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 平原遺跡の奥深く、旧世紀の残滓(ざんし)を飲み込む樹海の中にて。
 興奮に頬を上気させるジンジャベルは、追い込む獲物の気配を腕で感じ取った。相棒のクルクマが、静かに羽音で伝えてくるのは……近付く怪鳥種までの距離だ。
「近いんだね、クルクマ。ん、大丈夫……無理はしないよ。ちょっと見るだけ、一人だし」
 そう呟いて、慌てて一人じゃないと思い出す。
 それは、茂みの影に身を屈めて潜めたのと同時だった。すぐ隣に気付けば、わくわくと瞳を輝かせたエルグリーズの顔が近い。……近過ぎる。
「ほら、見てくださいベル! あそこ、あれがイャンクックですよ! おっきーです!」
「か、顔近いってば……やだ、なんでボクが赤くなるのさ」
 唇を尖らせ、耽美に過ぎる小顔から目を逸らす。
 このエルグリーズという女性は、どうにも見た目が整い過ぎているのだ。その精緻な作りが無邪気な童女の表情で懐いてくるから、どうしてもドギマギしてしまう。
 それでジンジャベルも、ようやく茂みの向こうに巨大な怪鳥を確認した。
「……あれ? さっき見たのと違う、けど、この間見た……うん、クック先生だ」
「オルカたちは会えたでしょうか? この平原遺跡に、本当にクック先生いましたね!」
「う、うん、そう、なんだ、けど……おっかしいなあ。さっきのはもっと大きくて」
「かつての人類側(そっちがわ)が運用した、強行偵察用の怪鳥種。それが、イャンクック」
「え? エル、何か言った?」
「いーえっ! なんでもないですっ!」
 今、ゆっくりと翼を休めるイャンクックが地面をついばんでいる。その先に埋まっている巨大な盾虫(クンチュウ)をシャベル状のクチバシで掘り起こしているのだ。
 だが、妙な違和感を二つ感じて、ジンジャベルはポーチの中から双眼鏡を取り出す。
 一つ、先ほど頭上をよぎった巨大な影は、あれとは違うような気がする。
 そしてもう一つ……無心で餌を頬張るイャンクックは、どこか様子がおかしい。
「なんだろう、この違和感……」
 ジンジャベルは「わたしも! わたしも見たいです!」と手を伸べてくる、それ以上に顔を近付けてくるエルグリーズを押しやりつつ、じっと観察を続けた。
 そして、レンズを調節してズームを繰り返しながら、その正体に気付く。
「……目が、瞳が、変。まるでそう、死んでるみたい。なんだろう、背筋がゾワゾワする」
 覗き込む双眼鏡の中に映るイャンクックは、そのつぶらな瞳は大きく見開かれていた。そして、何もそこに映してはいない……ただ、がらんどうのガラス球のような、深い闇をたたえた虚無が目の中にあった。
 虚ろな眼差しのイャンクックは、先程からジンジャベルたちに気づかず、夢中で餌をつついていた。双眼鏡をエルグリーズに渡しつつ、その姿から目が離せないジンジャベル。
 双眼鏡を覗き込むなり、エルグリーズの声が僅かにひそめられる。
「あれは……まさか。ううん、そんな筈は。だって、あの戦いはもう何千年も前に」
「エル?」
「ベル、あれを見てください。イャンクックの口元」
「ん? どれどれ」
 不思議と何かを知っているかのように、エルグリーズが指をさす。
 その先へと視線を集中させたジンジャベルは、異様なものを見た。
 クンチュウを丸呑みにするイャンクックの口元から、何やら黒い靄のようなものがこぼれているのだ。それは僅かな、ごくごく小さな異変で、エルグリーズに言われなければ見逃していた。
 そして恐らく、その正体をエルグリーズは知っている。
「エル、話して。あれ、おかしいよ……何か、こう、クック先生の雰囲気が」
「……この時代の人にわかってもらるかどうか。あと、エルはバカなので、上手く説明ができないです! けど、あれは――」
 エルグリーズが珍しく神妙な顔つきになった、その時だった。
 突如、空気が沸騰して張り裂けた。
 聞いたこともない咆哮が響き、木々は震えて地面が沸き立つ。
「なっ、何!?」
「この声! 嘘、そんなまさか……来ます!」
 その時、上空を旋回する巨大な影とジンジャベルが再会した。同時に、腕のクルクマは飛び立つや、主人を安全な場所へと誘導するように羽音で合図してくる。
 そして、周囲を薙ぎ払う強烈な風圧と共に、紫紺の翼が舞い降りた。
 ――それはまるで、闘争心が濃縮されて結晶化したような、闘志の化身。
 振り向くイャンクックの前に、同じ怪鳥種とは思えぬ巨大な影が吠え荒んでいた。例えるなら孤狼(ベーオウルフ)……全身傷だらけの、何者も近付けぬ覇気を纏った黒狼鳥。
 その名をエルグリーズが叫んだ。
 次の瞬間には、ジンジャベルは彼女の小脇に抱えられていた。
「決戦特化型駆逐種! 黒狼鳥……イャンガルルガ!」
 名前だけはジンジャベルも聞いたことがある。
 それを思い出した時には、先ほど発掘した剣を背に背負うと、エルグリーズは走りだしていた。その腰元にぶら下がるジンジャベルが、視界に遠ざかる二匹の怪鳥を睨んで声を張り上げる。
「あれが、イャンガルルガ!? って、エル、待って! 待ってよ、こんな機会は滅多に」
「いけませんですっ! あれは危険が危ないんですから! ……一世代限りの駆逐種(ネイキッド)が、どうやって今の時代に。ううん、今はベルと無事にここを離脱するです!」
 嘘みたいは速さで、周囲の風景が遠ざかる。
 狭くなる視界の中で、ジンジャベルは見た……イャンガルルガが絶叫と共に火炎を吐き出しながら、イャンクックに襲いかかるのを。
 そして、こんな時に逃げまわるだけのイャンクックもまた、敵意に殺意で応えた。
「逃げない……ねね、エル! あれおかしいよ! クック先生、自分より強い奴とは戦わないのに。うわ、まるで食い合うよう……エル!」
「黙っててください、舌を噛むです!」
 これがあの、どんくさくてぽにぽにと呑気なエルグリーズだろうか?
 ジンジャベルと採取物(せんりひん)の重さをもろともせず、エルグリーズが疾駆する。
 そして、背後に遠ざかる断末魔が響くと……木々を薙ぎ倒す轟音と共に、イャンガルルガの鬼哭(スクリーム)にも似た咆哮が近付いてくる。
「ベル、クルクマの飛ぶ先に逃げます! ……駄目、追いつかれる!?」
「ひっ! エル、すぐ後ろに! せ、せせ、せっ……迫ってくるよぉぉぉぉぉっ!」
 ジンジャベルは肩越しに振り返って悲鳴を迸らせた。
 先ほど覗き込んだ、虚ろなイャンクックの瞳とは違う。
 イャンガルルガの燃える瞳には、闘争本能の仄暗(ほのぐら)い光がギラギラと輝いていた。
 そのしゃくれてひび割れたクチバシが開かれると、喉の奥から灼熱の吐息がせり上がる。
「ベル、しがみついてください! ()びます!」
「え? 翔びます? 飛ぶの!?」
「振り切れなければ、その時は……ん、あれはっ!」
 その時、木々の枝葉で狭い空に、発煙筒の信号が上がった。
 それは、先ほど見たオルカたちの物ではない。
 だが、いっぱしのモンスターハンターであるジンジャベルには、その意味がすぐに読み取れた。その方向へと今、相棒のクルクマが飛んでいるから。
「エル、あっちに救援!」
「あの発煙筒の色……よーし、えええええいっ!」
 刹那、背中に触れる空気が燃えた。灼熱の烈火が炸裂して、周囲の森が燃え始める。
 その中をエルグリーズは、一瞬だけかがんだ反動で豪快にジャンプ。そのまま一足飛びに、クルクマの飛ぶ先へと距離を稼ぐ。わずかだけ開いた距離をしかし、イャンガルルガは獰猛な突進力で埋めてきた。
 いよいよ駄目かと思われたその時、ジンジャベルは風切り音を聞いた。
 それは、一本の矢が飛来するのと同時で、それはイャンガルルガの硬い甲殻の上で乾いた音を立てる。
「うそぉん、やっぱ弾く? この距離じゃ、ね。お二人さん、こっち! 急いで!」
 その声のする先へと、クルクマが飛ぶ背中を追いかけて……エルグリーズが全速力で前のめりに走る。彼女の荷物でしかないジンジャベルはしかし見た。
 怒りに燃えて天へと吠え荒ぶ、イャンガルルガの激昂(げきこう)を。

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