を吹き終えた夜詩の顔が、再びびしょ濡れになる。 「お前は何を言っているんだ? ……ざくろはやらん、私のだ」 「や、お前ごと愛する自信あんだけどよ。あ、お前は家事やらなくていいぞ。駄目っぽいからな、そゆの全然」 「だっ、駄目なのではない! やればできる! やらないだけだ! ……ざくろがやらせてくれないのだ」  だって大惨事なんですもの、とざくろが笑う。それで食卓の雰囲気がさらに和んで笑いが連鎖した。  そんな中、オルカの隣で遥斗が酒のボトルを手に取った。 「オルカ、お疲れ様です。今日はもう、難しいことを考えるのはやめにしました」 「遥斗……気持ちはみんな同じだよ。同じだから、ざくろさんが配慮してくれたんだ」 「はい。この後は仕事は全部明日に回して少し休んで……夜は村のみんなと騒ごうと思います」 「それがいいよ。俺もそうするさ」  遥斗の酌を受けつつ返杯して、二人はチン! とグラス同士を合わせて奏でた。  新たなる激闘を前に、祝の宴を待つささやかな昼食会だった。