モガの村に平和が戻りつつあった。地震の恐怖は過ぎ去り、海は静かに凪いで交易と漁益をもたらし風を運ぶ。大海龍ナバルデウスが目指した海底の古塔も、あの日以来沈黙してしまったままだ。  おだやかな日常は、モガの森の魔女を失ったまま元通りに村中を活気づかせていた。  多くの痛手を被りながらも、村のモンスターハンター達もまた立ち上がりつつあった。 「G級狩猟、解禁? そ、それって……」  鍛冶屋で防具の新調をと思って、しかし手持ちの素材も少なく頭をいためていたオルカの声。それは、駆けつけた遥斗の弾んだ言葉を聞いての返事だった。 「はい、僕もさっきアイシャさんから聞きました。G級狩猟、解禁だそうです」 「……そうか。こんな時に。いや、こんな時だからこそ、か」  ――G級狩猟。  それは、全てのモンスターハンターが目指す狩りの頂。大自然に生きる者の高みの果て。一部のハンターにしか出入りを許されない、禁断の狩猟地がこの世界のどこかに存在するのだ。ギルドは徹底した情報操作でそれを管理し、選ばれた者のみにそこでの狩りを許す。それは、人類がこの星の自然の一部として、自然そのものに挑む生存闘争の最前線と言えた。  果たして、人類の文明はどこまで大自然に通用するのか?  飛竜を狩って竜の武具を纏い、古龍を追って龍の力に抗い生きる。  今では忘れ去られた太古の超文明、その残滓ですら利用して生き続ける。  そのための大いなる挑戦、それがG級だ。 「参ったな、素っ裸で困ってる時に」 「そう言うわりには嫌な顔してませんね、オルカ。僕も同じです」  遥斗にも伝わってしまったのだろう。オルカの顔は今、言葉とは裏腹に探究心と好奇心で笑みが輝いていた。ギルドに背いてまでモガの村を守り、ナバルデウスの討伐という偉業を達成したことが評価につながったのだ。だが、それすらも余録に過ぎない。外の世界ではオルカは稀代の英雄として噂され、タンジアの港にはオルカ達モガの村のハンターを称える詩が満ちているというのに。ただオルカには、G級クエストへと挑めることだけが嬉しかった。それ以外は何もいらない、そこで得られる素材ですらついでにすぎない。 「そうと決まれば、武具をなんとなしないとな……まあ、武器はいいとして」  ちらりとオルカは、工房の奥でばらされメンテナンスを受ける愛用の武器を見やる。ソルクラッシャーは今、オルカの英断で完全分解しての整備を受けていた。太古の遺産である封龍剣は、今の技術でばらせば破損する恐れもあるし、未知の科学で封入されていた力が失われることもあるだろう。だが、オルカにとっては命を預ける武器……その手入れを怠れば、信用と信頼を乗せて振ることができなくなってしまう。  太古の昔、封龍士の一門が鍛えし一振り……現代の技術では製造も再現も不可能な、封龍ビンを秘めた剣斧。その特性は、相手に強力な龍の因子がある時のみチャージされ、圧倒的な破壊力を生み出す。 「まあ、防具だよね、まずは。遥斗、君はどうするんだい?」  遥斗もまた、オルカと色違いのおそろいを愛用していたが、それももうボロボロだ。ほぼ全員のハンターが工房から「新調したほうが早いし安い」と通知を受けていたし、ルーンに至っては全て燃え尽き消滅していた。それでも、裸でG級のクエストに挑むことは死を意味する。最低限、今までと同水準の防具調達は急務と言えた。 「よぉオルカ。いいツラしてるじゃねえか……G級解禁の話を聞いたみてえだな」  その声に振り返れば、肩に大荷物をかついだウィルの姿があった。横には鉄騎での同僚、うにとろの姿がある。彼がざっくばらんにロープで縛ってまとめ担ぐのは、あの大海龍ナバルデウスから剥ぎ取った素材だ。後にギルドが正式な討伐クエストとして認定し、遅れながら報酬として届けてくれた分もあるだろう。  一目で武具の新調と知れたし、あのナバルデウスの素材ならば途方も無い強力な物が作られるだろう。  だが、意外にもウィルは「ほらよ」とそれをオルカに軽々放ってきた。慌てて受け取りよろけて、オルカは遥斗に支えられる。 「え、えっ? ウィル、これは」 「んー、いらねえなあと思ってよ。半端に一匹分あっても、双剣も防具も作れやしねえ」  な? とウィルは隣のうにとろの華奢な肩を抱き寄せて覗き込み、こちょこちょと指でその頬をなでてやっている。うにとろは困って赤面に俯きながらも、なんだか悪い気がしない様子でされるがままだった。  ウィルは相変わらずの女ったらしを発揮しつつ、どうでもいいことのように気のない声で言葉を綴る。 「オルカ、悪いがそいつを引き取ってくれよ。お前さんのと合わせりゃ、防具の新調もできらあ」 「でもウィル、モンスターハンターは」 「じゃあお前さん、裸でG級に挑もうってのかい?」 「それは……でも、武具屋で少しは防具の品揃えが」  モンスターハンターは、自らが倒して剥ぎとった素材でしか、己の武具を調達しない。それはいわば、暗黙の了解であり狩人の矜持だった。だから自ずと、ハンターの身なりを見れば実力がわかるのだ。レウス装備を着るものはリオレウスに勝り、ティガ装備を背負うものはティガレックスを征した……それがモンスターハンター達のルールだ。  だが、ウィルは僅かに目元を険しく真剣に声をとがらせる。 「オルカ、俺ぁG級は初めてじゃねえ……だから言える。G級をなめるな。店売り防具? 死にたいのかよ」 「ウィル……」 「俺達がナバルデウスを倒した、そしてお前が一番働いたんだ。ルーンもアニエスもノエルも、みんな認めてる」  ついでにヤッシーもな、と笑ってようやく陽気な顔に戻るウィル。  そこまで言われて断れば、ウォーレン・アウルスバーグという一流ハンターの厚意を汚すことになるとオルカも察した。そういう理屈でハンターの禁を犯してまで、この男はオルカの身を案じてくれるのだ。 「それとよ、おい。うにとろ、新しい防具のことをこいつらに説明してくれよ」 「は、はいっ! えと、オルカさん、そして遥斗さん、おめでとうございます」  今までウィルの胸に抱かれてぽーっとしてたうにとろが、正気に戻るや喋り出した。 「これからお二人はG級ハンターとして、XシリーズとZシリーズの制作が許されます」  それは、G級のモンスター達が持つ最高水準の素材を用いた、圧倒的な性能を誇る防具の総称だ。そして、オルカが今持つナバルデウスの素材こそ、それに匹敵する品質だと彼女は言う。G級ハンターが身に纏うG級防具は、驚異的な防御力に加えて数多のまじないで加護が宿り、複数の強力なスキルが発現するという。それだけハンターに勇気を与える品なのだ。 「ただ、お金と時間がかかるので、今すぐヘリオス装備が使える訳ではありませんが」 「ヘリオス?」 「はい、ナバルデウスの甲皮や鱗で紡がれる最強の狩衣……白亜のヘリオスXと、漆黒のヘリオスZ」  聞けば、百年近く前にもナバルデウスが別の海で暴れ、ギルドは当時の鉄騎と連携して多大な犠牲を払い討伐したとか。その時に現れたのは、左右の角が対象で亜種と称されているらしい。その素材は百年間保管され、鉄騎の現団長クレア・ライネックスの計らいでもうすぐ送られてくるとか。 「それはそうと、手紙が来てたぜ? ほらよ、オルカ。……懐かしい名前だよな」  ウィルは無造作にがさごそと胸元に手をつっこみ、そこから一通の手紙を取り出す。差出人はユクモ村で一緒だった親友のもので、その几帳面な文字はいかにも習ったままを正確にという、彼の性格そのものにオルカには感じられた。 「アズラエルさんからの手紙ですね。僕、この間はお世話になりました」 「うん、なんだろう……!?」  封筒を開いて便箋に目を落とし、簡潔に過ぎる文章を目で追ってオルカは驚愕した。  ――ユクモ村、古龍に襲われる。柳の社を解き放たれた嵐龍の脅威を追うとだけ、アズラエルの文章は綴っていた。その短い文脈の中で、手の開いているアズラエルだけが向かったという。サキネは妊娠が発覚して村に残り、他の仲間も皆不在……コウジンサイは未だ怪我で臥せっている。ドンドルマへの帰宅を切り上げ、アズラエルはタンジアの港から直行したらしい。  場所は、シキ国は冴津の奥にある秘境、霊峰……まだ見ぬ狩場で今、友は単身で古龍と戦っていた。  慌てて封筒を裏返せば、出された日付は三日前でタンジアの港のものだ。 「……その様子じゃ、やべえ話になってるみてえだな。話せよ、オルカ」 「友達が、仲間が……一人で、古龍に」 「アズラエルさんが!? オルカ、助けに行きましょう!」  しがみつくように身を乗り出してくる遥斗の言葉が嬉しいし、言わなくても同じ気持ちを伝えてくるウィルがありがたい。三人で駆けつけ、四人で挑めばあるいは……だが、間に合うだろうか。胸中を冷たく黒い霧が満たす中、再度手紙を読み終えて最後にオルカは恐ろしい文言を見つけた。それを遥斗に伝えるかどうか迷ったが、重々しく口を開く。 「その古龍は、赤い髪の魔女に連れられていたそうだよ……遥斗」  遥斗の顔からさっと血の気が引く。もとより色白な彼は、陶磁器のように真っ白になって俯いてしまった。 「とりあえず、ユクモ村に行きます! 遥斗、準備を……遥斗! しっかりするんだ、君がそんなでどうする」 「は、はいっ! そうでした、僕はまた……僕も行きます、駄目だといってもついてきますから!」  だが、現実には防具がない。そして恐らく、霊峰でアズラエルが対峙する古龍は、あの柳の社に雷神風神の封印で秘められていたモノは、G級に匹敵する力があるだろう。店売りの防具では裸同然で、しかし打つ手がない。ここに今、最強のヘリオスシリーズを作る素材があるのに、時間の都合上間に合わない。もっと短時間で作れて、それなりの防御があり、龍耐性の高い防具……  そんな時、足元で声があがった。 「旦那さん、お困りかニャア」 「旦那さん方、そんな顔は似合わないニャ」 「ボク達でなにか助けになれないかと思ったんニャけど……こんなものしかないニャア」  ふと見下ろせば、農場の管理をしてくれてるアイルー達が目を潤ませ見上げている。 「ボク達、逃げ出してしまったニャア。でも、ボク達が逃げて捨てた場所、旦那さんが守ってくれたニャ」 「だから今度は、ボク達が力になりたいニャ……話は聞かせてもらったニャ!」  アイルー達は籠に一杯の雷光虫や光蟲を差し出してくる。どうにもならない、素材ですらない消耗品だったが気持ちがありがたくて胸が熱くなる。そしてその中に、オルカは勝利の鍵を見つけてそっとつまみ上げた。 「ウィル、遥斗も。夕方には出発するよ……これで防具を作ろう」  オルカの指先には今、夜色の藍に羽を彩る一羽の蝶が羽撃いていた。