海はいつでも、人を見ている。時に見詰めて諭し、時には見守り手を引く。  今日も、復興で賑わうタンジアの海は凪いでいた。 「行くのか、オルカ。……せめて一度、村に寄ってくれればざくろも喜ぶのだが」 「おおおっ! 心の友オルカよぉぉぉぉ! 酒を酌み交わし剣斧を語った夜、忘れぬううううう!」 「ヤッシーさん、暑苦しいです。でも、寂しくなりますね。オルカさん、またいつでもモガの村へ」  モガの村へと向かう小さな定期便に乗って、ルーンと夜詩の姉弟、そしてアニエスが振り返った。  見送るオルカもまた、旅装に身を固めている。荷物は驚くほど少ない……武器は木っ端微塵に壊れてしまったし、防具の類は全て売却、その資金もタンジアの港を復興させる基金に納めてしまった。だが、それでいい。狩人とは常に、新たな地へと赴く際には全ての狩果を精算するものだから。  モンスターハンターは常に、己の鍛えた肉体と精神、知識と経験だけを財産に世界を渡り歩く。  今、モガの村とタンジアの港に集ったハンターの全てが、新たな旅立ちの日を迎えていた。 「いい天気だな、オルカ……お前の旅路に幸多からんことを祈る。狩りの仲間がお前でよかった」 「ルーン、俺もさ」  ルーンは船上で額に手を当て。頭上に輝く太陽へ眩しげに目を細める。  白い雲がゆっくりたゆたう青空は今、どこまでも海の彼方へ続いていた。海の青は水平線の彼方で空の青と入り混じり、一つの蒼となって輝いている。まるでそう、オルカをその彼方の向こうへと誘っているかのよう。 「あの馬鹿も、この空の下にいるのだろうか。まったく、馬鹿な娘だ」 「エルの、エルグリーズのことかい?」  オルカの問いに、モガの村のハンターたちは三者三様に頷いた。 「ルーンはエルを特別にかわいがってましたからね。駄目な娘ほどかわいいってあれ、本当ですか?」 「ち、違うぞアニエス! わわ、私はだな……そう、採取が面倒だからエルにやらせてただけだ」 「姉者……なにを赤くなって、グフゥ! わ、脇腹はやめるのだ姉者、そこには先日の傷が、ゲファ!」 「私はエルがいなくても困らん! 大地の結晶も護石も、自分でも集められる!」  タンジアの港でも有数の猛者がそろって、どつきあい笑い合う。  その姿はこれから、モガの村へと戻ってゆくのだ。あの潮騒の村はこれからも、ずっと静かに変わらず栄えてゆくだろう。海と空とに見守れられて。時には荒波にもまれて、それでもしたたかにたくましく。 「と、とっ、とにかく! オルカ、あの馬鹿に会ったら伝えてくれ。……死ぬな、生きろと」 「わかった、必ず伝えるよ。もし会えれば、絶対」 「ありがとう、オルカ。モガの村を代表して礼を言う。いつでもまた村に来い。待ってるぞ」 「礼を言うのは俺の方さ。ありがとう、ルーン。アニエスも、ヤッシーも」  モガの村への定期便が、出発の笛を吹き鳴らす。  ロープを解かれた船は、手を振る仲間たちを乗せて遠ざかっていった。見送るオルカに吹き付ける潮風は、今日もおだやかに海鳥の声と波の音を届けてくれる。  自分もまた、この港から旅立つ日を迎えようとしていた。 「オルカ様……行ってしまいましたね、皆様そろって」  気付けば背後にアズラエルが立っていた。その手には大きな包みが抱えられている。  隣には既にウィルの姿はなく、足元には小さなアイルーがしょんぼりと佇んでいた。 「あれ、ウィルは?」 「原隊復帰するそうです。何も言わずに行ってしまいました……昔からそういう人です」 「そっか。キヨさんは?」 「まだ宿で寝てます。見送りにと誘ったのですが、また会えるからいい、と」 「はは、キヨさんらしいや。アズさん、これからも仲良くね」  そして、オルカは荷物を下ろすと足元に屈み込む。  しょぼくれたアイルーは、エルグリーズの保護者だったニャンコ先生だ。 「オルカ君、小生が来た時には全てが終わっておったよ。小生は、なにも、できなかった……」 「ニャンコ先生……それは違いますよ。あの娘は、自分で選んだんです。ニャンコ先生たちを、みんなを守るって」  そして立ち上がると、オルカはやってきた少年に笑いかける。 「そう思うだろ? 遥斗」  そこには、相変わらず包帯姿の遥斗がいた。隣には、傷こそ少ないがまだ包帯も痛々しいノエルも一緒だ。 「僕もそう思います、オルカ。エルは僕を置いて、行ってしまった。でも――」 「諦めるつもりはないんだろう?」 「はい! エルを追いかけるためにも、僕はもっと強くなります。いつか、オルカのようなハンターになるんです」  遥斗の顔は今も、半分が包帯に覆われている。その白さには今も、血が滲んで赤黒くなっていた。  それでも笑顔を見せる遥斗が、オルカにはとても眩しく見える。 「オルカ、アタシも一緒に行くよ。だから、少しの間だけお別れだ」 「ノエル。遥斗を頼むよ。それと、君も元気で」 「うん。アタシがドンドルマで遥斗をビシバシ鍛えるから」  照れ気味に鼻の下を指でこすりつつ、僅かに瞳を潤ませてノエルはオルカを見上げた。そして傍らの遥斗を、ガシリと肩を抱いて引き寄せる。 「いっ、痛いですノエルさん」 「いーい? ドンドルマは厳しいからね? 死ぬ気で学んで鍛えなよ」 「は、はいっ! よろしくお願いします、ノエルさん」 「うんうん、大変よろしい。仲間に紹介するよ。アタシと遥斗、それにイサナとクイントで組もう」  その時、オルカは意外な名前を拾った。 「あれ、今ドンドルマのイサナって……兄を知ってるのかい、ノエル!?」 「え……いや、あれ? イサナは今や、大老殿ハンターのクイントに並ぶ凄腕ハンターだよ」 「そ、そうなんだ。元気、なんだね」 「うん。アタシたち街のハンターじゃ一番の腕っこきさ。しばらく合ってないけど、奥さんと一緒で元気な筈だよっ」  そう言ってノエルは、思い出したように胸元から何かを取り出した。  それは、キラキラと太陽の光を反射する不思議な欠片。 「はい、オルカ。持っときなよ。こないだ海辺で見つけたんだ……アレの刃の破片だと思う」  それは、あの決戦で砕けて散った封龍剣の欠片。  鋭い刃も今はなく、ただ破片は不思議な光沢で見詰めるオルカの顔を映した。 「……ありがとう、ノエル。そっか……こいつ、満足したのかな」 「さあね。でも錆びて朽ちた状態ながら海から引き上げられて、龍を滅して天へと還ったんだ。本望だろうさ」 「そうだね、俺もそう思うことにし、っぷ! ア、アズさん!?」  アズラエルも手持ちの包みを、オルカへと押し付けてきた。  その中には、同じく破片が山ほど入っている。 「オルカ様。私も海に潜って集めました。何かの役に立つかもしれませんから……持っててください。それと」 「あ、ありがとう、こんなに? それと、って」 「エル様を責めないで欲しいのです。……私にも経験がありますから。時に温もりと平穏は……辛いのです」 「アズさん……」  アズラエルが自分のことを話すのは珍しい。  だが、だからこそそこには嘘はないように思えた。 「勿論さ、誰が責めたって俺は、俺たちは許そうよ。許すってのは、なんか偉そうだけどさ」 「ええ。遥斗様だけですよね、彼女を許せるのは。だから私たちは……再び会うまで堂々と生きてやりましょう」 「そうさ。今もどこかでエルは古龍を追ってる。ならば、またいつか会うさ」  それだけ言って、オルカの自分の船へと向かう。  別れはそれで終わり、ではない。ただ同じ場所にいなくなるだけで、気持ちはいつも一緒だ。そうしてモンスターハンターたちは、この星の隅々にまで満ち満ちて巡るものなのだ。人の叡智を掲げて希望を灯し、大自然の脅威さえも糧にして生きる。  オルカはまた、新たな舞台へと向けて旅立ちの時を迎えたのだった。 「ま、待ってくれオルカ君! しょっ、小生もつれていってくれ! あの娘を、エルを追いかけたいのである!」 「ニャンコ先生……や、俺はいいですけど」 「あの娘を拾ったのは小生なのである。モガの村の海底古塔に、恐らくは封じられていた……あの娘は煉獄龍の核だった」  自分が解き放ってしまったのだと、恐らくニャンコ先生は悔いていたのかもしれない。  だが、それでもエルグリーズはこのアイルーの学者になついて慕っていた。 「……行きましょう、ニャンコ先生。旅は道連れ、根無し草の風来坊でよければ、お供しますよ」 「おお……おお! ありがたいニャ! 小生感動ニャ! ……はっ! こ、言葉が」 「はは。じゃあ……みんな、また少しだけお別れだよ。いつか再び会おう。この空の下、狩りの待つ大地で」  オルカはそれだけ言って走り出す。慌てて走るニャンコ先生を連れて。  海はいつでも、彼を見ている。時に見据えて導き、時には見送り背を押す。  今日も、星に蒼を満たす海は凪いでいた。