オルカの剣が切り裂き断ち割った海は今、雨となって降り注ぐ。その大瀑布を全身で水蒸気に変えながら、ついにグラン・ミラオスの全身が水面下より顕になる。上陸を果たしたその巨躯は、全身に走るマグマを烈火と迸らせていた。  大質量が巻き起こす荒波にもまれて、渚に嵐が吹き荒れていた。  そんな最中でもオルカは、身に鞭打って砂浜へと泳ぎ着く。だが、限界を超えた肉体にヘリオスX一式が重く、乳酸の溜まった筋肉は灼けるように熱い。熱砂の如き灼熱の砂へと膝をついて、それでも一歩前へとオルカは手を伸ばす。  見上げればすぐそこへ迫ったタンジアの港町を、不敵に睥睨する煉黒龍の姿があった。 「くっ、まだ、まだああっ! たかだか古龍一匹っ、海の彼方へ押し返して、やるっ!」  自分の肉体を叱咤して立ち上がり、そのままよろけながらもオルカは武器を構える。  そんな彼を出迎えたのは、見知った頼れる仲間たちだった。 「その意気だ、オルカ。まだ目は死んでいないな? ならば共に戦おう……この狩り、絶対に勝ち取る!」 「オルカさんっ、支給品が来てます! これを……ここからが正念場ですよ!」 「オルカァァァァァッ! オレは今、猛烈に燃えているぅぅぅぅっ! 今こそ、今こそ我ら一丸となっ、うぷぅ!」 「ヤッシー、暑苦しい! オルカ、あたしの矢が届いたんだね。さあ、決戦といこう」  誰もが傷つき疲労も色濃く、煤にまみれて血と汗を滲ませていた。  それでもルーンは普段通り泰然としていたし、その横に立つアニエスの表情にも悲壮感はない。夜詩はいつも通りに暑苦しく燃えているし、その脇腹を肘で小突くノエルも力強く頷いていた。 「みんな……まだ、やれるんだ。俺は、俺たちは。なら!」  周囲のハンターたちも皆、鬨の声をあげて走り出した。もはや四人一組の原則を言ってはいられない。目の前にいるのは、狩っては糧となり、狩られては餌となる大自然ではない。古龍としか形容できぬ正体不明の災害なのだ。神の気まぐれか悪魔の悪戯か、天地の狭間に跳梁跋扈する絶対脅威……古龍。その恐るべき力を前に人間は無力だ。  だが、オルカは知ってしまった。封龍剣に宿る英霊によって、遥か太古の辛酸と業苦を。  そして知っている……そんなものに挫けて負けるほど、人間は弱くはないと。  ましてオルカたちは、あらゆる摂理と生身で向き合う、モンスターハンターなのだから! 「おっしゃあ、やるぞオルカ! 見せてやろうぜ……封龍剣の力じゃねえ、俺たちハンターの力をよ」  背後でも声があがって、ずたぼろの戦衣をもろ肌脱ぐウィルが海から上がってきた。その横では、 「オルカ様、最後までお付き合いします。そして、誰かが最期を迎えることは、私が許しはしません」  アズラエルもヘヴィボウガンをリロードしながら、波間から立ち上がった。  皆、満身創痍で疲労もピークを迎えていた。  だが、その目に宿る光はどんどん強く輝きを増してゆく。 「よぉ、ルーン。お前、まだやれんのかよ」  グラン・ミラオスの巨体を見上げて、ウィルが雌雄一対の封龍剣【超絶一門】を研ぎだした。  ルーンもまた、辺獄の名を持つ獄狼竜の刃を背から構え直す。 「愚問だ、ウィル。モガの村のハンターをなめないでもらおう……海の民は皆、したたかで粘り強い」 「賭けるか? 勝った方が負けた方をデートに誘うってのはどうよ」 「フン、ざくろに相談してみないことにはな。まあ、首を縦に振るか、お前の首が飛ぶかは二つに一つ」 「おお怖っ! じゃあよ、みんなも。俺に策がある。……十分、いや五分でいい。奴の脚を止められるか?」  アニエスや夜詩を見て、最後にノエルやアズラエルのうなずきを拾ってルーンが静かに「ああ」と短く応えた。オルカもまた、ウィルに一計ありと知れば全力で援護、協力する所存だ。  よし、と無精髭を撫でてウィルは不意に封龍剣【超絶一門】を再び背に背負い直した。 「じゃ、頼んだぜ。奴ぁ胸のコアにエルを取り込みやがった」 「と、言うよりは、エル様に宿る何かが自ら飛び込んだ……そういう感じに見えましたが」  ウィルの言葉にアズラエルが追従する。  オルカも見た。既に肉声で空気を震わせるエルグリーズが、グラン・ミラオスの胸部に光るコアへと吸い込まれたのを。その瞬間より、怒れる煉黒龍の力はいよいよまして燃え盛り、ついに上陸を許してしまったのだ。 「待て、ウィル! オレは戦っていて感じた……奴は驚異的な再生能力を持っている。まさに不死身!」  夜詩が声を上げて、愚弟の言葉に重々しくルーンも首を縦に振る。  オルカも感じていた。強撃を加えて部位を破壊すると、グラン・ミラオスの全身を流れるマグマの流れを遮断することができる。だが、放っておくとコアからマグマが再び全身を巡り、瞬く間に部位が再生してしまうのだ。ハンターたちは犠牲に犠牲を積み重ねて、片方の翼を破壊するまでには至った……だが、その都度再生を許してしまい、決定打を与えることができずにいる。そして紅蓮の翼は復活するたびにマグマを天へと舞い上げた。それは流星となって街を焼き、狩場を……否、戦場を阿鼻叫喚の地獄絵図へと変えているのだ。 「へっ、気づいてたかヤッシー。そうさ、奴は今んとこ無敵に不死身だ。……今だけな」 「ぬううう、ウィル! オレや姉者にもわかるように話せ、ゲボゥ!」 「お前の脳みそと一緒にするな。……読めたぞ、ウィル。確か、右が三回、左が二回破壊確認の後に復活しているな」  ウィルは「ご名答」と頷くや、ちらりと砂浜の端を見やる。  そこには座礁して打ち上げられた狩猟船が傾きながら佇んでいた。 「あの翼は硬ぇ、けど、左右同時にぶっ壊さねえと復活するのさ」 「左右同時に……それは無理です、ウィル。バリスタや大砲も打ち込みました、ノエルだってずいぶんと狙撃で」  だが、ウィルはアニエスの反論を不敵な笑みで封じる。 「できるできねえじゃない……やるんだよ。俺たちでな。そういう訳だ、あとは頼んだぜ」  シュタッ、と手をあげると、ウィルは行ってしまった。まるでそう、ちょっと女でも調達してくらあ、という気軽さで。  残されたオルカたちは呆気にとられたが、周囲の喧騒と怒号、悲鳴が悠長にはさせてくれない。 「では征くか。オルカ、そっちは」 「ああ、アズさんです。ユクモ村で一緒でした。この間のナバルデウス戦でも手伝ってくれて」 「アズラエルと申します。以後、お見知り置きを」  軽く挨拶を済ませて支給品の分配を終えると、オルカたちは即座にグラン・ミラオスの背中に迫った。巨大な翼を広げるその異様は、最終防衛ラインを前に完璧に遠近感を狂わせていた。  そびえ立つグラン・ミラオスの尾が振るわれ、舞い上がる砂塵と烈風がオルカたちを襲う。  その猛攻の中、オルカは改めて古龍の恐ろしさに震撼していた。古龍はこちらを狙っての攻撃でなくとも、十二分に人間を殺せるのだ。戦う意志もなく、ただ生息しているだけで人間にとってはこの上ない脅威……それを取り除こうとすれば、本物の殺意と殺気を浴びかねない。そして、本気でこうして戦う意志をみせる古龍を前に、人間はあまりにも脆弱だ。  だが、無力ではないと己に言い聞かせてオルカは走る。 「オルカ! 上陸されて気付いたことがあるんだけど。ルーンも、みんなも、いい?」  ビンの中に劇薬を調合しながら、ノエルが声をあげた。叫ぶようなその声をしっかり拾って、ハンターたちの観察眼と知恵、そして洞察力と運が試される。これはもう博打にも等しい戦いだったが、僅かに望みがあればベストを尽くさずにはいられない。 「手短に頼むぞ、ノエル! アニエス、武器を研いでおけ……愚弟、貴様もだ」 「承知ぃ! 強撃ビン圧縮完了、ディスチャァァァァジッ! うおお、燃えよオレ!」 「ヤッシーさん、暑苦しいです……でも、ノエルさんの言わんとするところはわかりますよ」  ノエルは弓を展開しながら走りつつしゃべり続ける。 「尾の付け根! あそこにもマグマが凝縮された部位がある。あれは多分、第二のコアなんじゃないかな!」 「確かに……胸部のコアとは別に、あそこにマグマが集っているな。……ふっ、叩いてみるか。征くぞ!」  ノエルの声にルーンが呼応して雄叫びをあげる。その響きにオルカもアズラエルも、仲間たち全員が総身を震わせ声を張り上げた。今、この瞬間に最大の力をぶつける。ウィルが言ったのだ、僅かな時間でいいから脚を止めて欲しいと。信じる根拠はないし、勝利につながるという証拠もない。だが、あのウィルが発した言葉である、それだけでオルカには十分だった。 「全員で斬り掛かれ! アズラエルとノエルはありったけの矢と弾でブチ抜け。最後は愚弟、貴様と……オルカ!」  左右に揺れてハンターたちを吹き飛ばす尾を乗り越えると、ルーンが根本にのしかかるように斬撃を浴びせる。僅かに走った亀裂を広げるように、アニエスのランスが傷口を広げて引き裂いた。彼女がステップアウトしたスペースへと、オルカは夜詩と共に走る。まるでその道を導くように、矢と弾丸が雨となって注いだ。 「ヤッシーさん、属性解放でいきます!」 「応っ! たとえ内蔵されたビンが破裂しようとも……この瞬間に全てを賭ける! 今が、その時ぃぃぃぃぃっ!」  尾の付け根でにらぐマグマのコアへと、オルカは夜詩と共に刃を突き立てた。同時に変形レバーをねじ込めば、内蔵されし封龍剣【刹一門】の刃が圧縮された封龍ビンの力で解放される。そのままオルカは、夜詩と共に絶叫を張り上げた。  言葉にならない雄叫びが爆ぜて、二振りの剣斧より全力全開の一撃がグラン・ミラオスを貫く。  さしもの煉黒龍も大きくよろけて、その歩みを止めた、その時だった。 「この瞬間を……待っていた、ぜええええっ!」  大量のタル爆弾が起爆する音を引き連れ、座礁していた狩猟船がグラン・ミラオスへと飛び込んできた。その舳先に立つのは、誰であろうウィルだ。文字通り身を浴びせる狩猟船の上で、彼はあらん限りの力で跳躍、両足で巨大なスイッチを踏み抜く。  撃発する炸薬が爆ぜて燃え上がり、船首に備えられた撃龍槍が轟音と共に飛び出した。  ――穿つ!  合金製の巨大なドリルが、グラン・ミラオスを直撃した。だが、それだけで終わらないのがウォーレン・アウルスバーグという男だった。彼はスイッチを踏み抜いた反動で、天高く舞い上がるや、背の封龍剣【超絶一門】を両手に握って解放させる。 「切りっ、裂けぇぇぇっ!」  獣の咆哮にも似た声と共に、雌雄一対の封龍剣から光が伸びる。それは、空中で全力を振り絞るウィルの両手から羽撃いて、グラン・ミラオスの両翼に火花を散らした。光の刃は衝撃に悲鳴をあげながら、漲るマグマの力ごと左右の翼を貫通した。  初めてグラン・ミラオスが絶叫を発して、その巨体が大きく海側へと逃げてゆく。倒れこむように海中へと没するその背中を、気付けばオルカは追いかけていた。だが、翼の光を左右同時に失ったグラン・ミラオスも必死。そしてオルカは、窮鼠に噛まれた猫の如き暗い声を聞く。 「おのれ人間、星に巣食う害虫ごときがあああっ! あ、ああ……我の本体とのユニゾン係数が。くっ、あの女の支配領域が」  理解はできない。噛み砕いて考える暇もない。オルカはアズラエルに目配せして走った。既に仲間たちは限界、かろうじて動けるアズラエルが、自由落下を始めたウィルを助けに走ってくれている。もはやルーンたちも動けないだろう。それは自分も同じだったが、動けないはずの自分を前へ前へと何かが押し出す。 「何か船は……くっ、このボートだけか! これでいい、せめてもう一太刀……!」  狩猟船は全て沈んで湾内に煙を上げている。手近なボートを押し出し飛び乗ったオルカは、その時意外な声を聞いた。 「オルカ、お伴します! お待たせしました。乗ってください!」  声と共に押す力が一人増えて、不意に軽くなったボートはオルカを乗せてグラン・ミラオスの背を追い出した。  櫂を握って船尾に立つ声は、本来この場にはいないはずの少年だった。